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続 てなもんや三度笠

  • posted at:2016-12-23
  • written by:砂月(すなつき)
ぞくてなもんやさんどがさ
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1963年
公開日:1963年10月13日 併映「銭形平次捕物控」
監督:内出好吉
企画:神戸由美 俊藤浩滋
原作:香川登志緒
脚本:沢田隆治 鈴木則文
撮影:羽田辰治
照明:中村清
録音:矢部吉三
美術:大門恒夫
音楽:小沢秀夫
編集:神田忠男
助監督:本田達男
記録:国定淑子
装置:舘清士
装飾:清水悦夫 
美粧:林政信
結髪:西山節子
衣裳:小林勝
擬斗:島義一
解説:黒沢良
進行主任:神先頌尚
主題歌:「てなもんや三度笠」藤田まこと
出演:藤田まこと 白木みのる 香山武彦 西崎みち子 坂口祐三郎
シネマスコープ モノクロ 76分

安政五年。下田で日米通商条約が締結されると、それまで小さな漁港に過ぎなかった町は一躍時代の脚光を浴びた。沸き立つこの港町では、本通りを隔てて東屋と西屋のヤクザ一家がにらみ合っていた。小競り合いがきっかけで喧嘩に火がつくと、東屋の親分・伝兵衛は用心棒の平手三十郎を差し向けた。一方、男勝りの西屋親分のお兼は自ら喧嘩を買って出たのだ。一触即発の空気の中、三十郎を止まらせようとしたのは伝兵衛の一人娘のお雪であり、堅気の人に迷惑がかかると母の熱を冷まさせようとしたのは一人息子の新太郎だった。お雪と新太郎は恋仲の関係だったが、三十郎とお兼はそんなことなど露知らず。双方が刀を抜いた瞬間、沖に停泊している黒船ポーカー号が大砲を試し撃ちし、轟音を聞いた者たちは皆腰を抜かした。

物情騒然とした下田の町にやってきたのは、ヤクザ者・あんかけの時次郎と相棒の小坊主・珍念だった。芝居や見世物小屋が立ち並ぶ中、珍念は相撲が見たかったのだが生憎の満員の札。そこで時次郎は関係者面して裏から入ろうとしたのだが、小屋から追い出された男にぶつかった。その男は駒下駄の茂兵衛という力士で、大飯食らいの彼は毎日用意した食事を全て平らげてしまうのだ。当初は体が元手だと言っていた親方も堪忍袋の緒が切れてついにクビになったのだった。茂兵衛のことが心配でたまらない兄弟子の浴衣山は男にしてやって欲しいと時次郎に頭を下げると気安く請け負った。だがからっけつであることを珍念から指摘されると都合があると言ってその場から逃げ出した。

砂浜の松林を歩いていた時次郎と珍念は、桟橋から身を乗り出した茂兵衛の姿を見つけた。身投げするに違いないと思った時次郎は思い止まるようにと後ろから抱き付こうとしたが、ひらりと身を交わされて海に落ちた。申し訳ないと謝る茂兵衛に時次郎は、着物が乾いたらこの土地の親分に仁義を切って世話になるつもりであることを伝えた。早速東屋を訪ねた三人は草鞋を脱ぐことになり、伝兵衛が趣味としているカルメ焼きの焼き方がうまいと時次郎が褒めたことで意気投合した。泊まる部屋は狭いもののこれで飯はたらふく食えるし草鞋銭までくれるなら文句なし。ところが雑巾がけから庭掃除に薪割り、風呂焚きとこき使われた上に終わるまで飯はお預けだと言われた。こっそり抜け出そうにも監視の目が厳しく、安易に草鞋を脱いだことを後悔した。下田にあるもう一件の西屋の方が待遇がいいのではないかという珍念の話に乗っかった時次郎たちは、飢え死にするよりはマシだと脱走を決行した。だがここでも待遇は同じ。そんな彼らがいるこの西屋を、三十郎は黒船から新型爆弾を譲り受け撃滅する計画を立てていた。

