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にっぽん親不孝時代

  • posted at:2018-10-10
  • written by:砂月(すなつき)
にっぽんおやふこうじだい
東京映画
配給:東宝
製作年:1968年
公開日:1968年12月7日 併映「お熱い休暇」
監督:山本邦彦
製作:佐藤一郎 椎野英之
原作:松山善三
脚色:山本邦彦
撮影:黒田徳三
美術:樋口幸男
録音:神蔵昇
照明:今泉千仭
音楽:かまやつひろし 池野成
整音:西尾曻
編集:諏訪三千男
監督助手:奥村正彦
現像:東洋現像所
製作担当者:内山甲子郎
出演:田辺昭知 かまやつひろし 堺正章 井上順 井上孝之
シネマスコープ カラー 85分

父・満が建設業や飲食店などを経営する実業家だったことで杉本邦雄は自由気ままな生活を送っていた。満のスナックは若者の溜まり場になっており、時間を持て余して入り浸っているのは邦雄と四人の仲間(録郎、菊男、昭、実)だった。彼らには共通する夢があった。それはバンドを組んでスポットライトを浴びることだった。その夢を叶えるには先立つ物が必要だが、録郎たちはそれを集めることが出来ずにいた。すると翌日、邦雄はある計画を実行した。それは自宅の金庫を破って三十万円を盗み出したのだ。秘書の谷口加奈子に現場を見つかったが、札束は外で待ち受ける録郎たちの手に渡り、それは忽ち楽器店のドラムやギターなどへと変貌したのだった。

ある日、録郎の父で光妙寺の和尚・法念は商店街の役員たちとともに満のもとへ抗議に向かった。何故なら学校建設のために譲った土地をデパートに転用すると聞いたからだ。満はスナックの存在が教育に影響を与えることを理解して直ちにそれを閉店し、取得した土地に学校を建設すると約束したのだが、それを翻しスナックの営業を継続した上でデパートを建設すると宣言したのだ。彼は私の金で私の土地に何を建てようと自由だと主張し、地元の発展のために外国資本を導入すると説明したが、法念たちは納得出来なかった。

フーテンの哲と一彦が偶然出会い、旅を続けて十日目。横浜港に停泊する貨物船から落ちたバッグをモーターボートが拾い上げた現場を目撃した二人は、先回りしてそれをいただこうと考えた。ところが大柄な男に首根っこを掴まれて車に押し込まれたのだった。紳士のジョージが貨物船から落としたバッグは遣いを通じて満に渡るはずだったが、その遣いが横領をして逃げようとしたのだ。その車を追い詰めた男たちは危険を感じ代わりに哲と一彦にバッグを取りに行くよう命じたが、突如銃撃戦を始まったため二人はそれを持ってトンズラしたのだった。

人気のない墓地にたどり着いた哲たちはバッグを開けることにした。食い物だといいなとロックを外すと警報音が辺りに鳴り響き、それと同時にジョージの探知機に知らせが届いた。彼が杉本興業のビルから慌てて駆け出す様子を加奈子がカメラに収めていた頃、警報音に驚いた法念が本堂から飛び出しその正体がバッグだと気づくと蓋を閉めてこっそり持ち去ろうとした。隠れてその様子を見ていた哲たちはそれを返せと抗議したが、そこに帰ってきた録郎が寺への嫌がらせだと勘違いし、五対二なら勝てるとケンカを始めた。哲たちを追い出して気分爽快な五人は本堂を二時間レンタルして演奏の練習をしていたが、バッグのことが気になって仕方がない法念は理屈をつけて録郎たちを追い出すとバッグを開けた。すると再び警報音が鳴り響き、それと同時に様々なことが動き出した。

