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その後の仁義なき戦い

  • posted at:2021-12-19
  • written by:砂月(すなつき)
そのごのじんぎなきたたかい
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1979年
公開日:1979年5月26日 併映「俺達に墓はない」
監督:工藤栄一
企画:日下部五朗 奈村協
原作:飯干晃一
脚本:神波史男 松田寛夫
撮影:中島徹
照明:海地栄
録音:溝口正義
美術:佐野義和
編集:市田勇
助監督:鈴木秀雄
記録:梅津泰子
装置:稲田源兵衛
装飾:渡辺源三
背景:西村三郎
美粧:鳥居清一
結髪:白鳥里子
スチール:中山健司
衣裳:黒木宗幸
擬斗:土井淳之祐
宣伝担当:坂本年文 丸国艦
演技事務:寺内文夫
進行主任:山本吉応
協力:東映俳優センター
音楽:柳ジョージ&レイニーウッド
挿入歌:「偽りのバラード」松崎しげる
・・・:「私の歌」松崎しげる
・・・:「ア!ソウ」ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
・・・:「虫けらの唄」バーブ佐竹
出演:根津甚八 原田美枝子 宇崎竜童 松崎しげる ガッツ石松
アメリカンビスタ カラー 91分

北九州には竜野組と藤岡組の二つの組があった。竜野組は大阪石黒組の大幹部である浅倉組組長・浅倉広吉の盃を貰って系列に入った。石黒組は全国制覇中で各地に勢力を伸ばしており、石黒の代紋を入れたバッジを見ただけで他のヤクザは震え上がるほどであった。だがバックを持たない藤岡組は次第に圧されて落ち目となり、竜野組の縄張りとなった市内の盛り場を追われ土木業で食い繋いでいた。竜野組は金融業や債権取立などあらゆる分野に手を広げたことで三代で今の強力な組織を築き上げたのだった。

竜野組の若衆・根岸昇治は従弟の水沼啓一とともに行儀見習いとして浅倉組に預けられていたが、そこで相羽年男と出会い意気投合した。それ以来三人はケンカの時も遊びの時もいつも一緒だった。ある日、親代わりの池永安春から小遣いを貰った根岸は二人を引き連れてライブハウスに向かったが、そこで因縁の大場三兄弟と鉢合わせし大ゲンカとなった。警察が駆けつける騒動にまで発展すると、根岸は二人の他に会場にいた妹の明子も連れて逃げ出した。この出会いをきっかけに相羽は明子と結婚し組長の竜野忠が仲立ちをした。ある日、水沼が競輪場で居合わせた大場三兄弟に刺され、池永は根岸たちを引き連れシマ荒らしをした賠償金と水沼の慰謝料を請求するために藤岡組に乗り込んだ。だが組長の藤岡英信は競輪場のある場所が代々引き継がれてきているシマだと主張し相手にしなかった。そこで竜野組の若衆たちは建設現場に向かうトラックを妨害し三兄弟に制裁を加えたのだった。その頃、大阪では石黒組で空席となっている若頭の後任問題が浮上していた。昭和52年の冬に大阪市近郊で大きな交通事故があったが、死亡したのは若頭の山崎新一郎だった。本家若頭は将来、傘下600団体、構成員4500人、そして石黒組の二代目組長の座が約束される地位で、組内で誰もが浅倉が適任だと考えていた。ところが石黒組組長・石黒光喜の一存で、しばらく空席のままとし浅倉と花村組組長・花村秀夫を中心とした幹部会で十分に話し合ってから決めることになった。はらわたが煮えくり返る思いをした浅倉は、若頭の津川武志と組んで花村を引きずり下ろす計画を練った。津川はまず藤岡組へ行き竜野組を潰して欲しいと願い出た。藤岡は石黒組が下部組織を潰そうとしていることに疑念を持ったが、敵同士が手を組んだ上に金銭面までバックアップしてくれると聞きおかしな話だと高笑いした。浅倉は臨時総会を開き、60人余りの親分衆の前で上納金が滞っていることを理由に竜野組を破門にした。津川は相羽を利用して根岸たちに近づかせ、竜野が翌日に乗る新幹線の時間を聞き出させようとした。だがその理由が竜野の暗殺だとわかると、相羽は友人を裏切るわけにはいかないと言って抵抗した。