屋台的映画館
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色情姉妹

  • posted at:2016-12-18
  • written by:砂月(すなつき)
しきじょうしまい
日活
配給:日活
製作年:1972年
公開日:1972年11月29日 併映「セックス・ハンター 濡れた標的」
監督:曽根中生
企画:伊藤亮爾
脚本:はたの三郎
撮影:峰重義
美術:山本昻
録音:木村瑛二
照明:土田守保
編集:鍋島惇
音楽:奥沢散策
助監督:海野義幸
色彩計測:水野尾信正
現像:東洋現像所
製作担当者:古川石也
出演:二条朱実 続圭子 益富信孝 薊千露 水城マコ
アメリカンビスタ カラー 73分

浦安の薄汚れた長屋に住む大月しのぶは母との口ゲンカが絶えない。彼女は母・ふじえの連れ子で、高校生の時に酒浸りでろくに働こうとしない義父の伝吉に犯された。それ以来二人の間に諍いが絶えたことがない。しのぶには血の繋がらない二人の妹がおり、日光電機で事務員として働くさつきは会社の専務と不倫の関係にあった。だが彼女は同じ課の佐脇一郎の好意を寄せていたため、専務は単なる金蔓でしかなかった。そして高校生のすみれは不良グループのトップで、彼女を引きずり降ろそうとする連中と常に対立していた。
  
小料理屋でしのぶが働いていると伝吉はいつものように酒をたかりに来た。すると彼女は女将に酒を出さないように頼んだ。ツケで飲むため、しのぶの給料からその分が差し引かれてしまうからだ。そこへ精神障害を持つ同じ長屋の本田六造がおにぎりを求めてやってきたため、コップ酒をご馳走した。俺の酒はどうしたんだと伝吉が文句を言うとしのぶは無視をして目の前を通り過ぎた。そんな彼女の肩を掴もうとすると女将が割って入り、いつもいつもかわいそうじゃないかと言った。頭にきたがしのぶに頭の上がらない伝吉は六造に八つ当たりをした。そのことを知らずに帰宅したしのぶが酔い潰れていると、さつきは六造があっちの方が弱いことが原因で奥さんに逃げられそのショックで頭がおかしくなったと噂話をした。だがしのぶはそれを聞き流した。翌日、軒先でしのぶが洗濯物を干していると、六造がやってきて俺のことが好きなんだろうと言った。彼女はお酒を一杯奢ったぐらいでと相手にしなかったが、六造は俺と山登りしようとしのぶの腕を掴んで強引に連れ出し、自分の部屋に押し込んだ。
 
ふらふらと小料理屋にやってきた伝吉だったが、女将に飲酒を断られたため仕方なく自宅へ戻った。すると玄関にしのぶの靴があったため、二階の部屋に忍び足で上がり昼寝するしのぶを襲った。そこへ戻ってきたふじえは物音で事を察すると、伝吉が降りてきたのと入れ替わりに部屋へ駆け込み、泥棒猫と罵った。そして今度は居間に駆け下り伝吉に私だけじゃ満足できないのかいと詰め寄った。だが彼が博打で儲けた金を持っていることがわかると急に態度を変えた。

専務からあの日何処へ行っていたんだと問い詰められたさつきは、一生を左右する人に会っていたんだから振り切るわけには行かなかったのよと答えた。そして私を本当に愛しているのならどうして離婚しないのかと考えると憎らしくて自分の気持ちを抑えられなかったと言った。君にとって僕が初めての男なのだからそれなりの責任を取ると専務が言うと、さつきは鼻で笑った。彼が会社の金を横領し、その穴埋めをするために競輪に手を出していることを知っていたからだ。
 
