東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1979年
公開日:1979年5月26日 併映「俺達に墓はない」
監督:工藤栄一
企画:日下部五朗 奈村協
原作:飯干晃一
脚本:神波史男 松田寛夫
撮影:中島徹
照明:海地栄
録音:溝口正義
美術:佐野義和
編集:市田勇
助監督:鈴木秀雄
記録:梅津泰子
装置:稲田源兵衛
装飾:渡辺源三
背景:西村三郎
美粧:鳥居清一
結髪:白鳥里子
スチール:中山健司
衣裳:黒木宗幸
擬斗:土井淳之祐
宣伝担当:坂本年文 丸国艦
演技事務:寺内文夫
進行主任:山本吉応
協力:東映俳優センター
音楽:柳ジョージ&レイニーウッド
挿入歌:「偽りのバラード」松崎しげる
・・・:「私の歌」松崎しげる
・・・:「ア!ソウ」ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
・・・:「虫けらの唄」バーブ佐竹
出演:根津甚八 原田美枝子 宇崎竜童 松崎しげる ガッツ石松
アメリカンビスタ カラー 91分
北九州には竜野組と藤岡組の二つの組があった。竜野組は大阪石黒組の大幹部である浅倉組組長・浅倉広吉の盃を貰って系列に入った。石黒組は全国制覇中で各地に勢力を伸ばしており、石黒の代紋を入れたバッジを見ただけで他のヤクザは震え上がるほどであった。だがバックを持たない藤岡組は次第に圧されて落ち目となり、竜野組の縄張りとなった市内の盛り場を追われ土木業で食い繋いでいた。竜野組は金融業や債権取立などあらゆる分野に手を広げたことで三代で今の強力な組織を築き上げたのだった。
竜野組の若衆・根岸昇治は従弟の水沼啓一とともに行儀見習いとして浅倉組に預けられていたが、そこで相羽年男と出会い意気投合した。それ以来三人はケンカの時も遊びの時もいつも一緒だった。ある日、親代わりの池永安春から小遣いを貰った根岸は二人を引き連れてライブハウスに向かったが、そこで因縁の大場三兄弟と鉢合わせし大ゲンカとなった。警察が駆けつける騒動にまで発展すると、根岸は二人の他に会場にいた妹の明子も連れて逃げ出した。この出会いをきっかけに相羽は明子と結婚し組長の竜野忠が仲立ちをした。ある日、水沼が競輪場で居合わせた大場三兄弟に刺され、池永は根岸たちを引き連れシマ荒らしをした賠償金と水沼の慰謝料を請求するために藤岡組に乗り込んだ。だが組長の藤岡英信は競輪場のある場所が代々引き継がれてきているシマだと主張し相手にしなかった。そこで竜野組の若衆たちは建設現場に向かうトラックを妨害し三兄弟に制裁を加えたのだった。その頃、大阪では石黒組で空席となっている若頭の後任問題が浮上していた。昭和52年の冬に大阪市近郊で大きな交通事故があったが、死亡したのは若頭の山崎新一郎だった。本家若頭は将来、傘下600団体、構成員4500人、そして石黒組の二代目組長の座が約束される地位で、組内で誰もが浅倉が適任だと考えていた。ところが石黒組組長・石黒光喜の一存で、しばらく空席のままとし浅倉と花村組組長・花村秀夫を中心とした幹部会で十分に話し合ってから決めることになった。はらわたが煮えくり返る思いをした浅倉は、若頭の津川武志と組んで花村を引きずり下ろす計画を練った。津川はまず藤岡組へ行き竜野組を潰して欲しいと願い出た。藤岡は石黒組が下部組織を潰そうとしていることに疑念を持ったが、敵同士が手を組んだ上に金銭面までバックアップしてくれると聞きおかしな話だと高笑いした。浅倉は臨時総会を開き、60人余りの親分衆の前で上納金が滞っていることを理由に竜野組を破門にした。津川は相羽を利用して根岸たちに近づかせ、竜野が翌日に乗る新幹線の時間を聞き出させようとした。だがその理由が竜野の暗殺だとわかると、相羽は友人を裏切るわけにはいかないと言って抵抗した。
屋台的映画館
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