屋台的映画館
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日本一のゴリガン男

  • posted at:2018-07-01
  • written by:砂月(すなつき)
にっぽんいちのごりがんおとこ
東宝=渡辺プロ
配給:東宝
製作年:1966年
公開日:1966年3月16日 併映「何処へ」
監督:古澤憲吾
製作:渡辺晋 森田信
脚本:笠原良三
撮影:小泉福造
美術:竹中和雄
録音:増尾鼎
照明:隠田紀一
整音:下永尚
音楽:宮川泰
主題歌:「しびれ節」
・・・:「何がなんがかわからないのよ」
監督助手:長野卓
編集:黒岩義民
合成:松田博
現像:東洋現像所
製作担当者:堤博康
出演:植木等 浜美枝 進藤英太郎 藤村有弘 人見明
シネマスコープ カラー 93分

西北商事の無責任社員・日本等は出張がてら残りの経費をパチンコにつぎ込んで見事その倍の景品を手にしたのだが、時間を浪費したことで帰りの列車に間に合わないかもしれないことがわかると慌てて駅に向かって駆け出した。だが工事現場付近を通り掛かったときに運悪く空から降ってきた鉄骨に当たり生死をさまようことになったのだ。それから一年後、奇跡的に全快し退院することになった等は第一脳外科病院の担当医師から前後三回に亘る手術に耐えられたのは強心臓のおかげだと感心され、手術の度に脳みそに溜まった余分なカスや水分を取り除いたことで頭の回転が入院前の100倍になったとお墨付きをもらった。生まれ変わった彼は早速出社することにしたのだが、社長室の受付には見慣れない女性が座っていた。更に営業第一課に行っても自分の席がなく、石亀という知らない営業課長から不審者扱いされた。かみ合わない話が進行して行くうちに等はようやく自分が置かれている立場を理解した。彼が勤めていた会社は半年前に倒産し、その権利を買った統南商事が同じ場所に引っ越してきたのだ。そうとわかると等は石亀にある提案をした。「僕をお宅で使ってみませんか?」と。面食らった石亀が会社は不況対策で合理化を行っており社員を増やせるわけがないと断ると、等は当分の間、月給なしで働くと切り出したのだ。そんなバカな奴がいるかなどとやりとりをしていると、石亀は浅利営業部長に呼び出され、食品代理店の接待プランを早急に提出せよと命じられた。経費は不況によって前年の3割減。にも拘らず開催場所は熱海の一流旅館、家族も招待して飲み放題食い放題、おみやげ等々。それらを全て会社で負担することは容易いことではなかった。その話を聞いた等は、僕が月給なしでバッチリやって見せますよと啖呵を切った。

船橋ヘルスセンターに向かった等はまず営業担当と掛け合い、日帰り参加者200名で芸者なしの宴会、その代わりに一流芸能人のアトラクションを行うプランを説明した。そして嫌がる担当に別口で儲けさせてやると約束し飲み物とおみやげは全て持ち込みという条件を飲ませた。宴会当日、等は酒販メーカーの販売課長に直接飲み物を持ってこさせると請求書を突き返し、イベントの共同主催として大々的に宣伝すると約束して強引に条件を飲ませた。そして一流芸能人の役を自分と石亀が務めたショーは招待客から喝采を浴びた。宴会が終わると等はヘルスセンターに併設する遊園地に招待客を誘導し有料で入場させた。その結果、経費は前年の半分の額で収まり、会社には出席者からの感謝の手紙が予想以上に届いたのだった。浅利が石亀にその理由を尋ねると、横から割り込んできた等が説明を始めた。招待客は増えているが家族連れだったことで宿泊費等の遊興費が掛かっておらず、飲料はメーカーのタイアップでタダ。更に招待客が自腹で支払った遊園地の入場料の上がりの半分を会場代から差し引かせたのだ。会社の名前さえ使わせてもらえれば給料はいらないというこの奇妙な社員に困惑する浅利。すると等は「日本等課」を勝手に立ち上げ、一人で取引先を探して商売することにしたのだった。

