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色情海女 ふんどし祭り

  • posted at:2019-02-22
  • written by:砂月(すなつき)
しきじょうあまふんどしまつり
にっかつ
配給:にっかつ
製作年:1981年
公開日:1981年6月26日 併映「未亡人の寝室」
監督:藤浦敦
プロデューサー:村井良雄
企画:進藤貴美男
脚本:伴一彦 藤浦敦
撮影:水野尾信正
照明:野口素胖
録音:福島信雅
美術:中澤克巳
編集:山田真司
音楽:甲斐八郎
助監督:上垣保朗
色彩計測:森島章雄
現像:東洋現像所
製作進行:桜井潤一
出演:安西エリ 江崎和代 青野梨魔 マリア茉莉 沢木美伊子
アメリカンビスタ カラー 69分

過疎化の波は房総の漁村にも押し寄せていた。若者のほとんどは都会へ行き、残っているのは年寄と数少ない青年だけだった。そんな時に限って豊漁が続いたが、肝心の海女が不足しているため指をくわえて見送るしかなかった。頭を悩ました村長の井本信吉は、息子の信夫に東京へ行った若い娘たちを連れ戻すよう命じた。そしてその条件として予算に糸目をつけないことと、それでもダメなら色仕掛けを使ってもいいことを提示すると、当初嫌がっていた信夫は態度を急変させた。

信夫が苦労して集めたのは、女子大生の根上雅代、元陸上自衛官の西本知子、カメラマンの中西三紀、元風俗嬢の大沢明美、元客室乗務員の村田翠の5人だった。村の海女は漁業組合の森田組合長の妻・玉枝しかいないことから、彼女は早速5人を浜に集めると特訓を行った。そして夜は村長が小料理屋で歓迎会を開いて労をねぎらった。信夫は東京で連れ戻しの活動をしているときに翠と恋仲になり結婚の約束までしていたが、それまで村では小料理屋いそぎんちゃくの女将・北野多恵の娘の尚とつき合っていた。二人がいちゃつく姿を目の前で見せられて嫉妬した尚だったが、小屋に呼び出した信夫からこれにはいろいろと訳があると言って体を摺り寄せられると抵抗出来なかった。

翌朝、雅代は住職の一休のもとへ向かい、卒論のテーマとして選んだ村の歴史について教えて欲しいと言った。それを聞いた一休は快く引き受けたが、古文書は門外不出であるため書庫で調べ物をしなさいと念を押した。雅代は古文書をめくるうちに女性がふんどしをする風習があり、大漁を祝うために海女たちがふんどし一丁で寺に参る祭りがあることを知った。そのことを村長に伝えると、彼は復活させれば何か御利益があるかもしれないと考えた。森田も海女のふんどし姿を一目見ようと釣り客や観光客が増えると言い出したことで話はトントン拍子に決まり、村長は信夫に祭りの責任者をやるよう命じた。だが彼はそれどころではなかった。信夫と尚が長い間、夫婦同然でいたことを翠に知られてしまったからだ。三角関係となった信夫は今後どちらと添い遂げるか決められずにいたが、結婚の約束が連れ戻しの口実として使われたと誤解されたことで頭を悩ませていたのだ。考え抜いた結果、信夫は翠を説得しに行くが、彼を手放したくない尚は海女になることに決めた。一方、多恵は尚が信夫にふさわしくないと考えていた。何故ならいつも信吉の言いなりで自分の信念を持たないからだ。

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徳川女系図

  • posted at:2019-02-19
  • written by:砂月(すなつき)
とくがわおんなけいず
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1968年
公開日:1968年5月1日 併映「前科者」
監督:石井輝男
企画:岡田茂 天尾完次
原作:岩崎栄
脚本:石井輝男 内田弘三
撮影:吉田貞次
照明:長谷川武夫
録音:野津裕男
美術:矢田精治
音楽:八木正生
編集:神田忠男
助監督:荒井美三雄
記録:石田照
装置:吉岡茂一
装飾:柴田澄臣
美粧:佐藤宇之助
結髪:西野艶子
衣裳:豊中健
舞踊振付:藤間勘眞次
進行主任:俵坂孝宏
出演:吉田輝雄 三浦布美子 御影京子 三島ゆり子 有沢正子
シネマスコープ カラー 89分

