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君は恋人

  • posted at:2015-09-16
  • written by:砂月(すなつき)
きみはこいびと
日活
配給:日活
製作年:1967年
公開日:1967年11月3日 併映「赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男」
監督:斎藤武市
企画:水の江滝子
脚本:若井基成
撮影:山崎善弘
照明:大西美津男
録音:高橋三郎
美術:坂口武玄
編集:近藤光雄
助監督:樋口頴一
色彩計測:畠中照夫
現像:東洋現像所
製作担当者:長谷川朝次郎
音楽:中村八大 小野崎孝輔
主題歌:「君は恋人」浜田光夫
主題歌:「旅に出るなら」浜田光夫
挿入歌:「愛につつまれて」舟木一夫
挿入歌:「いつか何処かで」ジャニーズ
挿入歌:「さすらい」克美しげる
挿入歌:「愛すればこそ君に」克美しげる
挿入歌:「君に捧げん」荒木一郎
挿入歌:「いとしのマックス」荒木一郎
挿入歌:「アヒルの行進」ザ・スパイダース
挿入歌:「バン・バン」ザ・スパイダース
挿入歌:「恋のハレルヤ」黛ジュン
協賛:ヨット鉛筆株式会社
出演:浜田光夫 和泉雅子 克美しげる 林家こん平 戸田皓久
シネマスコープ カラー 93分

重傷を負った俳優・浜田光夫の復帰記念として、映画会社は彼を主役にした映画「君は恋人」を製作することになった。久しぶりに撮影所へやってきた彼をスタッフや俳優たちは温かく迎えた。メイクを終えスタジオに入ると、映画監督の石崎はリハーサルに参加するよう指示し、ブランクを感じさせない演技に満足すると本番の撮影に入ったのだった。

歌舞伎町の小路を歩いていた矢代光夫は、とんかつ屋・とん吉から出てきたトン坊とぶつかって出前を台無しにしてしまい、食い逃げで捕まった山川とともに皿洗いで弁償することになった。店員の雅子は仕事を終えた光夫に引き続き見習いコックとして働くことを薦めたが、彼はこんなゴキブリ臭いところに潜り込むぐらいだったらガタボロでも旋盤にしがみついてるよとつれない返事をした。そしてどうして工員を辞めたのかとしつこく聞いてくる雅子におせっかいだと釘を刺し、これで貸し借りなしだぞと出て行った。光夫が向かった先はバー・とまり木だった。そこで待っていたのは石戸興業の社員のこん平で、事故で遅くなったと言い訳する光夫に今夜の仕事がふいになったと激怒した。遅れた分を取り返すのでやらしてくださいと光夫が懇願すると、こん平は一束の名刺大のビラを渡した。光夫が請け負ったのはこの「今晩おひま?」と書かれたピンクビラを停めてある車のワイパーに挟んで回る仕事だったが、こん平が間違ってパトカーに挟んだことで二人は警官に追われる羽目になってしまった。翌早朝まで飲んでに帰宅した光夫が昼まで寝ていると、母親のさちが仕事に出かけることを告げるために起こしに来た。さちは昨日、職場からの帰りに工場長とバッタリ出会い、光夫が工場を辞めたことを知って驚いたのだ。なぜ相談してくれなかったのかと問いただすと、俺が思いついたことに反対されたくなかったのさと光夫は答えた。彼が兄貴と呼ぶ人物がヤクザであることがわかると、さちはヤクザなんて人間の屑だと言った。それを聞いた光夫は、旋盤工の方が屑さと言い返した。旋盤工として働いていた彼の父は交通事故であっけなく死んだ。そのことから光夫は石戸組に入って中幹部になり、贅沢な生活をすることを夢見ていた。だが組に入るにはそれなりの成果が必要なことから、こん平の手伝いをしながらチャンスを待っていたのだ。その石戸興業の社長・石戸は組織暴力団としてではなく健全なサービス業としての新たな経営方針を考えていたため、石戸組と呼ばれることをひどく嫌った。だが大野専務ら重役は、下がっている営業成績を立て直すには旧体制を復活させて社員を鍛え上げ、組織を叩き上げなければならないと考えていた。深江組の親分が出所するという噂があり、それが現実となれば石戸がバラされシマが乗っ取られる可能性があるのだ。大野たちは同業の会合でラスベガスへ行くという石戸を送り出すと、部下に深江を消させる計画を立てた。

