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赤穂城断絶

  • posted at:2023-10-11
  • written by:砂月(すなつき)
あこうじょうだんぜつ
東映(京都撮影所)=東映太秦映画村
配給:東映
製作年:1978年
公開日:1978年10月28日
監督:深作欣二
企画:高岩淡 日下部五朗 本田達男 三村敬三
原作:高田宏治
脚本:高田宏治
撮影監督:宮島義男
撮影:仲沢半次郎
美術:井川徳道
照明:中山治雄
録音:荒川輝彦
編集:市田勇
音楽:津島利章
助監督:藤原敏之
記録:田中美佐江
装置:三浦公久
装飾:柴田澄臣
背景:西村三郎
スチール:中山健司
衣裳:森護
美粧:鳥居清一
結髪:白鳥里子
擬斗:上野隆三
和楽:中本敏生
演技事務:森村英次
宣伝担当:佐々木嗣郎 田中憲吾
舞踊振付:藤間勘五郎
進行主任:山本吉応
協力:東映俳優センター
出演:萬屋錦之介 千葉真一 松方弘樹 西郷輝彦 渡瀬恒彦
シネマスコープ カラー 159分

元禄十四年三月十四日、天皇家の勅使を迎えた江戸城では五代将軍徳川綱吉による奉答の儀が行われることになっていた。松の廊下で旗本の梶川頼照が播磨赤穂藩藩主浅野内匠頭と話しているのが気になった高家筆頭の吉良上野介は梶川を呼び寄せるとその内容を尋ねた。梶川は奉答の儀の終了後に勅使と会うことになっている桂昌院の名代を浅野にお願いしようとしたのだが、吉良はあの御仁に何がわかるのかとわざと聞こえるように言った。調子に乗った吉良は御馳走役とは名ばかりで物覚えが悪くて気が利かないから今日もまた御役目を辱めはしないかと心配していると言いたい放題。この度重なる侮辱に堪り兼ねた浅野はついに刃傷に及んだのだった。殿中での出来事に激怒した綱吉は大老格の柳沢吉保に浅野の即日切腹を命じた。一切手向かいをしなかった吉良は一切御構い無しの裁きとなったのに対し、場所をわきまえずに宿意を以って刃傷に及んだ浅野には切腹を申しつけるという裁きが下ったことを加藤越中守が目付たちに報告すると、浅野から聴取を行った多門伝八郎は喧嘩には双方に申し分があり重ねて吟味が必要であると異議を申し立てた。聴取の際に見せた浅野の作法が乱心によるものではないと感じ、吉良にも非があるのではないかと考えた多門は喧嘩両成敗が適用されるのではないかと主張した。だが吉良は刀の柄に指一本すら掛かっていなかったということで喧嘩とは認められなかった。それでも多門が再吟味を申し出ると、御上の御裁きに手抜かりはないと柳沢が一喝した。

三月十九日、赤穂の平和は早駕篭によって破られた。原惣右衛門らの報告で浅野の切腹、領地召上げ、御家断絶、正室の阿久里は江戸表の屋敷を即日引き払った後に落飾し瑤泉院の法名に改め里に移ったことが伝えられた。吉良に何の咎めもなかったことを知った筆頭家老の大石内蔵助は憤るが、まず領内の混乱を抑え百姓町人の不安を払拭するために藩札を正貨に換えることにした。城の明け渡しについては三千人にも及ぶ大所帯の行く末を考え結論を先延ばしにした。赤穂藩取り潰しの知らせは百姓町人の間にも恐慌を巻き起こした。更にまた世間には大石以下籠城との噂が伝わり浅野家ゆかりの浪人たちが働き場所を求めて続々と城門に詰め掛けてきた。幕府からは城明け渡しの要請があったが、大石は理不尽な御公儀の裁きによる失望は家中一同の総意であるとしてそれを拒否した。

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