屋台的映画館
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狙撃

  • posted at:2021-07-25
  • written by:砂月(すなつき)
そげき
東宝
配給:東宝
製作年:1968年
公開日:1968年11月23日 併映「野獣暁に死す」
監督:堀川弘通
製作:貝山知弘
脚本:永原秀一
撮影:長谷川清
美術:村木忍
録音:増尾鼎
照明:平野清久
音楽:真鍋理一郎
整音:下永尚
監督助手:吉松安弘
編集:黒岩義民
合成:三瓶一信
現像:東京現像所
製作担当者:江口英彦
振付:竹邑類
技斗:岩本弘司
出演:加山雄三 浅丘ルリ子 森雅之 小沢昭一 岸田森
シネマスコープ カラー 86分

まだ明けやらぬ東京の街。ビルの屋上に陣取る男は腕時計に目をやるとタバコに火を点け、煙で風向きを見た。ライフルに弾を込めるとやがて無線機に連絡が入った。松下徹、三十歳。彼の標的は出発したばかりの新幹線ひかり号の前から七両目、一等車最後列に座る男だった。同じ一等車の最前列の男が帽子を被っていれば計画は予定通り決行、そうでなければ中止となる。了解と答えるとライフルを構えひかり号がくるのを静かに待った。そしてゆっくりと走る車両が見えるとまず最前列の男を確認し、彼が帽子を被っていたことから松下は最降列の男を狙撃した。計画は成功し指定場所のコインロッカーから報酬を受け取ると足早にその場を去った。

数日後、練習を行う射撃場で松下は撮影の仕事できていたファッションモデルの小高章子と知り合った。背景にして写真を撮りたいという依頼を無下に断り、後に申し訳なく思った松下は章子を車で自宅まで送ることにした。その車中で暗殺に関するラジオのニュースが流れると、彼女はその犯人が孤独できっと撃つときは怖くてブルブルと震えたに違いないと言った。マンションまで送り届けてくれたお礼に章子は松下を部屋に通した。章子の趣味は蝶のコレクションで標本がそこら中に置かれていた。その中でも一番のお気に入りはニューギニアなどに生息する「Ornithopter priamus pronomus」というトリバネチョウの一種だった。章子は標本を見る度にまだ見ぬその地で悠々と飛ぶ姿を想像するのだ。章子はベッドに誘うが松下はそれを断り、君のせいじゃないと言って部屋を出た。

松下に舞い込んできたのは金塊の密輸に拘る仕事だった。アメリカ軍基地の傍で銃砲店を開く学生時代からの友人の深沢を訪ねた松下はひかり号での狙撃に使用した銃を返却した。鑑識の目を欺くために深沢は一度使った銃を二度と使わないように心掛けているのだ。松下から次の仕事に関する情報を聞いた深沢はその条件に適した銃を選び出した。手渡したのはベトナム戦争で兵士が持ち帰ってきたソ連製のAK-47だった。アメリカ製の赤外線スコープが装着されていることから、仮に薄暗い場所で複数を相手にしたとしても松下なら使いこなせると深沢は信じていた。

屋台的映画館

続 拝啓天皇陛下様

  • posted at:2020-07-18
  • written by:砂月(すなつき)
ぞくはいけいてんのうへいかさま
松竹(大船撮影所)
配給:松竹
製作年:1964年
公開日:1964年1月1日 併映「モンローのような女」
監督:野村芳太郎
製作:白井昌夫
制作補:杉崎重美
企画:市川喜一 高島幸夫
原作:棟田博
脚本:多賀祥介 山田洋次 野村芳太郎
美術:宇野耕司
撮影:川又昻
照明:三浦礼
編集:浜村義康
録音:栗田周十郎
調音:佐藤広文
音楽:芥川也寸志
色彩技術:古畑成央
録音技術:沼上精一
装置:岩井三郎
装飾:安田道三郎
現像:東洋現像所
衣裳:杉山和利
監督助手:杉岡次郎
撮影助手:坂巻佐平
録音助手:田中俊夫
照明助手:堀利英
撮影事務:中村興一
進行:石和薫
出演:渥美清 藤山寛美 勝呂誉 小沢昭一 久我美子
シネマスコープ カラー 94分