シナリオライターの赤井はストーリーに行き詰って頭を抱えていた。撮影中に脚本を勝手に変更されたことで辻褄合わせをしなければならなくなっていたのだ。籠りっきりになっている赤井を心配した妹が部屋にコーヒーを届けると、彼は気分転換のためにボウリング場へ出かけた。

屋台的映画館
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温泉あんま芸者

  • posted at:2015-09-11
  • written by:砂月(すなつき)
おんせんあんまげいしゃ
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1968年
公開日:1968年6月28日 併映「帰ってきた極道」
監督:石井輝男
企画:岡田茂 天尾完次
脚本:石井輝男 内田弘三
撮影:吉田貞次
照明:北口光三郎
録音:溝口正義
美術:矢田精治
音楽:八木正生
編集:神田忠男
助監督:本田達男
記録:石田照
装置:稲田源兵衛
装飾:山田久司
美粧:久斗敏厚
結髪:横田三佳代
衣裳:豊中健
振付:藤間勘真次
進行主任:俵坂孝宏
協力:琵琶湖汽船 亀岡ジャングル温泉 石川県粟津温泉
出演:吉田輝雄 橘ますみ 三島ゆり子 三原葉子 應蘭芳子
アメリカンビスタ カラー 89分

ある温泉の旅館・鶴亀荘で二つの芸者グループが火花を散らしていた。一方は舞、唄、三味線など芸事が出来る「温泉芸者」。そしてもう一方は昼間にマッサージ師として働く掛け持ちの芸者だ。座敷ではなく寝床で芸を披露する彼女たちを、温泉芸者は蔑んで「あんま芸者」と呼んでいた。ふた組は宴会場に通されると、温泉芸者の中で一番人気の金太郎が舞踊を披露し宿泊客の喝采を浴びた。するとあんま芸者の富丸たちはゴーゴーダンスで邪魔をするのだった。お気に入りの金太郎がコケにされたことでおもしろくない野毛親分は野球拳で勝負を決める提案をした。30人を超える壮大な野球拳の噂は館内に瞬く間に伝わり、興奮は最高潮に達した。

翌日、疲れて舟を漕ぎながらあんまする富丸に、宿泊客の黒島はどんな職業でも努力しなければ出世は出来ないぞと説教した。彼は汲み取り業者の社長で、発注先選定で便宜を図ってもらうために市の職員が慰安旅行を行っている旅館に先回りしたのだ。実業家として命を懸けた勝負のときなのだが、肝心の芸者が他の団体客と重なって手配することが出来ず頭を悩ませていた。そこへやってきた番頭は、もしよろしければお勧めできるシステムがございますと耳打ちした。本物の芸者よりも線香代が安く、マッサージからその他のアフターサービスまでつく芸者がいることを話すと、そういういいことを早く言わんかと黒島は飛び起きた。そこは富丸が所属するあんま芸者の置屋・浜中だった。宴会が始まり芸者たちとともに偶然を装って黒島が入ってくると、清掃部長の品川は怪訝な顔をした。黒島はいつもお世話になっているのだから野暮なことは言いっこなしですと煙に巻き、バキューム車9台分ぐらいのもんですからとさりげなく言った。するというと品川は商売のことを言うなんて野暮だと逆に返した。千代のことが気に入った品川の願いを叶えるためアフターサービスが出来る様、黒島は番頭に掛け合ったが、彼女だけは身が堅くてそれが出来ないことを知り困り果てた。急遽紹介してもらった雛奴をあてがうことにしたのだが、くじで品川が引いたのはガス臭い富丸だった。彼女は力むとおならをしてしまう癖があるのだ。品川は君の商売と関係あるんじゃないのかと黒島にクレームをつけ芸者を交換した。ところがその娘も冷えるとお腹を壊しやすいという欠点を持っていた。

