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坊っちゃん(1977年)

  • posted at:2019-05-14
  • written by:砂月(すなつき)
ぼっちゃん
松竹=文学座
配給:松竹
製作年:1977年
公開日:1977年8月6日 併映「男はつらいよ 寅次郎と殿様」
監督:前田陽一
製作:大谷信義
企画:奈良邦彦
原作:夏目漱石
脚本:前田陽一 南部英夫
美術:梅田千代夫
撮影:竹村博
照明:飯島博
編集:杉原よ志
録音:平松時夫
調音:小尾幸魚
音楽:佐藤勝
スチール:赤井薄旦
監督助手:満友敬司
装置:若林六郎
装飾:宗田八郎
床山:八木かつら
衣裳:松竹衣裳
進行:大川修
現像:東洋現像所
製作主任:沼尾鈞
協力:松山市 奥道後国際観光K・K 寶扇堂 久阿彌
出演:中村雅俊 松坂慶子 米倉斉加年 地井武男 大滝秀治
アメリカンビスタ カラー 92分

親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている坊っちゃんは中学のときに母親を亡くしたが、それがお前のせいだと兄から言われて悔しい思いをした。顔を見る度貴様は駄目だと口癖のように言う父親と暮らす中、彼を庇い可愛がってくれたのは清という老婆の下女だった。母親が亡くなって六年目の正月に父親も卒中で亡くなり、その年の四月に坊っちゃんは中学を、兄も六月に商業学校を卒業した。兄は九州にある会社の支店に勤めることが決まっていたが、坊っちゃんはまだ東京で学ばなければならないため家を売ることになった。兄の厄介になるつもりのない彼は神田小川町の下宿ですることになり、清もその四畳半についてきた。九州へ立つ二日前、随意に使えと兄から六百円を渡された坊っちゃんは、そのときばかりは素直に貰った。三年間一生懸命にやれば何か出来ると考えた彼は、偶然通り掛かった物理学校の生徒募集の広告を見て入学手続きをした。好きでもない学問に拘ったのは親譲りの無鉄砲のせいだった。三年間の学生生活ののちに無事卒業することが出来た坊っちゃんは、校長から四国の中学で数学の教師にならないかと誘いを受けた。彼は即座に了承したが、それも親譲りの無鉄砲によるものだった。

明治三十九年、坊っちゃんは松山へ旅立った。彼が心配な清は朝早くからきて世話を焼き、頭に血が上る前に考えて行動するよう口酸っぱく言ったのだった。瀬戸内海を渡る汽船に乗ると船長が松山自慢を始めたため、江戸のものに敵うものはないと言うと船長は呆れて何処かへ行った。することもないので海を眺めていると突然吹いた風が坊っちゃんのハンチング帽を飛ばした。海に落ちたそれを残念そうに見送っていると何処からか男の笑い声が聞こえてきた。声の主はカンカン帽を被ったいけ好かない男で、しゃらくさい江戸っ子気取りが帽子を飛ばされたから笑ったんだと言った。坊っちゃんは男に飛び掛かろうとしたが、清の顔が頭に浮かんだため思い止まった。汽船から小舟に乗り換えると男は先頭で小唄を気持ちよく唸っていた。それを黙って我慢していた坊ちゃんだったが、不意な風で飛んだカンカン帽が顔に当たりついに堪忍袋の緒が切れたのだった。二人は揉み合いになり、バランスを崩して両社とも海に落ち込んだ。更に陸に着いてからも人力車で先を争ったが、男が赴任する中学の教師であることを坊っちゃんは後に知ることになる。

下宿が決まるまでの間、坊っちゃんは山城屋という旅館で寝泊まりすることになった。あいにく満室ということで物置のような部屋に通されたが、茶代を出さないと粗末に扱われると聞いていたため女中に渡した。五円も祝儀を貰ったと女中から聞き驚いた主人が東京の華族の若様かもしれないと急いで部屋を訪れると、当分どうやって暮らそうかと坊っちゃんは頭を痛めていた。

屋台的映画館
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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