昭和十九年、春。山口善助は軍犬兵として長辛店の軍犬部隊に配属された。加仁班長曰く軍犬兵は成績が優秀な兵長や上等兵が務めると軍通達で決まっているそうだが、何故か一等兵の善助が選ばれたのだった。上層部が決めたことに逆らうことが出来ないことから、加仁はここにいるときだけという条件で善助に上等兵の階級章を渡した。

軍隊生活六年目でまだ一等兵の善助。軍隊ではこのような男をもさくれと呼んだ。その善助にも子供の時代はあった。昭和二年、岡山県の下津井港で善助は初めて天皇陛下を見た。学校の引率で港に着くとその場で三時間待たされた。そしてようやく見えたのは沖を行く煙ばかりだった。そのとき善助はなんとまあ天皇陛下様は偉いものだと思った。昭和四年、その頃は不景気のどん底で善助の一家は食事をするのも困難を極めた。ある日、いたずら坊主の善助は飯抜きにされたが、一家は拾ってきた魚で中毒を起こし皆死んだ。幸い生き残った善助は親戚に引き取られた。昭和八年十二月、菓子屋で店頭の饅頭を盗もうとした善助を店主は特別な日だからと大目に見た。その日は天皇陛下に男児が産まれたことで町は提灯行列で賑わっていた。善助は店主から握り飯をもらったが、その思い出はいつまでも残り彼の天皇贔屓はこの日から始まった。昭和十一年、小学校に赴任してきた女子先生から文字を教わることになった。だがそのうち勉強よりも彼女の傍にいたいという気持ちが強くなり、先生のことを思うと胸が熱くなった。ある日、気持ちが抑えられなくなった善助は摘んだ花を渡すとともに抱きつこうとしたが、付近にいた漁師たちに取り押さえられた。その結果、強姦未遂で岡山少年刑務所へ送られた。一年後、出所したときにはもう女子先生はおらず周りの者も刑務所帰りを相手にしなかった。そんな彼を雇う職業はうんこ屋と揶揄される汲み取り屋しかなかったが、昭和十四年一月の徴兵検査で甲種合格し岡山歩兵第十連隊に入営した。食うや食わずの毎日がここでは三度の飯の心配がなく十日毎に俸給がもらえて住むところもあり、人が嫌がる軍隊も善助には天国だった。だが二年経てば満期除隊となりまた元の生活に戻った。ところが昭和十六年の春に赤紙がきたことでまた天国の暮らしが出来ると天皇陛下に感謝したのだった。

軍犬部隊で友春号の飼育係となった善助だったが犬の調教の苦労は並大抵ではなかった。つらい毎日が続く中、初めての外出が許されると真っ先に飲食店へ向かった。ところが酔った勢いで店主と大喧嘩をしてしまい重営巣送りとなった。夜が明けると加仁は窓の外を覗いて見ろと善助に言った。そこには彼のことが心配で夜中に金網を噛み破り会いにきた友春号がじっと待っていたのだ。これほど心配した人間が娑婆にいたのかと加仁から問われた善助は愚かな行動を反省した。