一泊した黒島たちを見送るために港に集まったあんま芸者たち。すると到着したフェリーから降りてきたのは、富丸の恩師の横谷だった。彼女は横谷をいち早く見つけると、積もる話がたくさんあるから桟橋で待っててと告げ宿泊客たちを見送った。富丸は横谷が妻との結婚生活に絶望して逃げてきたことを知ると、御恩返しをさせてもらうから何でも言って欲しいと胸を叩いた。

屋台的映画館

もらとりあむタマ子

  • posted at:2015-09-06
  • written by:砂月(すなつき)
もらとりあむたまこ
エムオン・エンタテインメント=キングレコード
配給:ビターズ・エンド
製作年:2013年
公開日:2013年11月23日
監督:山下敦弘
プロデューサー:齋見泰正 根岸洋之
脚本:向井康介
撮影(秋・冬篇):芦澤明子
撮影(春・夏篇):池内義浩
照明(秋・冬篇):永田英則
照明(春・夏篇):原由巳
美術:安宅紀史
録音:小宮元 岩丸恒 中山隆匡
整音:岩丸恒
編集:佐藤崇
スタイリスト:篠塚奈美 馬場恭子
ヘア・メイク:木村友華 望月志穂美 大島美保
助監督:長尾楽 渡辺直樹 窪田祐介
ラインプロデューサー:濱松洋一 原田耕治
アソシエイトプロデューサー:石井稔久
主題歌:「季節」星野源
制作プロダクション:マッチポイント
出演:前田敦子 康すおん 伊東清矢 奈良木未羽 萩原利映
アメリカンビスタ カラー 78分

東京の大学を卒業し甲府の実家に戻ってきたものの、就職もせず、家業のスポーツ用品店も手伝わず、毎日ゴロゴロして過ごしている坂井タマ子。起きているときはマンガかゲーム。ニュース番組を見ながらの食事では「ダメだな、日本は」といつも毒づいた。家事は父・善次が一手に引き受け、雑用はじゃんけんで決めている。季節は秋になってもその生活リズムは変わっていなかった。ある日、善次が出かけているときに客がやって来た。その客は前日に母親とバスケットシューズを注文しにきた中学一年生の仁で、先輩よりも高い物を身につけていると具合が悪いから商品を変更したいというのだ。タマ子はカタログを見ながら仁の気に入りそうな物を一緒に選ぶことにした。その夜、夕食時にニュース番組を観ながら悪態をつくタマ子に、善次は日本がダメなんじゃなくてお前がダメなんだと怒鳴った。滅多に荒げない善次の声に驚いたタマ子は、しばらく考えてから「少なくとも今ではない」と静かに答えた。

大晦日にもなると坂井家も新年の準備で大忙しとなっていた。善次は店の片付けや床の掃除を行い、自主的に動くようになったタマ子は買い物に出かけた。用事を終えた彼女が近所の商店から出てくると、仁が同級生の女の子と仲良さげに帰宅していた。自分をじっと見ていることに気付いた仁が目をそらすと、タマ子はにやにやしながら何度も振り返ってその場を去った。その夜、タマ子が紙に落書きをしながら年越しそばが出来るのを待っていると、善次の義姉・よし子がおせちを届けにきた。よし子は帰省することになっているタマ子の姉の顔をついでに見て帰るつもりでいたが、夫の都合で出発が遅くなると聞き残念そうに帰って行った。そばが出来上がると二人は早速食べ始めたが、携帯電話をいじるのを止めようとしないタマ子に善次はどちらかにしろと注意した。するとタマ子は、年が明けたが繋がらなくなるから今のうちに新年のメールを送っておくのと言った。それを聞いた善次は、その機転を就職活動に活かしてくださいよと嫌味っぽく言った。体が温まりこたつでうとうとするタマ子。夢に驚いて目覚めるがまだ姉は帰ってはいなかった。お母さんからも連絡ないねとさりげなく言うが、善次はゆく年くる年を観ながらそっけなく「そう」とだけ答えた。タマ子が離婚した母と先月電話でしゃべったことを話していると姉夫婦が帰って来た。