屋台的映画館

にっぽん泥棒物語

  • posted at:2018-05-25
  • written by:砂月(すなつき)
にっぽんどろぼうものがたり
東映(東京撮影所)
配給:東映
製作年:1965年
公開日:1965年5月1日 併映「おゝい、雲!」
監督:山本薩夫
企画:植木照男 宮古とく子
脚本:高岩肇 武田敦
撮影:仲沢半次郎
録音:小松忠之
照明:桑名史郎
美術:森幹男
音楽:池野成
編集:長沢嘉樹
助監督:田口勝彦
進行主任:武田英治
現像:東映化学工業株式会社
出演:三國連太郎 佐久間良子 伊藤雄之助 江原真二郎 緑魔子
シネマスコープ モノクロ 117分

1948年冬、戦後の混乱が続く東北で荒稼ぎをしていたのは泥棒仲間から一目置かれている破蔵師の林田義助だった。破蔵師とは土蔵破りの盗賊のことを指し、義助はその中でも群を抜いていた。狙いをつけた家を綿密に調べ上げると土蔵に穴を開け、仲間とともに運び出した品を専門業者に売り払うのだ。歯科医だった父親が死に、残された母や妹、弟を養わなければならなくなった義助はもぐりの歯科医となったが、戦争で薬が手に入らなくなったためにこの稼業に手を染めた。まず財産家の邸に狙いを絞り、歯科の訪問医として家の者に近づくと治療と同時に家族構成や部屋の間取りなどを聞き出した。そしてその情報を持ち帰ると仲間たちを集め作戦を練るのだ。そして決行。当然のことながら捕まることもあり、義助は前科四犯だったが、迷惑を被っていたのは妹のふく子だった。何故なら縁談は兄の前科のせいでいつも破談になるからだ。

仲間と温泉に行った義助は、そのときに出会った芸者桃子といい仲になった。だがそれは表向きで、桃子や女将が寝入ったのを確認すると宿の玄関の鍵をこっそり外して帰った仲間を手引きした。翌朝、帳場の金が盗まれたことに気づいた女将が警察に通報するが後の祭り。義助が財布を盗まれたと演技したことで桃子は信じたのだった。やがて二人は夫婦となったが、彼女は義助の本業を知らぬままだった。ある日、盗品の着物を風呂敷一杯に担いできた仲間の一人が突然現れたため、義助は桃子にがま口を持たせると酒を買いに行かせた。義助はいつも世話になっているからという男からいくつかの着物を貰い、残りを天井裏に隠した。それから数日後、白河警察署の警官が訪ねてきた。里帰りすることなっていた桃子は義助から貰った着物を土産にしようとしたのだが、立派な着物をあげるよりは羊羹で間に合わせて残りを生活の足しにした方が考えてそれを売り払ったのだ。そこから足がつき義助は逮捕されたが、仲間たちとの仁義を守って全ての罪を引っ被り福島刑務所に送られた。翌年、裁判前に保釈された義助は、刑務所で知り合い破蔵師の手ほどきをした自転車泥棒の馬場庫吉の案内で早速その夜から呉服屋の土蔵を狙った。ところが仕事に不慣れな庫吉がヘマしたことで盗品の運び出しに失敗。翌日忍び入った家は庫吉の下調べが甘く番犬がいたことで成果が乏しかった。その翌日も別の場所に忍び込もうとしたのだが、警防団が非常線を張って警戒が厳しくなったことで諦めた義助は庫吉と別れた。線路脇で背広に着替えた義助が一服していると9人の男たちとすれ違った。彼は身の危険を感じたが、男たちは気を止めることもなく歩み去ったことでそれと反対の方向へ走ると積んだ稲藁の中へ飛び込んで身をひそめたのだった。明け方、義助はけたたましく鳴り響く半鐘の音で目覚めた。彼がいるその先で列車転覆事故が発生したのだ。