屋台的映画館

ゾンビアス

  • posted at:2020-04-28
  • written by:砂月(すなつき)
ぞんびあす
ギャンビット
配給:日活
製作年:2011年
公開日:2012年2月25日
監督:井口昇
エグゼクティブプロデューサー:久保忠佳
プロデューサー:宮田昌広 成田尚哉 平田樹彦
キャスティングプロデューサー:東快彦
ラインプロデューサー:池原健
原作:久保忠佳
脚本:村田青 継田淳 井口昇
音楽:福田裕彦
撮影:長野泰隆
照明:児玉淳
特殊造形・キャラクターデザイン:西村喜廣
VFXスーパーバイザー:鹿角剛司
録音:日高成幸
整音:岩丸恒
美術:福田宣
装飾:渡辺誉慶
アクション監督:鈴村正樹
編集:和田剛
助監督:井上雄介
制作担当:内山亮
制作プロダクション:アルチンボルド
出演:中村有沙 菅野麻由 護あさな 優希 ダニー
アメリカンビスタ カラー 85分

妹をイジメで亡くして1年。つらさに耐えられない女子高生の恵は短い時間でもそのことから逃れようと考え先輩の亜矢が誘うキャンプに参加することにした。キャンプには恵と亜矢の他に亜矢の彼氏でドラック中毒者のタケ、亜矢の友人で売れないモデルの真希と極度な車酔いの直井が参加するが、そもそもの目的は真希がダイエットに使う寄生虫を探すことだった。偶然獲れた鱒を直井が捌いていると中から巨大な寄生虫が出てきた。虫に詳しい直井は高熱を出したり中には脳にまで影響を与えるものまでいると説明するが、真希は聞く耳を持たず奪い取った。モデルを目指してエステに大金をつぎ込んでも成果が得られずオーディションでは連続で落選した。そんな自分を変えようと真希は寄生虫を丸呑みした。その様子を見た恵の頭の中に当時の妹のことが過ぎり気分が悪くなった。

森の中から男の叫び声が聞こえ、スーツを着た中年男がフラフラとやってきた。捌いたのが解禁前の鱒だったことに気づいた直井が通報されるとうろたえていると、タケが男の方へ行きカッとなったら何をするかわからないぞと凄んだ。すると男は彼の指に噛みつき食いちぎったのだ。なおもタケを襲い続けようとする男に対して恵は回し蹴りを見舞い首をへし折ったのだった。恵は妹を守れなかったことを悔い、学校では友達を作らずひたすら空手に打ちこんでいた。礼儀はわきまえており手加減をして蹴ったのだが、何故か簡単にKO出来たのだ。男は痙攣を起こした後に動かなくなり、怖くなった5人は乗ってきた車で逃げようとした。ところがその車は何者かに乗り逃げされ森の中に取り残されてしまったのだ。亜矢は救助を求めようと電話を掛けるがそこは圏外。恵は直井が持っていた地図から近くに村があることを突き止め、そこまで歩いて行くことにした。

森をひたすら歩き村まであと少しのところに差し掛かった頃、恵はセーラー服を着た少女がその先にいることに気づいた。逃げる少女を追い掛けて行ったところ、そこには古びた民家があった。それが目標にしていた村だとわかると恵たちは家を回って呼び掛けたが人がいる気配はなかった。すると真希が腹痛を訴え始め、我慢出来なくなった彼女は離れにあるボットン便所に飛び込んだのだった。ところが便秘と格闘しているうちに便槽からゾンビが現れ這い上がってきたのだ。恐怖のあまり真希が突き飛ばすとゾンビは動きを止めその隙に外へ逃げ出したのだが、追い掛けてきたのは一人だけではなかった。集団でノロノロと向かってくる汚物まみれのゾンビに驚く恵たちは高台まで逃げることにしたが、真希は再び腹痛を起こし逃げ遅れた。そしてケツの穴から出てきたのはアレではなく謎の生物だった。真希はゾンビ集団に捕まってしまい、恵たちは目の前にある古民家に逃げ込んだが、そこの住人である老人が奥から出てきて猟銃を構えた。ところが老人は突然苦しみだし、虫に食い殺されるのはごめんだと銃口を口に咥えて発砲した。するとそこから飛び出した生物は直井の方へ飛んで行き、驚いて開けていた大口へホールインワンした。

