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にっぽん泥棒物語

  • posted at:2018-05-25
  • written by:砂月(すなつき)
にっぽんどろぼうものがたり
東映(東京撮影所)
配給:東映
製作年:1965年
公開日:1965年5月1日 併映「おゝい、雲!」
監督:山本薩夫
企画:植木照男 宮古とく子
脚本:高岩肇 武田敦
撮影:仲沢半次郎
録音:小松忠之
照明:桑名史郎
美術:森幹男
音楽:池野成
編集:長沢嘉樹
助監督:田口勝彦
進行主任:武田英治
現像:東映化学工業株式会社
出演:三國連太郎 佐久間良子 伊藤雄之助 江原真二郎 緑魔子
シネマスコープ モノクロ 117分

1948年冬、戦後の混乱が続く東北で荒稼ぎをしていたのは泥棒仲間から一目置かれている破蔵師の林田義助だった。破蔵師とは土蔵破りの盗賊のことを指し、義助はその中でも群を抜いていた。狙いをつけた家を綿密に調べ上げると土蔵に穴を開け、仲間とともに運び出した品を専門業者に売り払うのだ。歯科医だった父親が死に、残された母や妹、弟を養わなければならなくなった義助はもぐりの歯科医となったが、戦争で薬が手に入らなくなったためにこの稼業に手を染めた。まず財産家の邸に狙いを絞り、歯科の訪問医として家の者に近づくと治療と同時に家族構成や部屋の間取りなどを聞き出した。そしてその情報を持ち帰ると仲間たちを集め作戦を練るのだ。そして決行。当然のことながら捕まることもあり、義助は前科四犯だったが、迷惑を被っていたのは妹のふく子だった。何故なら縁談は兄の前科のせいでいつも破談になるからだ。

仲間と温泉に行った義助は、そのときに出会った芸者桃子といい仲になった。だがそれは表向きで、桃子や女将が寝入ったのを確認すると宿の玄関の鍵をこっそり外して帰った仲間を手引きした。翌朝、帳場の金が盗まれたことに気づいた女将が警察に通報するが後の祭り。義助が財布を盗まれたと演技したことで桃子は信じたのだった。やがて二人は夫婦となったが、彼女は義助の本業を知らぬままだった。ある日、盗品の着物を風呂敷一杯に担いできた仲間の一人が突然現れたため、義助は桃子にがま口を持たせると酒を買いに行かせた。義助はいつも世話になっているからという男からいくつかの着物を貰い、残りを天井裏に隠した。それから数日後、白河警察署の警官が訪ねてきた。里帰りすることなっていた桃子は義助から貰った着物を土産にしようとしたのだが、立派な着物をあげるよりは羊羹で間に合わせて残りを生活の足しにした方が考えてそれを売り払ったのだ。そこから足がつき義助は逮捕されたが、仲間たちとの仁義を守って全ての罪を引っ被り福島刑務所に送られた。翌年、裁判前に保釈された義助は、刑務所で知り合い破蔵師の手ほどきをした自転車泥棒の馬場庫吉の案内で早速その夜から呉服屋の土蔵を狙った。ところが仕事に不慣れな庫吉がヘマしたことで盗品の運び出しに失敗。翌日忍び入った家は庫吉の下調べが甘く番犬がいたことで成果が乏しかった。その翌日も別の場所に忍び込もうとしたのだが、警防団が非常線を張って警戒が厳しくなったことで諦めた義助は庫吉と別れた。線路脇で背広に着替えた義助が一服していると9人の男たちとすれ違った。彼は身の危険を感じたが、男たちは気を止めることもなく歩み去ったことでそれと反対の方向へ走ると積んだ稲藁の中へ飛び込んで身をひそめたのだった。明け方、義助はけたたましく鳴り響く半鐘の音で目覚めた。彼がいるその先で列車転覆事故が発生したのだ。