屋台的映画館

ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘

  • posted at:2016-12-13
  • written by:砂月(すなつき)
ごじらえびらもすらなんかいのだいけっとう
東宝
配給:東宝
製作年:1966年
公開日:1966年12月17日 併映「これが青春だ!」
監督:福田純
製作:田中友幸
脚本:関沢新一
撮影:山田一夫
美術:北猛夫
録音:吉沢昭一
照明:隠田紀一
音楽:佐藤勝
整音:下永尚
監督助手:佐野健
編集:藤井良平
音響効果:金山実
現像:東京現像所
製作担当者:橋本利明
特殊技術・監督補:有川貞昌
特殊技術・撮影:富岡素敬 真野田陽一
特殊技術・光学撮影:徳政義行
特殊技術・美術:井上泰幸
特殊技術・照明:岸田九一郎
特殊技術・操演:中代文雄
特殊技術・合成:向山宏
特殊技術・監督助手:中野昭慶
特殊技術・制作担当者:坂本泰明
特技監督:円谷英二
出演:宝田明 水野久美 平田昭彦 田崎潤 砂塚秀夫
シネマスコープ カラー 86分

マグロ漁船が南方海域で大時化により遭難した。この船に乗っていた漁師・彌太の安否を知るために彼の母・カネは恐山霊場でイタコを訪ねた。遭難現場付近から船の破片が出ていたことを新聞が書き立てていたが、冥土をいくら捜しても見つからなかったとイタコが言ったことで息子が生きていることを確信したカネだったが、彼女と同じ思いでいたの彌太の弟の良太だった。良太は警察に掛け合ってもう一度捜索するよう願い出たが、管轄が違うことを理由にして取り合おうとしなかった。そこで今度は新聞社に取材を願い出たが、接客室に貼られていた耐久ラリーダンスコンクールのポスターを見て気が変わった。優勝賞品がヨットだからだ。

3日前に始まったコンクールは当初の300人から15人に絞られていた。体力の限界で脱落した大学生の市野と仁田に今からでも参加出来るのかと良太は尋ねたが、無理だと聞き落ち込んだ。そんな彼の姿を不憫に思った市野たちはヨットハーバーへ行き、太平洋横断が可能なヤーレン号を拝借することにしたのだ。ところが先客の吉村に不法侵入だと銃を向けられると従わざるを得なくなり、夜明けまで静かに眠ることにした。翌朝、ヤーレン号が良太の手で出航していることに驚いた吉村は港へ戻せと命じたが、良太は神様の思し召しだと言って考えを改めようとはしなかった。銃がおもちゃであることは既にばれていたことから吉村は強引に舵を奪おうと試みたが、良太以外にヨットを操縦出来る者がいないことがわかると彼に行く先を任せることに決めた。ラジオのスイッチを入れるとニュースが始まり、昨日の未明に新橋の外国パチンコ会館の金庫が破られ、現金400万円が盗まれたという情報が流れた。その犯人が吉村ではないかと疑い始めると3人はそれ以上詮索しないことにした。ヨットが登録航路を離れて南下している頃、吉村は市野と仁田にある相談を持ち掛けた。それは良太に積極的に協力して操縦方法を覚え、隙を見てヨットを奪い陸地に戻るという計画だった。だが空の様子がおかしくなり暴風雨に襲われるとそれどころではなくなった。舵の利かなくなったヨットは荒波に揉まれたが、さらに洋上に突き出た巨大なハサミに襲われて良太たちは船外に放り出された。

遭難した4人は孤島に流れ着いた。彼らはまず食糧確保のために崖を登り、森で木になった果物をたらふく食べて満足すると、さらに奥へ進んだ。入港する水上艇が見えたことで無人島ではないことを確信した良太たちはその方向へ歩いて行ったが、そこは厳重な警備が敷かれた工場だった。秘密結社「赤イ竹」が支配したこの島では核兵器の原料となる重水が製造されており、隣島のインファント島の住民が強制連行されて働かされていた。運ばれてきた島民のうち2人が脱走を企てて舟で沖に漕ぎ出すと、そこに現れた「エビラ」が巨大なハサミをもたげて待ち構えていた。