屋台的映画館

日本一のゴマすり男

  • posted at:2018-05-21
  • written by:砂月(すなつき)
にっぽんいちのごますりおとこ
東宝
配給:東宝
製作年:1965年
公開日:1965年5月29日 併映「姿三四郎」
監督:古澤憲吾
製作:渡辺晋 森田信
脚本:笠原良三
撮影:斎藤孝雄
美術:小川一男
録音:増尾鼎
照明:森弘充
音楽:宮川泰 萩原哲晶
整音:下永尚
監督助手:丸輝夫
編集:黒岩義民
現像:東洋現像所
協賛:株式会社梁瀬
製作担当者:堤博康
出演:植木等 浜美枝 中尾ミエ 東野英治郎 進藤英太郎
シネマスコープ カラー 95分

大学を卒業し無事就職も決まった中等はうれしい報告をするために実家に戻った。助産婦と保健婦として働く母の節子は彼の背広姿を見るなり中々かっこいいじゃないかと褒めちぎり、定年後から台所を仕切る父・一郎は今日はうんとご馳走してやるかと張り切った。一郎からすり鉢を手渡された等は、出世前の男がゴマをするのかと不平を口にした。これからの世の中はサービス時代だとの一郎の言葉に首を捻りながら等がゴマをすり始めると、その手際の良さに感心した一郎は社会に出てもその要領を忘れてはいけないと説いた。万年係長のまま定年を迎えた一郎は、「世渡りの知恵が出世の近道」という言葉を肝に銘じさせることで自分の成し遂げられなかった栄冠を息子に勝ち取ってもらおうと考えていたのだ。だが等は、現代が実力本位の時代で実力とファイトさえあれば絶対に認められるという持論を曲げようとはしなかった。

出社初日、後藤又自動車の本社ビル前に立った等は看板を眺めて「よかろう!」と気合を入れた。まだ誰も出社していないショールームに入った彼はこれから売ることになる車の研究を始め、ここにある車が全て自分の物だと思って惚れ込めば客にも自信を持って売ることが出来ると考えたのだ。すると電話のベルが鳴り張り切って受話器を取ると田園調布に住む中村という顧客からだった。一昨日、セールスが午前9時までにビュイック・スカイラークを見せに行くと約束したのだが未だに何の連絡もないのだという。現在8時40分。等は相手が指定する場所に急いで向かった。ゴルフバックを持った中村を見つけた等は早速、車の説明に入ったが、君の会社は客に対して不親切だとお冠だった。そして続けざまにゴルフ場へ向かうように命じ、理由がわからない等は素直に指示に従った。その頃、等の会社では大騒動になっていた。中村の担当だった細川眉子が車がないことに気づき、営業課長は朝礼前なので仮ナンバーを貸し出していないと言った。眉子は急いで警察に盗難の届け出をした。そうとは知らない等はナンバープレートのない車で中村をゴルフ場に送り届けると、お支払いはどうしますかと尋ねた。すると中村は、試乗しただけだから帰ってよろしいと背を向けた。冷やかしのただ乗りだとわかったが、これも宣伝のうちだと自分の言い聞かせて会社に戻ることにした。首都高を軽快に疾走するビュイック。すると追い抜かれたことが気に食わないフォルクスワーゲン・カルマンギアタイプ3の運転手は抜き返そうとムキになって追い掛け、そこに取り締まり中のパトカーも加わって追跡合戦が始まった。そうとは知らない等が会社にハンドルを切ると、後ろの二台もついてきたため首を傾げたのだった。警官が彼を呼び止めると、事務所からも課長たちが飛び出してきて「その自動車泥棒を捕まえてください」と叫んだ。それを聞いた等は、盗んだという車はちゃんとあるしお客様の催促に対し社員として伺うのは当たり前だと言った。そこで初めて彼が新入社員だと知った課長は心底呆れた。事件は解決をしたのでお引き取りくださいと等は警官に言うと、ナンバーなしで公道を走ったのだから道路交通法違反で始末書の提出が必要だと言われた。そこに割って入ったカルマンギアの男がビュイックを売って欲しいと言ったため、等は面倒な契約交渉も始末書の提出も眉子に押し付けたのだった。