屋台的映画館
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日本一のゴマすり男

  • posted at:2018-05-21
  • written by:砂月(すなつき)
にっぽんいちのごますりおとこ
東宝
配給:東宝
製作年:1965年
公開日:1965年5月29日 併映「姿三四郎」
監督:古澤憲吾
製作:渡辺晋 森田信
脚本:笠原良三
撮影:斎藤孝雄
美術:小川一男
録音:増尾鼎
照明:森弘充
音楽:宮川泰 萩原哲晶
整音:下永尚
監督助手:丸輝夫
編集:黒岩義民
現像:東洋現像所
協賛:株式会社梁瀬
製作担当者:堤博康
出演:植木等 浜美枝 中尾ミエ 東野英治郎 進藤英太郎
シネマスコープ カラー 95分

大学を卒業し無事就職も決まった中等はうれしい報告をするために実家に戻った。助産婦と保健婦として働く母の節子は彼の背広姿を見るなり中々かっこいいじゃないかと褒めちぎり、定年後から台所を仕切る父・一郎は今日はうんとご馳走してやるかと張り切った。一郎からすり鉢を手渡された等は、出世前の男がゴマをするのかと不平を口にした。これからの世の中はサービス時代だとの一郎の言葉に首を捻りながら等がゴマをすり始めると、その手際の良さに感心した一郎は社会に出てもその要領を忘れてはいけないと説いた。万年係長のまま定年を迎えた一郎は、「世渡りの知恵が出世の近道」という言葉を肝に銘じさせることで自分の成し遂げられなかった栄冠を息子に勝ち取ってもらおうと考えていたのだ。だが等は、現代が実力本位の時代で実力とファイトさえあれば絶対に認められるという持論を曲げようとはしなかった。

出社初日、後藤又自動車の本社ビル前に立った等は看板を眺めて「よかろう!」と気合を入れた。まだ誰も出社していないショールームに入った彼はこれから売ることになる車の研究を始め、ここにある車が全て自分の物だと思って惚れ込めば客にも自信を持って売ることが出来ると考えたのだ。すると電話のベルが鳴り張り切って受話器を取ると田園調布に住む中村という顧客からだった。一昨日、セールスが午前9時までにビュイック・スカイラークを見せに行くと約束したのだが未だに何の連絡もないのだという。現在8時40分。等は相手が指定する場所に急いで向かった。ゴルフバックを持った中村を見つけた等は早速、車の説明に入ったが、君の会社は客に対して不親切だとお冠だった。そして続けざまにゴルフ場へ向かうように命じ、理由がわからない等は素直に指示に従った。その頃、等の会社では大騒動になっていた。中村の担当だった細川眉子が車がないことに気づき、営業課長は朝礼前なので仮ナンバーを貸し出していないと言った。眉子は急いで警察に盗難の届け出をした。そうとは知らない等はナンバープレートのない車で中村をゴルフ場に送り届けると、お支払いはどうしますかと尋ねた。すると中村は、試乗しただけだから帰ってよろしいと背を向けた。冷やかしのただ乗りだとわかったが、これも宣伝のうちだと自分の言い聞かせて会社に戻ることにした。首都高を軽快に疾走するビュイック。すると追い抜かれたことが気に食わないフォルクスワーゲン・カルマンギアタイプ3の運転手は抜き返そうとムキになって追い掛け、そこに取り締まり中のパトカーも加わって追跡合戦が始まった。そうとは知らない等が会社にハンドルを切ると、後ろの二台もついてきたため首を傾げたのだった。警官が彼を呼び止めると、事務所からも課長たちが飛び出してきて「その自動車泥棒を捕まえてください」と叫んだ。それを聞いた等は、盗んだという車はちゃんとあるしお客様の催促に対し社員として伺うのは当たり前だと言った。そこで初めて彼が新入社員だと知った課長は心底呆れた。事件は解決をしたのでお引き取りくださいと等は警官に言うと、ナンバーなしで公道を走ったのだから道路交通法違反で始末書の提出が必要だと言われた。そこに割って入ったカルマンギアの男がビュイックを売って欲しいと言ったため、等は面倒な契約交渉も始末書の提出も眉子に押し付けたのだった。