屋台的映画館

砂の器

  • posted at:2016-12-08
  • written by:砂月(すなつき)
すなのうつわ
松竹=橋本プロダクション
配給:松竹=富士映画
製作年:1974年
公開日:1974年10月19日
監督:野村芳太郎
製作:橋本忍 佐藤正之 三嶋与四治
原作:松本清張
脚本:橋本忍 山田洋次
製作補:杉崎重美
企画:川鍋兼男
製作協力:シナノ企画 俳優座映画放送
撮影:川又昻
美術:森田郷平
音楽監督:芥川也寸志
作曲・ピアノ演奏:菅野光亮
指揮:熊谷弘
演奏・特別出演:東京交響楽団
録音:山本忠彦
調音:吉田庄太郎
効果:福島幸雄
照明:小林松太郎
編集:太田和夫
監督助手:熊谷勲
装置:若林六郎
装飾:磯崎昇
衣裳:松竹衣裳
現像:東洋現像所
進行:長嶋勇治
製作主任:吉岡博史
出演:丹波哲郎 加藤剛 森田健作 島田陽子 山口果林
シネマスコープ カラー 143分

昭和46年6月24日早朝、東京国鉄蒲田操車場構内で死体が発見された。被害者の年齢は60-65歳。やや痩せ型で、服装はグレーの背広上下を着用していた。背広にはネームが入っておらず所持品がなかったことから、身元不明のまま検分が行われた。血液型はO型で、死因は前頭部頭蓋骨陥没。石の様な物で頭部や顔面を殴打され、死後に轢死を装ったものと判明した。胃の内容物からアルコール分が検出され、死後推定3時間から4時間が経過していた。捜査一課の今西栄太郎警部補は西蒲田警察署刑事課の吉村弘巡査とともに聞き込みを行い、事件の前夜に蒲田駅前のトリスバー・ロンで強い東北訛りの二人が話し込んでいたこと突き止めた。そしてそのうちの一人が被害者である可能性が高まったことからもう一人の若い男を重要容疑者として捜査することになった。白いスポーツシャツを着た若い男が被害者を殺害して返り血を浴びれば遠くへ逃げることが不可能だと考えた吉村は土地勘がある者の犯行だとした。それを聞いた今西は、例えスポーツシャツに血痕がついたとしてもその下に着たシャツ姿になれば怪しまれることはないと一蹴した。

捜査は難航した。若い男が処分したと思われるシャツが出て来なかったからだ。そこでホステスの証言に比重を置いて捜査を行うことになった。捜査本部は男たちの会話の中で何度か「カメダ」という言葉が交わされていたという証言をもとに、警察庁に依頼して東北各県にいる64名の亀田姓を洗い出したが、その中に被害者を知る人物は一人もいなかった。手詰まり感が漂う中、今西は「カメダ」が人名ではなく地名ではないかと発言した。昨日、書店の店先で見た鉄道地図に「羽後亀田」という秋田県の駅名が載っていたからだ。本部の了解を得た今西は吉村とともに現地へ赴いたが、不審な男が川沿いの木の傍に30分程いたという情報以外目ぼしいものはなかった。8月4日、2日間の滞在で収穫がなかった二人が帰京すると捜査本部は解散し以後は警視庁の継続捜査に移った。

8月9日、事件は思わぬ形で動いた。被害者の息子が現れたのだ。三木謙一は父・彰吉がお伊勢参りに行くと言ったまま連絡が取れなくなったが、気ままな旅をすると言っていたことで特に気にも留めていなかった。だが50日を経過しても連絡がないため家族と相談して岡山県警に捜索願を出したのだ。すると警視庁から出ている紹介に心当たりはないかと見せられた写真があまりにも父に似ていることから東京で身元確認を行ったのだった。学校卒業後に島根県で巡査をしていた彰吉は、退職後は生まれ故郷の岡山県の江見町で雑貨店を営んでいた。遺体が彰吉であることは確認されたが、東北へ行ったことがないと思われるその人物が何故強い東北弁をしゃべり、お伊勢参りに行った人物が何故東京にいたのか、謎はさらに深まった。