春、タマ子は美容院で髪を切った。だが家に帰って鏡を見ると、自分のイメージとはかけ離れていたため舌打ちした。彼女は自室にこもると履歴書を書き始め、夕食は父親が作ったものではなくカロリーを意識したものを自分で用意した。食事中に面接用の服が欲しいと言われた善次は、ついに来るべき時が来たと思いあっさりと承諾した。

屋台的映画館

マッハ’78

  • posted at:2015-08-27
  • written by:砂月(すなつき)
まっはななじゅうはち
松竹=三協映画
配給:富士映画
製作年:1978年
公開日:1978年2月25日
監督:スタンリー・ウイルソン 三保敬太郎
製作:梶原一騎 川野泰彦
企画:川野泰彦 黒子昭
脚本:スタンリー・ウイルソン 三井優
製作補:島田十九八
撮影:木村公明 トム・アンダーソン デビッド・オリバー
照明:島本晄
録音:瀬川徹夫
編集:白江隆夫
美術:リチャード・ハイマー
効果:帆苅幸雄
助監督:ジェームズ・ブラント
スチール:遠藤努
撮影助手:竹沢信行 渡辺忍
録音助手:浅利公治
編集助手:田所美知夫
記録:キャロル・ストーン
美粧:エミール・ホルブルック
衣裳:ジョン・ライト
スタイリスト:チャーリー・シムリン
協力:ロングビーチ市 ロングビーチ観光局 マリナ・デル・レイ ペブルビーチ・コーポレイション
製作協力:プロダクション・フォーテイ
現像所:CFI 東映化学工業
録音所:アオイ・スタジオ
製作宣伝:東京プランニング
音楽:三保敬太郎 ウイリアム・スミティ・スミス
主題歌:「ラブ・ラブ・ラブ」ウイリアム・スミティ・スミス
挿入歌:「グッド・バイ」ウイリアム・スミティ・スミス
出演:リンダ・スティヤー 黒子昭 大友千秋 シェリル・ワイド ハワード・西村
アメリカンビスタ カラー 102分

故郷のロスアンゼルスを旅行中だった大友千秋はカーアクション映画の撮影現場に出くわし、その様子を見学していた。すると東洋系のレーサーが契約はレーシングのみでスタントはやらないとごね出したのだ。スタッフは説得に当たるが、彼は契約書に書いていないの一点張りでついに職場を放棄した。自宅へ戻るために自分の車に乗り込もうとするレーサーを大友は呼び止め、ドラム缶クラッシュなんて簡単じゃないかと日本語で捲し立てた。彼はアングロサクソン系の顔立ちだが日本育ちということもあって英語が全くと言っていい程しゃべれなかったのだ。代役を買って出た大友はスタントを成功させ、大和魂がなければ出来ないんだと言った。

レーサーからクレージーと言われ闘志に火がついた大友は、黒子昭率いるクロス・レーシングチームの一員として日米対抗のスタントコンペティションに出場するために再び渡米した。観光気分でやってきた大友に待ち受けていたのは黒子による連日の特訓だった。チームで話し合いをしていると公式記録係のリンダが打ち合わせのためにやってきたが、大友は彼女の顔を見て思わず息を飲んだ。

スタントマンにとってジャンプすることは基本だが、大友たちはまず左ハンドルのアメ車に慣れなくてはならなかった。さらにアメリカチームは秘密主義を貫き、リンダでさえ立入禁止となっていたため相手方の情報が全く入ってこなかったのだ。練習を開始して10日が過ぎ、内容がエスカレートしてくると今度は車に故障が続出した。新しいタイヤがトラックを2、3周もしないうちにパンク、一方でエンジントラブル。練習どころではない忙しさに見舞われた。止まることなく動き回る大友の姿にリンダは惹かれて行った。だが声をかけると彼は逃げるように去って行くため、いつも悲しい気持ちにさせられた。黒子は休日にリンダを呼び出し、8年前に大友が起こした交通事故で帰らぬ人となった姉のことを話した。リンダは彼女と瓜二つなのだ。君を見ると辛い思い出が蘇るんだと黒子が言うとリンダは納得した。