屋台的映画館

女番長ブルース 牝蜂の挑戦

  • posted at:2018-05-16
  • written by:砂月(すなつき)
すけばんぶるーすめすばちのちょうせん
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1972年
公開日:1972年2月3日 併映「まむしの兄弟 懲役十三回」
監督:鈴木則文
企画:天尾完次
脚本:皆川隆之 鈴木則文
撮影:古谷伸
照明:北口光三郎
録音:荒川輝彦
美術:吉村晟
音楽:鏑木創
編集:神田忠男
助監督:皆川隆之
記録:石田照
装置:近藤幸一
装飾:山田久司
美粧結髪:東和美粧
スチール:杉本昭三
演技事務:森村英次
衣裳:高安彦司
擬斗:三好郁夫
進行主任:俵坂孝宏
主題歌:「女番長ブルース」八田富子
出演:池玲子 宮内洋 小山明子 風間千代子 女屋実和子
シネマスコープ カラー 84分

京都の市街地を中心に活動する京都パール団。女番長の真紀は愚連隊の一郎と組んで修学旅行生相手にいかがわしい写真の売買や売春の斡旋などをして金を稼いでいる。ある日、お土産代を落として困っているという中学生にアルバイトしないかと声を掛けた真紀は、彼女が先日新聞に載った中学生売春の当事者だったことに驚いた。そこで一郎が連れてきたカモ・呉服屋の若旦那の中村に処女と偽って高値を吹っ掛けることにした。枕探しに遭った中村は一郎にクレームをつけたが後の祭り。中学生は既におらず、売春の世話をしたけどボディーガードを引き受けた覚えはないと真紀は突っぱねた。そこにやってきた地元の暴力団・黒地組は、挨拶に来ずに無断で商売をする一郎に制裁を加えたのだった。

ある日、パール団の溜まり場となっているゴーゴーバーに大阪ミナミを拠点とする黒百合会が乗り込んできた。仲間の知子がリンチされ、女番長のユリが言い残した万博道路という言葉を頼りに真紀は団員と大阪にやってきた。真紀はユリとサシで勝負をつけることにしたのだが、そこをレースカーの遊び場とする露木栄三が仲裁に入ったことで勝負はお預けとなった。栄三とユリは集団就職で大阪にきた幼なじみだったが、その道から外れた栄三は金や学歴ではなく実力で生きることが出来るレーサーを目指すことにしたのだ。

一郎は新たな仕事を手に入れていた。それは街のど真ん中にある墓地の移転だった。墓地は一等地にありそれを売り飛ばして山科に引っ越せば大きな利ザヤが出る。その話を玄海和尚に持ちかけるとあっさりと同意したため、一郎はおこぼれに預かることになったのだ。移転には学生のアルバイトを雇うためわざわざ力仕事をして手を汚す必要もなかった。和尚は金だけでなく女にも目がないため絶倫和尚と呼ばれていた。一郎は墓移転の手数料として3千万円の10パーセントを契約通り要求したが、5万円しかもらえなかったため芸者遊びしていることを檀家に全てぶちまけると脅した。だが和尚のバックに黒地組がついていることがわかったため黙って引き下がるしかなかった。それでも諦めきれない一郎が何かいい知恵はないかと真紀のアパートを訪れると、私に任せてくれるなら全額巻き上げてみせると彼女は言った。その条件は儲けの折半。一郎は真紀に賭けてみることにした。