屋台的映画館

温泉みみず芸者

  • posted at:2016-12-03
  • written by:砂月(すなつき)
おんせんみみずげいしゃ
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1971年
公開日:1971年7月3日 併映「傷だらけの人生」
監督:鈴木則文
企画:岡田茂 天尾完次
原案:久保田正
脚本:掛札昌裕 鈴木則文
撮影:古谷伸
録音:堀場一朗
照明:金子凱美
美術:雨森義允
音楽:鏑木創
編集:神田忠男
助監督:皆川隆之
記録:石田照
装置:温井弘司
装飾:柴田澄臣
美粧結髪:東和美粧
衣裳:岩逧保
舞踊振付:藤間勘眞次
進行主任:伊藤彰将
協力:西伊豆土肥温泉観光協会
出演:池玲子 女屋実和子 杉本美樹 松井康子 芦屋雁之助
アメリカンビスタ カラー 85分

天正元年に土佐の高知で生まれ幼少期から蛸の漁獲に異常な興味を示した多胡善兵衛は、日本各地を転々と流浪して志摩にたどり着き網元の娘・トラをめとると、やがて画期的な漁獲法である蛸壺を考案した。寛永十二年十月に没すると、この地一体の漁師たちは故人の徳を偲び墓を建立した。善兵衛の子孫である十二代目・多胡初栄は今もこの地に住み飲食店を営んでいた。圭子、幸子という美人の娘を持つ初栄は、夫に先立たれてからも男に不自由しなかった。何故なら彼女の先祖は善兵衛だからだ。漁師を儲けさせたご利益として多胡家の女は皆、蛸壺の持ち主なのだ。そして新しい恋人となった西山も彼女と寝たことで虜になったのだった。

善兵衛の墓は借金の抵当に入っており、圭子は一日でも早く取り戻すべく体を張って稼いでいた。ある日、仏壇に納めていた蛸壺がなくなった。その中に貯めてあった圭子の金が西山によって持ち逃げされたのだ。圭子は貸主に頭を下げて期限の延長を申し出ると、半年という条件で認めてもらった。ここにいても目標の百万円を期限まで稼ぐことが出来ないと考えた圭子は東京へ行くことに決めた。そして仕送りする金の管理を幸子に任せた。

右も左もわからない東京で手っ取り早く稼ぐ方法。圭子が選んだのは特殊浴場だった。講義が長くて退屈した彼女の態度に怒った店長は、経験がなくても出来るという自信満々な口を黙らせてやろうと自分が実験台になった。ところが予想以上の高等テクニックだったことから早々に参ってしまい、そのことを急いで社長の久兵エに報告した。久兵エがこの店を始めた理由は、不能になった息子を更生(?)するための女を見つけ出すためだった。息子を蘇らせることが出来たならば給料を10倍にすると言われ、俄然やる気を出した圭子は超デラックスのスペシャルなサービスを提供した。その結果、50万円という大金を手にしたのだった。彼女は早速実家に送金し、手紙に必ず幸子に渡すようにと念を押した。

理想の女を手に入れた久兵エは蛸壺の魅力にはまり、ある日本当に昇天した。葬式から数日後、圭子に母から電報が届いた。そこには伊豆土肥温泉・土肥館にすぐ来るようにと書いてあったため、心配になった彼女は取るものも取り敢えず急行した。ところが泣きつく初栄の話を詳しく聞いて呆れた。圭子が仕送りした50万円を手にした初栄は性懲りもなく若い男を作ったが、遊びに来たこの温泉で有り金全てを持ち逃げされたというのだ。金を払うか母親を警察に突き出すかという選択を迫られた圭子は後者を選ぼうとしたが、その話を聞いた流れ板の馬場敬太郎はそれを全額支払うと言った。彼は上京の際に圭子と列車で相席になったことから何かの縁を感じていたのだ。だがそれを聞いた圭子は大金を払わせるわけにはいかないとその申し出を断り、自分が温泉芸者として働いて返すと言った。

屋台的映画館

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砂月(すなつき)
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自己紹介:
ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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