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けんか空手 極真拳

  • posted at:2024-01-17
  • written by:砂月(すなつき)
けんかからてきょくしんけん
東映(東京撮影所)
配給:東映
製作年:1975年
公開日:1975年8月9日 併映「暴力金脈」
監督:山口和彦
企画:太田浩児
原作:梶原一騎 影丸譲也
脚本:鈴木則文 中島信昭
撮影:中島芳男
録音:広上益弘
照明:梅谷茂
美術:藤田博
編集:田中修
助監督:福湯通夫
記録:山内康代
擬斗:日尾孝司
スチール:遠藤努
進行主任:松本可則
装置:小早川一
装飾:田島俊英
美粧:井上守
美容:宮島孝子
衣裳:福崎精吾
演技事務:石川通生
現像:東映化学
音楽:菊池俊輔
挿入歌:「空手道」渥美健
・・・:「男ひとすじ」渥美健
協力:極真会館
出演:千葉真一 成田三樹夫 多岐川裕美 石橋雅史 千葉治郎
アメリカンビスタ カラー 88分

昭和24年、京都・丸山公会堂で戦後初の全日本空手道選手権大会が洗武館館長・中曽根龍起大会委員長の下で開催された。空手日本一の野望を秘める48選手が全国から集まったが、その中に欠員の補充として参加した男がいた。その男は大山倍達といい、第一部の瓦割りで17枚の瓦を一撃で制した。第二部の組手では原則として相手の体に直接攻撃してはならないルールになっていたが、決勝で対戦した南部棋八郎に大山が打撃を与えたことで中曽根は故意の反則での失格と判断した。だが審判は南部が先に反則したのを見ており、得体の知れない男に優勝させたくない中曽根は再試合を命じた。ところが当てが外れて大山が優勝したため、中曽根は南部を見限り大山をスカウトすることにした。中曽根は武術よりも近代スポーツとしての空手の構築を目指していたが、大山は防具をつけて打撃等を行う練習法を望んだ。実戦的でない空手を「ダンス」と揶揄された中曽根は激怒し出て行けと怒鳴った。武道場を後にした大山は空手日本一の称号が理想とかけ離れていたことを嘆き、悔しさのあまり優勝杯を地面に叩きつけた。

中曽根と対立したことが新聞などに取り上げられ空手が出来なくなった大山は車引きをして日銭を稼いだ。修行を積んだ日々は一体何だったのかと自問自答しながら。ある夜、街角でアメリカ兵と話す女性を見掛けたが、3年前にその女性を暴漢から助けたことを思い出した。居ても立っても居られなくなった大山はアメリカ兵を殴りお前を街娼にするために助けたのではないと女性に説教するが、それは彼の思い違いだった。藤巻智八子の父親は英文学者だったが、敵国語を話せるというだけの理由でスパイの嫌疑を受けて獄死した。それでも英語を勉強を続けたおかげでアメリカ軍への就職が叶い、通訳として働くことが出来るようになったのだ。大山はすまなかったと頭を下げるが、そこにきた進駐軍の憲兵隊に連行された。倉庫に連れて行かれた大山は将校のニハシから、お前は銃殺刑だが死刑執行人の異名を持つ元ボクサーの兵士と戦って勝ったら釈放してやると言った。大山は手錠を掛けられたままの不利な状態で勝負し、一撃で相手の拳を破壊した。

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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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