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少林寺拳法

  • posted at:2023-10-25
  • written by:砂月(すなつき)
しょうりんじけんぽう
東映(東京撮影所)
配給:東映
製作年:1975年
公開日:1975年2月15日 併映「仁義の墓場」
監督:鈴木則文
企画:吉峰甲子夫 高村賢治
脚本:松本功
撮影:中島芳男
録音:宗方弘好
照明:山口利雄
美術:中村修一郎
音楽:菊池俊輔
編集:祖田冨美夫
助監督:深町秀熙
記録:高津省子
擬斗:日尾孝司
スチール:遠藤努
進行主任:松本可則
装置:井保国夫
装飾:田島俊英
美粧:住吉久良蔵
美容:花沢久子
衣裳:福崎精吾
演技事務:山田光男
現像:東映化学
協力:社団法人 日本少林寺拳法連盟
出演:千葉真一 佐藤允 中島ゆたか 誠直也 北林早苗
アメリカンビスタ カラー 87分

少林寺拳法は今から約千五百年前にインドの達磨大師によって中国河南省の少林寺に伝えられ、禅僧の間で座禅と並行して修行されてきた武術である。当時、門外不出の秘伝とされたその武術は全てが防御から始まっており、後手必勝の理想的な護身術として世界最古の歴史を有する。

昭和二十年、中国大陸で日本軍の特務機関に従事していた宗道臣だったが、敗戦の混乱の中に人の醜さを見た。翌年、焦土と化した日本の地を踏んだ道臣は岡山にある宗家の墓に向かった。幼い頃に父親を失い、母と二人の妹との四人暮らしをしていた道臣は貧乏な暮らしをしていた。母・吉野からは耐えることを教わったが、道臣は自らの力で戦う道を選んだのだった。昭和八年、北京に隠棲する北少林義和門拳の文太宗老師の弟子となった彼は拳技を修行し、その三年後に義和門の法統を継いで師家となった。

大阪・阿倍野で戦災孤児を養っていた道臣は不正はダメだが不法はOKだと教えていた。子供たちが赤松組から進駐軍の横流し品のかっぱらって捕まったことを知った彼は事務所の前で大立ち回りを繰り広げ、道行く人たちにそれらを配って喝采を浴びた。ある夜、道臣は縄張りで勝手に商売をしたとして袋叩きに遭っていた女を助けたが、その女は満州で会った坂本菊だった。引き揚げ船の中で母を亡くし弟を養うために身を粉にして働いていたが、生きるためには仕方がないと客を取ることに決めたのだ。彼女が苦労をしていることを知った道臣は二人に雑炊を腹いっぱい食べさせた。菊はお礼を体で返そうとするが、道臣は自分を粗末にするものじゃないと叱った。そして将来を悲観する彼女にうちに来て仕事をすればいいと言った。闇市の立ち食い食堂で働くことになった菊だったが、弟が目の前で進駐軍の車に撥ねられた。道臣はそのまま行こうとする車に飛び乗ると軍人を投げ飛ばしたが、タイミングよく警官が駆けつけ逮捕された。道臣を疎ましく思っていた赤松栄組長は地元の警察と結託して締め出しを計っていたのだった。警察署長の小早川信之は道臣を呼び出すと今夜中に大阪を出て遠くへ行けと言った。彼は道臣が何度も不祥事を起こすうちにその生き方に興味を持ったのだ。小早川は条件として絶対に闇市に近づくなと言った。何故なら道臣がいることがわかれば進駐軍が一帯を封鎖し菊や子供たちの安全が脅かされるからだ。それを聞いた道臣は小さく頷いた。

屋台的映画館
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