五代将軍綱吉の頃の江戸城。場内には御鈴廊下という通路があり、将軍の生活の場である中奥のその先に御錠口の御杉戸を境として男子禁制の大奥があった。将軍の出入りの際に鈴が鳴らされるが、奥女中たちの関心は今宵誰が指名されるかだけであり、寵愛に漏れた女たちの鬱積は日に日に大きくなって行った。例年正月十六日の夜、奥御膳所で行われる女たちだけの無礼講、新参舞で彼女たちはその鬱積を爆発させた。その様子を遠眼鏡で覗き見た綱吉は、内股に黒子がある女中を気に入り指名した。それが万里小路の御末おみつだとわかると中年寄の雪岡は悔しがった。ところがおみつは誤って御鈴を鳴らしてしまい、雪岡たちから責められた。すると騒ぎを聞きつけてやってきた万里小路は、京では大きな失態でも不問に付すのかと問われたことで火がつき、納得行く成敗として女の命である黒髪を切ることで罪を償うと啖呵を切った。だがその時に御鈴が鳴り、事情を知った綱吉は不憫であるからこの者を咎めるでないと釘を刺したのだった。その優しさにおみつは身分の差を承知しながらも密かに心を燃やしていたが、ある日ついに声が掛かったのだ。万里小路は身支度を整えたおみつに心してお仕えしなさいと説いたが、面白くなかったのは綱吉の愛妾常盤井だった。彼女は水無瀬中納言の娘であり、公方が教養のない半端者に取られたことが悔しくてならなかった。そんな常盤井の気持ちを察した奥女中たちは、気を静めるために庭へ出たおみつを拉致すると小部屋へ連れて行った。そしてお勤めが出来ぬよう秘部に蝋燭を押しつけたのだった。そうとは知らない綱吉は万里小路のもとからきたおちかを蔦の間に招いた。翌日、城内を散歩していた綱吉は寵愛しているのが内股に偽黒子をつけたおちかであり、おみつには暇が出されたことを偶然耳にした噂話で知った。自分が騙されていることはわかったが、万里小路の指図にしろおちかを強く咎めれば一存として自害することは目に見えていた。この出来事から綱吉は自分が政治の飾り物なのではないかと考えるようになった。

ある日、お伝の方は綱吉を喜ばせようと女相撲大会を催した。当初綱吉は興味本位で見ていたが、呆れた御台所信子が席を外したため、彼女の気持ちを察して自分も抜けようとした。するとお伝の方が呼び物の女中が出てくると言ったため、もうしばらくつき合うことにした。土俵に見立てた布団に上がったのはお伝の方部屋付きのおきぬで、あっという間の五人抜きで優勝した。だがその様子に黙っていられなかったのは雪岡の部屋付きのおさよで、その豪快な投げっぷりに魅了された綱吉はその夜、蔦の間に招いた。そして彼女を近くへ呼び寄せると相撲を取り始めたのだった。そのうちに自分を本気で投げようとするおさよこそ将軍という権威を越えて心のふれあいをしてくれる女かもしれないと思った。

屋台的映画館

悲愁物語

  • posted at:2019-02-15
  • written by:砂月(すなつき)
ひしゅうものがたり
松竹=三協映画
配給:松竹
製作年:1977年
公開日:1977年5月21日 併映「雨のめぐり逢い」
監督:鈴木清順
製作:梶原一騎 藤岡豊 川野泰彦
プロデューサー:川野泰彦 野村芳樹 浅田健三
原案:梶原一騎
脚本:大和屋竺
撮影:森勝
照明:小林秀之
録音:大橋鉄矢
美術:菊川芳江
編集:鈴木晄
記録:津田のり子
助監督:斉藤信幸
色彩計測:田村輝行
製作担当:秋田一郎
音楽:三保敬太郎 とみたいちろう
主題歌:「戻っておくれ」とみたいちろう
製作宣伝:東京プランニング
協力:第五回ワールド・レディース ゴルフトーナメント 川越初雁カントリー・クラブ
現像所:東映化学工業
録音スタジオ:アオイ・スタジオ
製作補:島田十九八
キャスティング:西岡昭
協力:デサント カントーグループ
美容家:山野凱章
出演:白木葉子 原田芳雄 岡田真澄 和田浩治 佐野周二
シネマスコープ カラー 93分