屋台的映画館

日本沈没(1973年)

  • posted at:2018-05-09
  • written by:砂月(すなつき)
にほんちんぼつ
東宝映画=東宝映像
配給:東宝
製作年:1973年
公開日:1973年12月29日 併映「グアム島珍道中」
監督:森谷司郎
製作:田中友幸 田中収
原作:小松左京
脚本:橋本忍
撮影:村井博 木村大作
音楽:佐藤勝
美術:村木与四郎
録音:伴利也
照明:佐藤幸次郎
監督助手:橋本幸治
編集:池田美千子
スチール:石月美穂
現像:東洋現像所
協力:日本海洋産業株式会社
製作担当者:森知貴秀
特殊技術・撮影:富岡素敬
特殊技術・美術:井上泰幸
特殊技術・照明:森本正邦
特殊技術・光学撮影:宮西武史
特殊技術・合成:三瓶一信
特殊技術・操演:松本光司
特殊技術・監督助手:田渕吉男
特殊技術・特殊効果:渡辺忠昭
特殊技術・スチール:田中一清
特殊技術・制作担当者:篠田啓助
整音:東宝録音センター
効果:東宝効果集団
特別スタッフ:竹内均 奈須紀幸 大崎順彦 諏訪彰
特技監督:中野昭慶
出演:小林桂樹 丹波哲郎 藤岡弘 いしだあゆみ 中丸忠雄
シネマスコープ カラー 140分

小笠原諸島北方の無人島が一夜にして水没するという怪現象が発生し、海洋開発興業所属の深海調査艇「わだつみ」が現地に派遣されることになった。わだつみに乗り組むのは操艇者の小野寺俊夫の他に、地球物理学者の田所雄介博士と助手の幸長信彦助教授だった。海上保安庁の巡視船が現地に着くとデリックで吊り上げられたわだつみは静かに海面に降ろされた。

調査の様子はVTRに収められ、その道のスペシャリストが集う巡視船の一室で公開された。海底に見られる裂け目は火口形成後に起きた二次的な原因の崩壊で出来たものではないかと考えられた。こうした海底はその先も続き、やがてリップルマークと呼ばれる漣痕が現れ火山岩や火山弾が露出していた。海底泥土がつい最近激しく動いたようだと技官が言うと、匍行というよりは地滑りだと別の技官が言った。そうなると島が沈んだ原因は火山活動でなく地滑りということになるが、何故それが海底の広範囲で起きたのかは謎だった。地滑りの原因が海溝にあるのではないかと考えた田所はその箇所を自分の目で確かめることにした。翌日、日本海溝の底8740メートルまで潜ると、南から北へ激しい底流があったことが確認された。そして東西へ走る古いリップルマークも。このままの深さで船首に対し右7度の方角へ動かせるかと田所が尋ねると小野寺は返事をする間もなく操縦を行った。するとその先には化け物のようなナメクジが這ったような溝があったのだ。田所が目を凝らして調査を行っていると突然の衝撃で船体が揺れた。溝は泥雲の前で消滅しており、視界が悪くなる中わだつみがそこへ着くと田所は停止を命じた。そして小野寺が水中照明弾を発射して海底の様子が明らかになると田所は興奮し、水温、密度、塩分濃度を測定するための下降を命じた。小野寺と幸長は顔を見合わせたが、逆らえないと悟りいつでも上昇出来る状況を整えて指示に従うことにした。再び揺れが襲い、海底密度に飛躍層があると田所は言った。続いて幸長は流れが南から北で通常の海溝底流とは反対だと言った。密度は1.053、多量の重金属が混じっていることで塩分濃度は海水密度の最大値を上回っていたのだ。小野寺が照明弾を再び発射すると深海底で乱泥流が起こっていることが見て取れた。しかもそれは日本列島の地殻の海溝崖から噴出しているのだ。田所は世界最大の日本海溝の底で何かが起こりかけているんだと呻くように言った。

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