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新 仁義なき戦い 組長の首

  • posted at:2021-09-08
  • written by:砂月(すなつき)
しんじんぎなきたたかいくみちょうのくび
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1975年
公開日:1975年11月1日 併映「五月みどりのかまきり夫人の告白」
監督:深作欣二
企画:日下部五朗 橋本慶一 奈村協
脚本:佐治乾 田中陽造 高田宏治
撮影:中島徹
照明:若木得二
録音:中山茂二
美術:鈴木孝俊
音楽:津島利章
編集:堀池幸三
助監督:清水彰
記録:田中美佐江
装置:温井弘司
装飾:柴田澄臣
背景:平松敬一郎
美粧:長友初生
結髪:白鳥里子
スチール:木村武司
演技事務:西秋節生
衣裳:松田孝
擬斗:上野隆三
進行主任:長岡功
出演:菅原文太 梶芽衣子 渡瀬恒彦 ひし美ゆり子 織本順吉
アメリカンビスタ カラー 94分

麻薬、覚醒剤などを主とする密輸品は、古くから大陸に向けて開かれた日本の玄関口・関門海峡周辺の密輸基地に陸揚げされ、やがて日本全国に捌かれて行く。その莫大な利権を巡って対立してきたのが大和田組と共栄会の二大組織であった。昭和43年6月、北九州。大和田組組長・大和田徳次の命を受けた幹部の楠鉄弥は、旅人の黒田修次とともに共栄会会長・正木巌を襲撃した。大和田の娘婿である楠の立場を心配し身代わりとなった黒田は殺人罪で懲役7年の刑を受けた。いくつもの月日が流れ出所した黒田を出迎えたのは、刑務所で助けられたことをきっかけに舎弟となった志村勝男とその子分の笹木茂だけだった。当初、橘から面会や手紙で情報を得ていたが、突然返事が途絶えた。そんなこともあって不安を抱えながら彼を訪ねると様々なことが変わっていた。会長の死後、共栄会は崩壊し大和田組が勢力を拡大していた。その立役者となった橘は用済みとなり、ヒロポン中毒となった彼を妻の美沙子が支えていた。橘の扱いを見て7年前に交わした大和田との約束が反故にされることを恐れた黒田は彼を交渉人に指名した。

一大勢力化した大和田組には舎弟・赤松猛夫、若頭・相原重彦、幹部・井関政治、高山音松、郷田猪之吉による派閥が出来ていた。橘は会議が終わるのを見計らって大和田と会い、黒田に懲役慰労金として500万円を渡して欲しいと申し出た。ところがその出過ぎた態度が大和田の逆鱗に触れ、橘は破門にされたのだった。交渉が失敗したことがわかると黒田は金か店を譲れと迫り、困った橘はある計画を思いついた。それは大和田の弱点である妾の品子を使って脅迫することだった。翌日、相原から呼び出された黒田は茶封筒を手渡されるが、中に入っていたのは500万円ではなく同等のヒロポンだった。それを赤松組の縄張りで売り捌けば金になると言われ、黒田は早速赤松と交渉した。だが相原が依頼主であることがわかると赤松はそれをつき返し、少しでも早く金を手に入れたい黒田は志村と笹木に売り捌くよう命じた。商売をしているところを赤松組に見つかって二人は半殺しの目に遭い金とヒロポン奪われた。このままでは黒田に合わせる顔がないと考えた笹木は包丁を持って料亭に乗り込み赤松を刺殺した。この事件は相原が独立を企てる赤松を消すために独断で仕組んだものだった。それを知った大和田は相原を叱り、功労者の黒田を客分扱いにした。

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