東欧の花と称された女子体操のエースのイレーナ・チブルスキーは引退後、繊維メーカー極東レーヨンの専属モデルとなった。スカウト競争に敗れたライバル会社の日栄レーヨン社長・井上はIOCやソ連に働き掛けて彼女の訪日を妨害する作戦に打って出た。それと同時に企画室長の森を呼び出すとチブルスキー以上のタレントを見つけ出すよう命じた。社長の命令は絶対であり、外国人タレントを対抗馬として立てても勝ち目がないことから森は今までの方針を転換し純日本人で行くことに決めた。森から待機を命じられたCMディレクターの古沢がファッションコーディネーターの田所圭介のところへ相談に行くと、ゴルフは出来るかと田所は言った。彼が目をつけていたのは桜庭れい子というプロゴルファーだった。芦屋カントリー・クラブでキャディーをしていたことから高木プロに才能を認められ、昭和51年の高木引退時に上京しプロ入りと同時に女子プロ新人王を獲得した。初雁カントリー・クラブに所属するれい子は抜群なプロポーションの持ち主だがパンチに欠けていた。より彼女のことを知るために田所は週刊ゴルフダイジェスト編集長の三宅精一と連絡を取りゴルフ場に出掛けた。三宅が書いたれい子の記事は個人的な感情がなければ表せないような内容だったため、恋人ではないかと当たりをつけたのだ。田所としてはれい子に日本選手権のタイトルが必要だった。だが実力はそのレベルに達しておらず、そんな彼女が奇跡の優勝を果たせば注目度が一気に上がるのだ。そこで田所はまず300万円の前金を渡し、優勝すれば3000万円の契約を結ぶ条件を三宅に提示した。

三宅はれい子のコーチに高木を指名した。高木は日本女子プロゴルフ選手権が行われるコースを体感で覚えさせると、翌日は悪天候でも対処出来るように巨大扇風機の前でボールを打たせた。その翌日は人工雨とハードなトレーニングは続き、昼夜問わず一日1600球を欠かさず打った。特訓の間に撮ったグラビアの効果もあって選手権は予想以上の注目度となり、会場には多くのギャラリーが詰め掛けた。序盤は5位と出遅れたが徐々に順位を上げ首位の所恵子に肉薄した。ところが最終ホールでバンカーに捉まり、更に体力も限界を超えて倒れたが、最後の気力を振り絞って立ち上がると渾身のショットを放った。ボールはカップに吸い込まれ、土壇場で逆転優勝を決めた。その結果、れい子の人気は爆発し日栄レーヨンの小売店からは本社へポスターの催促が相次いだ。この状況に上機嫌の井上は優勝パーティーに出席することに決めた。一方、田所は三宅に電話を掛けゲスト出演以外の番組を全て断るように言った。翌月からテレビの新番組がスタートするため、れい子の希少価値を高めるためにメディアへの露出を控えるようにしたのだ。そのような工作によって彼女は日栄レーヨンと専属契約を結び多額の契約金を手に入れた。中学生の弟と住むための大邸宅を郊外に構えたれい子だったが、周辺で暮らす主婦たちからは妬まれた。

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さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち

