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木枯し紋次郎

  • posted at:2022-10-25
  • written by:砂月(すなつき)
こがらしもんじろう
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1972年
公開日:1972年6月21日 併映「男の代紋」
監督:中島貞夫
企画:俊藤浩滋 日下部五朗
原作:笹沢佐保
脚本:山田隆之 中島貞夫
撮影:わし尾元也
照明:中山治雄
録音:溝口正義
美術:吉村晟
音楽:木下忠司
編集:堀池幸三
監督補佐:牧口雄二
助監督:志村正浩
記録:田中美佐江
装置:米沢勝
装飾:宮川俊夫
美粧・結髪:東和美粧
演技事務:森村英次
スチール:諸角義雄
衣裳:豊中健
擬斗:上野隆三
進行主任:渡辺操
協力:三宅島観光協会 東海汽船株式会社
出演:菅原文太 伊吹吾郎 渡瀬恒彦 山本麟一 賀川雪絵
シネマスコープ カラー 91分

上州新田郡三日月村出身の無宿渡世、三日月の紋次郎はある日、甲州切石の忠兵衛一家に草鞋を脱ぎ一宿一飯の恩義に預かった。そして先客の日野の左文治とともに助っ人として手を貸した。出入の相手は浪人衆を抱える大門の岩五郎一家で、向かってくる相手を片っ端から斬り倒した。役目が終わると左文治はあんたと五分のつき合いをしたくなったから兄弟分の杯を交わしたいと言った。だが紋次郎は誰とも杯を交わさないと心に決めていたため、気持ちだけありがたくいただくと言いその場を去ろうとした。すると左文治はこのまま別れたくないから俺のところにきちゃくれねえかと言った。それから程なくして紋次郎は関八州見廻り役に召し捕らえられ入牢となった。日野宿の貸元で十手預りの井筒屋仙松を殺害した罪である。天保六年、罪状により紋次郎は三宅島へ島送りにされた。

三宅島の流人の数は二百二十二人、彼らは伊賀谷、神着、伊豆、阿古、坪田の五ケ村に村割りされて生活していた。未遂も含めて死罪となる島抜けにほとんど成功した試しはなかったが、にも拘らず流人たちがそれを企てたのは島での生活があまりにも苦しく悲惨だったからだ。金も田畑も船もない彼らにとって飢えを凌ぐ道は島の人々の情けに縋り仕事を与えてもらうしかなく、他人を押しのけてでも獲得しなければ生きることが出来ないのだ。流人たちにとって最後の夢は二本の蘇鉄だった。この蘇鉄に花が咲くと必ず御赦免船がくると信じられていたからだ。何時咲くかも知れぬ蘇鉄の花を流人たちは赦免花と呼んでいた。

神着村に住む房州鴨川の漁師捨吉、武州無宿の清五郎、植木職人の源太、元遊女のお花の四人は島抜けを目論んだ三人が処刑されたばかりにも拘らず島抜けを企てていた。邪な考えを持つ愚か者などいないと役人が油断するに違いないと考えていたからだ。そこで清五郎は頼りになりそうな紋次郎に声を掛けたのだが、断られたためその理由を教えて欲しいと頭を下げた。すると紋次郎は遠くを見ながら島抜けをすれば迷惑を被る人がいると言った。

ある夜、左文治は井筒屋の仙松という十手預りの男を堪らず斬ったと紋次郎に言った。仙松は両替屋の娘のお夕という女を手籠めにしようとしたのだという。左文治は紋次郎が彼女に密かな恋心を抱いていることを知っており、兄弟分として手を下したのだ。自首をして申し開きすれば死罪は免れるが、床に臥す母親を見捨てることになる。その話を聞いた紋次郎は思案した。左文治のところに草鞋を脱いで半年ほども厄介になり、彼の母親を肉親のように感じていた。紋次郎は母親が死んだら本当の下手人として名乗り出るという左文治の言葉を信じ身代わりになることに決めた。

屋台的映画館
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