屋台的映画館

霧の旗(1965年)

  • posted at:2015-08-25
  • written by:砂月(すなつき)
きりのはた
松竹
配給:松竹
製作年:1965年
公開日:1965年5月28日 併映「ぜったい多数」
監督:山田洋次
原作:松本清張
脚本:橋本忍
撮影:高羽哲夫
美術:梅田千代夫
音楽:林光
照明:戸井田康国
編集:浦岡敬一
録音:小尾幸魚
調音:佐藤広文
装置:川添善治
装飾:鈴木八洲雄
現像:東洋現像所
協力:菱一 東芝音楽芸能株式会社
助監督:杉岡次郎
渉外:中村興一
進行:吉岡博史
製作:脇田茂
出演:倍賞千恵子 滝沢修 新珠三千代 川津祐介 近藤洋介
シネマスコープ モノクロ 111分

熊本から夜行列車で上京した柳田桐子は、日本で指折りの高名な弁護士・大塚欽三を訪ねた。既定の弁護料を払えないという桐子の依頼を大塚は最初から断るつもりでいたが、遠方から来たこともあり会ってみることにした。熊本にもいい弁護士は大勢いるはずだと大塚が言うと、桐子は先生でなければ兄を救えないと思ったからですと答えた。そして殺人事件の被疑者となった兄・正夫のことを話そうとすると大塚は遮った。そして自分を頼りにしてやってきたことが間違いだと指摘し、九州にいる同等の弁護士に頼むことを薦めた。金銭的な問題と、多くの案件を抱えていることで地方出張が不可能であることを説明すると、桐子は諦めますと言って席を立った。そして帰り際に兄は死刑になるかもしれませんと言った。

列車に乗るために東京駅へ向かった桐子だったが、諦めきれずに事務所へ電話をかけた。だが大塚は愛人・河野径子とゴルフに出かけていなかった。それから約3時間後にもう一度電話をかけると、定時連絡があったときにそのことを話したがやはり引き受けられないと言ったと事務員の奥村から伝えられた。絶望して当てもなく歩く桐子に声をかけたのは、公衆電話の列に並んでいた論想社編集部の阿部幸一だった。幸一は優秀な弁護士を頼もうとするとひどくお金がかかり貧乏人はまともな裁判が受けられないということを例に挙げ、事件のことを聞き出そうとした。すると感付いた桐子は失礼しますとその場を去った。幸一は熊本の地方紙・肥後日報の東京支社を訪ね、新聞記事から事件の真相を探ろうとした。

生徒たちから集めた修学旅行の旅費を落とし、仕方なしに金貸しの老婆・渡辺きくから8万円を借りて旅行を済ませた。だがその金が中々返せず強欲なきくの返金の督促が激しくなったことから、思案に余りとうとう老婆を殺した。そして証拠の隠滅を図るために借用証書を盗み出し焼き捨てた。熊本市立白河小学校の教員・柳田正夫は警察の取り調べでそう自供したが、検察庁では翻したのだ。幸一は編集長の谷村にこの話を持ち掛けたが、たとえ大塚がこの事件を担当したとしても勝てる保証はないし、弁護士も商売だから金にもならないことに一々走り回るわけには行かないと聞く耳を持たなかった。それを聞いた幸一は、大塚個人を非難しているのではないと説明したが、正夫がクロである可能性が高いことと、九州出張の旅費に見合った成果があるとは考えにくいと谷村は却下した。

一年後、大塚の事務所に一枚の葉書が届いた。それは桐子からのものだった。葉書には正夫が一審で死刑の判決を言い渡されたこと、そして控訴中に熊本拘置所で病死したことが書かれてあった。奥村の説明で桐子のことを思い出した大塚は、熊本にいる堀田弁護士に連絡を取り、この事件の記録を担当弁護人から借りてもらうことにした。印象的な桐子とともに事件のことが頭から離れなくなり、真相を自分なりに洗ってみることにしたのだ。

屋台的映画館

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