  • posted at:2019-02-11
  • written by:砂月(すなつき)
さらばうちゅうせんかんやまとあいのせんしたち
オフィス・アカデミー
配給:東映洋画
製作年:1978年
公開日:1978年8月5日 
監督:松本零士 舛田利雄
製作:西崎義展
総指揮:西崎義展
プロデューサー:吉田達
アニメーション・ディレクター:勝間田具治
原作:松本零士
原案:西崎義展
総設定:松本零士
脚本:舛田利雄 藤川桂介 山本英明
企画:西崎義展
撮影:諌川弘 吉坂研一 藤田正明 山崎友正
音楽:宮川泰
主題歌:「ヤマトより愛をこめて」沢田研二
衣装デザイン協力:花井幸子
テクニカル・ディレクター:石黒昇
助監督:棚橋一徳
絵コンテ:安彦良和
総作画監督:湖川滋
作画監督:小泉謙三 荒木伸吾 芦田豊雄 宇田川一彦 落合正宗
美術設定:辻忠直
美術監督:勝又激
共同デザイン:スタジオぬえ
編集:千蔵豊
SF設定協力:豊田有恒
声の出演:富山敬 麻上洋子 納谷悟朗 仲村秀生 青野武
アメリカンビスタ カラー 155分

西暦2201年、宇宙空間に出現した白色彗星は進路上にある邪魔な障害物を次々と飲み込み粉砕して行った。またそれを利用した前衛艦隊が植民地となりうる惑星に対して攻撃、侵略を行い、そこに住む人々を奴隷にした。新たな恐怖が宇宙を席巻していたが、地球はまだそのことを知らなかった。放射能による汚染を取り除き本土の再建を果たした地球は、連邦政府を樹立し平和と繁栄の道を進んでいた。開発の勢いは太陽系の他の惑星にまで及び各惑星に基地が置かれた。資源の開発は急ピッチで行われていたが、その資源を輸送する第15輸送補給船護衛艦隊の護衛艦艦長を務めていたのは、宇宙戦艦ヤマトの艦長代理としてイスカンダル星から「放射能除去装置 コスモクリーナーD」を持ち帰った古代進だった。地球への帰途の際、地球防衛軍司令部へ定時報告を行おうとしたが通信障害によって妨害された。そのときに微弱な通信音を傍受したが、それが何を意味するのか誰にもわからなかった。

空港に降り立った進は帰りを待つ恋人の森雪と再会した。二人には三日後に行われる結婚式が待っており、雪の頭の中は結婚後の生活のことでいっぱいだった。浮かれる彼女に呆れながらも進は復興して行く街の姿と自分たちの未来を重ね合わせていた。その日はヤマトの艦長を務めた沖田十三の命日であり、夕暮れに合わせてかつてのクルーが集まり献花を行うことになっていた。そして日が暮れると今では別々の部署に配置された同僚が一堂に集まったこともあって親睦を深めた。そこへテスト航海から帰ってきた新造戦艦アンドロメダが上空を通過してムードをぶち壊したため、酔っ払った連中は罵声を浴びせた。

翌日、火星付近を通過中に傍受した通信音の話を科学局に勤める真田志郎にすると、ある事象との関係性を疑った彼は直ちに解析を行った。突然三日前から太陽系付近に彗星が現れ、観測史上初めて地球に接近していた。一方、解析後のあの通信音は、発信源は不明だが救いを求める声であることがわかった。想像出来ないような宇宙の異変を知らせるメッセージではないかと進が言うと、その意見に同調した真田は防衛会議に議題として提出した。だが参謀総長は防衛軍の力であれば問題ないと一蹴し、準資格者に批判する権利はないと進を怒鳴りつけた。会議後、旧地球防衛軍司令部に集まった元ヤマトのクルーが意見をぶつけ合っていると司令長官が現れ、ヤマトの廃艦が決まったことを伝えた。そして進には木星ガニメデへの出向、元航海班長の島大介には火星基地への出向を命じた。14万8千光年の旅の中で多くの命を失い、宇宙全体の平和がなければ地球の幸せはないことを学んだ進は、その平和を守るためにヤマトがあると信じていた。長官が去った後で進がそのことを力説すると、真田は懲罰を食らってでも行くべきだと言った。すると皆その意見に賛成したが、島は首を縦に振らなかった。そして雪も複雑な表情を見せていた。

