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山田村ワルツ

  • posted at:2015-05-23
  • written by:砂月(すなつき)
やまだむらわるつ
テンポラリーセンター
配給:松竹
製作年:1988年
公開日:1988年2月11日 併映「恋はいつもアマンドピンク」
監督:金子修介
製作総指揮:南部靖之
企画:本間文子 鈴木ワタル
プロデューサー:末吉博彦 進藤淳一 天野真弓
脚本:一色伸幸
音楽:大谷幸
主題歌:「嫁津波」山田実とトップゴージャス
挿入歌:「卒業」小沢なつき
撮影:高間賢治
照明:高屋斉
録音:井家真紀夫
美術:山口修
編集:飯塚勝
製作担当:貝原正行
企画制作:エムツーアールエフ
出演:天宮良 米山善吉 我王銀次 上杉祥三 西川弘志
アメリカンビスタ カラー 94分

山田郡山田岳山田村大字山田字山田は東北の山間にある小さな集落。特産品のヤマダボチャはかつて全国的に知られていたが、においが特異で慣れるのに時間がかかることから、今では畑のくさやと嫌われ知る人も数少なくなっていた。そのため山田村にも過疎化の波が押し寄せ、中でも若い娘が故郷を捨てて出ていくことで嫁不足は深刻な問題となっていた。そんな折、青年団の団長で農協に勤める庵光一の妹・有希子が上京して行ったが、それを知って落胆したのは、花火師の神田貴太郎、僧侶の近藤ヤスオ、そして東京から無医村の山田村にやってきた佐々木護だった。青年たちを不憫に思った役場は4人のために集団見合いを行うことにした。

見合い当日の朝、ヤマダボチャの花が咲いていた。村には60年に一度しか咲かないその花が咲いた年にはとんでもないことが起きるという言い伝えがあった。会場で緊張して待つ光一たちに貫太郎の父で村長の亘がバスが来たことを教えると、4人の緊張はピークに達した。亘がエスコートの仕方とその相手の女性が攻撃目標だと告げると、残り物には福があると護は一番後ろに並んだ。ところが東京から来たのはラン・スー・ミキのみ。一人は風邪で欠席してしまったため、護はあぶれてしまった。傷心した彼が医院にこもっていると、腰を痛めたヤマダボチャ農家の老婆・堤ハナがやってきた。護は怒りに任せて彼女をマッサージしたところ、小走りで帰宅できるまでに回復した。その道すがら、ハナは畑のヤマダボチャから花を抜き取る見慣れない女性に会った。彼女は宇宙やSF小説を得意にしている天才少女作家の綾小路麗花。初めて大自然青春ドラマに取り組もうとしたのだが、田舎のイメージが湧かずスランプに陥っていた。そこにたまたま山田村の様子がテレビに映っていたことから、直接田舎の空気に触れることにしたのだ。そんな彼女をハナは自宅に招き入れ、お茶をごちそうすることにした。

集団見合いは成功したかに思えたが、光一がスーに電話をかけるとリカちゃん電話に繋がった。他の二人も同じだった。騙されたことに憤慨した光一たちは、憂さ晴らしをすると言って東京に出かけた。このままでは三人が村を捨てて出て行くに違いないと考えた亘は、醍醐天皇の昔より伝わったが100年前に途絶えたという「おたふく祭」を翌月の10日に復活する提案を議会で行った。それをテレビ番組でPRし、青年団との集団見合いを行うのだ。そこで彼の戦友であるホジテレビの桃桜剛プロデューサーに村の福祉予算全額を裏金として渡し、放映にこぎつけたのだった。嫁不足の解消を最優先に考えた亘は美人の概念を根本的に覆して募集した。反響は予想以上に大きく、雑誌にも取り上げられた。村としては祭当日まで一致団結して青年団を騙し通さなければならない。そこでテレビ放送がある場合は村を停電にし、雑誌は役場が買い占めることにした。そして当日は見合い希望者におかめの面をかぶせることにした。

屋台的映画館
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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