屋台的映画館

でっかいでっかい野郎

  • posted at:2018-05-12
  • written by:砂月(すなつき)
でっかいでっかいやろう
松竹
配給:松竹
製作年:1969年
公開日:1969年4月26日 併映「喜劇 婚前旅行」
監督:野村芳太郎
製作:杉崎重美
脚本:野村芳太郎 永井素夫
撮影:川又昻
美術:重田重盛
音楽:林光
照明:三浦礼
録音:栗田周十郎
調音:松本隆司
編集:浜村義康
監督助手:吉田剛
装置:中村良三
進行:玉生久宗
現像:東洋現像所
製作主任:吉岡博史
出演:渥美清 岩下志麻 香山美子 中川加奈 大野しげひさ
アメリカンビスタ カラー 90分

北九州・若松。父親の遺言に従い洞海湾が見渡せる高塔山の墓地へやってきた南田松次郎だったが、御骨を納めるための肝心な墓が見つからなかった。そこで適当な場所に穴を掘ったのだが酔いと疲れで眠ってしまい気がつくと太陽は天高く昇っていた。そんな彼を見つけたのは母の墓参りにきた原田友江とこの寺の住職で、身なりの汚い松次郎にすぐに埋め戻せと注意すると俺んちの墓は何処へやったと怒鳴った。だが南田という姓の墓は見たこともないと住職が言ったため、松次郎は骨壺に手を突っ込むと「父ちゃん、長い間見たがっていた洞海湾は目の下だから迷わず成仏してください」とそこら中に散骨したのだった。

三池地区の保護司からの紹介で父親の故郷である若松にやってきた松次郎は、この土地で三代続く山口病院の院長で保護司も務める愛之助の世話になることになった。妻の静子は前科のある彼を家に置くことに反対だったが、酒の上での暴行だから悪質ではないしそういった人を正常に戻すのが我々の仕事だと説得した。愛之助の世話で仕事を得た松次郎はダルマ船で洞海湾の清掃を行うことになり、ゴミの埋立地に拾った材料を使ってマイホームを建てた。ある晩、お礼を言いに一升下げて愛之助を訪ねた松次郎は、将棋を指していた友江の祖父・辰吉の横から口を出したことで大ゲンカになった。若松弁でへそ曲がりのことを差すげってん爺と皆から呼ばれている辰吉はサンパン船の船長で、ある日松次郎が乗るダルマ船と衝突すると暴言を吐いて逃げた。一方、衝撃で海に投げ出され仲間たちに助けられた松次郎は、そのおかげでフグが服の中に入り込んだことにご満悦だった。その夜、仲間たちを招いてフグ鍋を行ったが見事に当たり、遅れてきたことで難を逃れた作業員の通報によって皆命を取り留めたのだった。

入院した5人の中で一番手を焼く患者は松次郎だった。注射が死ぬほど嫌いな彼はその時間が近づくと決まってベッドの下に潜り込むのだ。そうなると愛之助でも犬飼婦長でも手が付けられなかった。だがとっておきの秘策を考え出したのは事務室の友江だった。松次郎が眠っているうちに体を縛りつけ、その間に注射と薬を済ませるのだ。そんな努力の甲斐もあって彼は見る見るうちに回復した。馬が合う友江とは逆に婦長とはそりが合わず、からかったことが原因で5人は強制退院させられた。仲間の4人とは違い職も住むところも失った松次郎は病院の空き部屋で寝泊まりすることにした。

港には外国船の入港もあって街は船員たちの遊び場になっていたが、それを利用していかがわしいアルバイトに手を出していたのはボイラーマンの金太だった。娼婦の若松ローズを船員に紹介し、空き部屋をホテル代わりに使わせて斡旋料をいただくのだ。ある夜、斡旋することに成功した金太だったが、値段が高いと船員のビリーが騒ぎ出しそれに気づいた婦長が部屋を覗いた。すると船員は彼女をローズと勘違いし、そこに目を覚ました松次郎が加わったことで大騒動になった。鬼ころしの松と牛殺しのビリーとの対決は果たして松次郎に軍配が上がった。警察の取り調べでビリーが金の運び屋として国際警察のお尋ね者であることがわかると、松次郎は一躍時の人となった。