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こまどりしまいがやってくるやぁやぁやぁ
アルタミラピクチャーズ
配給:アルタミラピクチャーズ
製作年:2009年
公開日:2009年10月31日
監督:片岡英子
製作:桝井省志
プロデューサー:土本貴生 山川雅彦
撮影監督:長田勇市
編集:村上雅樹 宮島竜治
録音:郡弘道
タイトルデザイン:赤松陽構造
製作主任:井手浩一朗
企画協力:こまどり音楽事務所 西原義治
撮影:志賀葉一
協力:遠藤実 石本美由紀
製作協力:アルタミラミュージック
出演:長内栄子 長内敏子 渥美二郎 内海桂子
アメリカンビスタ カラー 71分

今日も日本の何処かで歌っているこまどり姉妹。長年芸能界で活躍する裏で、彼女たちは数知れぬ苦労を重ねてきた。昭和13年、釧路の家に生まれた双子の姉妹・長内栄子と敏子は、父親が炭鉱夫ということのあって様々な炭鉱町を転々とした。2歳のときに樺太へ渡ったが、その時は日本が景気のいい時期だったこともあり裕福な生活を送った。太平洋戦争の終結によって7歳のときに日本へ引き揚げることになったが、国内は混乱しており父親は職にありつけなかった。小樽の銭函へ移ったときに父親が結核で倒れ、母親が生活のためにヤミ米の担ぎ屋として働いた。だが度々留置場へ入れられることもあり、腹を空かせた栄子たちはよそ様の畑から野菜を拝借するなどして飢えをしのいだ。学校生活では給食代を払えないため、腹いっぱいで食べられないというような素振りをして運動場で時間を潰した。借金取りに泣きながら謝る母親の姿を見た二人は早く大きくなって親孝行をしたいと思うようになった。だが11歳のときに家賃が払えず家族で夜逃げをしたことで、二度とその地を踏むことはなかった。大楽毛に移り住むとうなだれる父親を叱咤する母親は日銭を稼ぐために自ら門付芸人として歌で家々を回った。ところがある家の前で歌ったときに、後ろで立っている双子が歌えばお金をあげると言われたため、空腹の栄子と敏子はやむを得ず初めて人前で歌った。その後、流しの老人の勧めで帯広に移り飲食街で修業を積んだ。

昭和26年2月、13歳のときに上京し一番安い家賃として紹介された浅草山谷に住んだ。町にはアルコール中毒者やヒロポン中毒者がいたが、そうはなるまい、早く町から抜け出したいという一心で仕事を続けた。双子という珍しさもあってあちこちから声が掛かるようになると、妬んだ同業者から嫌がらせを受けるようになった。だが三味線を弾くなら流しを続けてもいいと言われたため経験はないもののやることにした。努力が実を結び売り上げが一日4、5千円になると、管理する両親がその中から家賃と食費を差し引いた残りを全て渡したことで二人は俄然やる気を出したのだった。16歳の頃になると三味線と踊り専門でお座敷に呼ばれるようになった。そのきっかけは、このまま流しを続けても先が見えていると感じたからだった。流しを辞めたいと相談すると両親は収入が途絶えてしまうと言って泣いた。それを見た二人は0が増える芸人になるから信頼してついてきて欲しいと必死になだめた。その頃は子供の歌手が注目される時代であり、そこに目を付けた父親はマネージャーとなって二人をレコード会社や映画会社に連れて行った。流しだったことをバカにされ芸能界に入るまいと考えた栄子たちだったが、勘当の手紙を青森の親戚から送られた父親の寂しい背中を見たことで、何とかして世の中に名前を知らせなければと思うようになった。昭和34年、21歳のときにコロムビアに入社し「浅草姉妹」で念願のレコードデビューを果たした。デビュー当時の芸名は「並木栄子 葉子」だったが、担当ディレクターがそれでは漫才コンビみたいだと言ったことで新しい芸名を一般公募することになった。美空ひばりにあやかって鳥の名前をつけたいと考えていた二人は3千通以上の葉書の中から「コマドリ」と「駒鳥」を見つけ出し、「こまどり姉妹」という名に決めた。そして4月に発売した「ソーラン渡り鳥」は空前のヒットとなった。

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