屋台的映画館

続 男はつらいよ

  • posted at:2020-03-20
  • written by:砂月(すなつき)
ぞくおとこはつらいよ
松竹(大船撮影所)
配給:松竹
製作年:1969年
公開日:1969年11月15日 併映「喜劇 よさこい旅行」
監督:山田洋次
製作:斎藤次男
企画:高島幸夫
原作:山田洋次
脚本:山田洋次 小林俊一 宮崎晃
美術:佐藤公信
撮影:高羽哲夫
照明:内田喜夫
編集:石井厳
録音:小尾幸魚
調音:松本隆司
音楽:山本直純
監督助手:大嶺俊順
装置:小野里良
進行:池田義徳
製作主任:峰順一
現像:東京現像所
主題歌:「男はつらいよ」渥美清
協力:柴又 神明会
出演:渥美清 倍賞千恵子 ミヤコ蝶々 佐藤オリエ 山崎努
シネマスコープ カラー 93分

最近やたらと母親の夢を見るようになった車寅次郎は久しぶりに生まれ故郷の柴又に帰ることにした。実家である団子屋「本家とらや本舗」の暖簾をくぐるとそこには叔父の竜造や叔母のつね、そして妹のさくらの顔があった。全国を飛び回っているおかげで彼は長い間会っていない気がしていたが、実際には一年ぶりの再会だった。ただ唯一変わっていたのはさくらに子供が生まれたことだった。満男と名付けられた甥っ子は寅次郎そっくりで、さくらが夫の諏訪博とうまくやっていることがわかると寅次郎は涙した。竜造はゆっくりと話を聞こうと奥の部屋に通そうとするが、旅の途中だから長居は出来ないと言って寅次郎は立ち去ろうとした。すると隣の印刷工場から慌てて飛んできた博が止めようとしたが、さくらをよろしく頼むと言ってかっこよく店を出た。とはいうものの寅次郎には特に行く当てもなく、町中をブラブラしていると何処からか子供たちの英語の歌声が聞こえてきた。もしやと思い、ある家に向かうと中から授業を終えた子供たちが出てきた。その家の主は寅次郎が中学生の頃にお世話になった坪内散歩で、退職後は近所の子供たちに英語を楽しく教えていたのだ。懐かしく思った寅次郎は玄関先で挨拶をして帰るつもりでいたが、外から戻ってきた散歩の娘・夏子が昔遊んでいた頃よりも格段に美しくなっていたため息をのんだ。すぐに帰るつもりでいたが、散歩から茶の一杯でも飲んで行けと言われたため言葉に甘えて上がり込んだ。一杯の茶が二杯、三杯となり、そのうちそれが酒となって腰が立たなくなった。そして酒が進むと今度は胃痙攣を起こし金町中央病院に担ぎ込まれたのだった。病室で一晩過ごすと朝には同室の入院患者たちを大声で笑わせられる程に回復し、その勢いは医師の藤村努を怒らせた。ところが夏子が見舞いにやってくると途端におとなしくなり気弱な病人を演じるのだった。

夏子は楽団のチェリストで、寅次郎の見舞いを終えると演奏録音を行うテレビ局に向かった。すると散歩からの電話で寅次郎が行方不明になっていることを知った。仕事を終えて病院に向かうと藤村はカンカンになって怒っていた。昼過ぎに弟分の川又登がきたことで寅次郎は肝吸いをつけたうな重二人前を取ってくれと看護師に言った。それを知った藤村が叱ると、二人はプイと出て行ったきり帰ってこないのだ。責任が持てないのでもう戻ってきて欲しくないと言うと、入院費は私が支払いますと夏子は平身低頭して謝った。すると藤村は彼女を責めていることに気づき、あなたも被害者なんですねと頭を下げた。その頃、焼き鳥屋でたらふく飲み食いしていた寅次郎たちだったが、財布を持っていないことを思い出しツケにして店を出ようとした。そのことがきっかけで店主はケガを負い二人は警察に連行された。登は返されたが寅次郎は留置場行きとなり、呼び出されたさくらは涙を流した。後日釈放されると、寅次郎はまた旅に出た。

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