屋台的映画館

日本沈没(1973年)

  • posted at:2018-05-09
  • written by:砂月(すなつき)
にほんちんぼつ
東宝映画=東宝映像
配給:東宝
製作年:1973年
公開日:1973年12月29日 併映「グアム島珍道中」
監督:森谷司郎
製作:田中友幸 田中収
原作:小松左京
脚本:橋本忍
撮影:村井博 木村大作
音楽:佐藤勝
美術:村木与四郎
録音:伴利也
照明:佐藤幸次郎
監督助手:橋本幸治
編集:池田美千子
スチール:石月美穂
現像:東洋現像所
協力:日本海洋産業株式会社
製作担当者:森知貴秀
特殊技術・撮影:富岡素敬
特殊技術・美術:井上泰幸
特殊技術・照明:森本正邦
特殊技術・光学撮影:宮西武史
特殊技術・合成:三瓶一信
特殊技術・操演:松本光司
特殊技術・監督助手:田渕吉男
特殊技術・特殊効果:渡辺忠昭
特殊技術・スチール:田中一清
特殊技術・制作担当者:篠田啓助
整音:東宝録音センター
効果:東宝効果集団
特別スタッフ:竹内均 奈須紀幸 大崎順彦 諏訪彰
特技監督:中野昭慶
出演:小林桂樹 丹波哲郎 藤岡弘 いしだあゆみ 中丸忠雄
シネマスコープ カラー 140分

小笠原諸島北方の無人島が一夜にして水没するという怪現象が発生し、海洋開発興業所属の深海調査艇「わだつみ」が現地に派遣されることになった。わだつみに乗り組むのは操艇者の小野寺俊夫の他に、地球物理学者の田所雄介博士と助手の幸長信彦助教授だった。海上保安庁の巡視船が現地に着くとデリックで吊り上げられたわだつみは静かに海面に降ろされた。

調査の様子はVTRに収められ、その道のスペシャリストが集う巡視船の一室で公開された。海底に見られる裂け目は火口形成後に起きた二次的な原因の崩壊で出来たものではないかと考えられた。こうした海底はその先も続き、やがてリップルマークと呼ばれる漣痕が現れ火山岩や火山弾が露出していた。海底泥土がつい最近激しく動いたようだと技官が言うと、匍行というよりは地滑りだと別の技官が言った。そうなると島が沈んだ原因は火山活動でなく地滑りということになるが、何故それが海底の広範囲で起きたのかは謎だった。地滑りの原因が海溝にあるのではないかと考えた田所はその箇所を自分の目で確かめることにした。翌日、日本海溝の底8740メートルまで潜ると、南から北へ激しい底流があったことが確認された。そして東西へ走る古いリップルマークも。このままの深さで船首に対し右7度の方角へ動かせるかと田所が尋ねると小野寺は返事をする間もなく操縦を行った。するとその先には化け物のようなナメクジが這ったような溝があったのだ。田所が目を凝らして調査を行っていると突然の衝撃で船体が揺れた。溝は泥雲の前で消滅しており、視界が悪くなる中わだつみがそこへ着くと田所は停止を命じた。そして小野寺が水中照明弾を発射して海底の様子が明らかになると田所は興奮し、水温、密度、塩分濃度を測定するための下降を命じた。小野寺と幸長は顔を見合わせたが、逆らえないと悟りいつでも上昇出来る状況を整えて指示に従うことにした。再び揺れが襲い、海底密度に飛躍層があると田所は言った。続いて幸長は流れが南から北で通常の海溝底流とは反対だと言った。密度は1.053、多量の重金属が混じっていることで塩分濃度は海水密度の最大値を上回っていたのだ。小野寺が照明弾を再び発射すると深海底で乱泥流が起こっていることが見て取れた。しかもそれは日本列島の地殻の海溝崖から噴出しているのだ。田所は世界最大の日本海溝の底で何かが起こりかけているんだと呻くように言った。

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