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顔役(1965年)

  • posted at:2018-10-19
  • written by:砂月(すなつき)
かおやく
東映(東京撮影所)
配給:東映
製作年:1965年
公開日:1965年1月3日 併映「徳川家康」
監督:石井輝男
企画:俊藤浩滋 吉田達
脚本:笠原和夫 深作欣二 石井輝男
撮影:星島一郎
録音:大谷政信
照明:元持秀雄
美術:中村修一郎
音楽:八木正生
編集:田中修
助監督:小山幹夫
進行主任:西井剛
現像:東映化学工業株式会社
出演:鶴田浩二 高倉健 佐久間良子 藤純子 三田佳子
シネマスコープ カラー 91分

国立代々木競技場の近くにあるホテルオーヤマに続々と車が集結していた。その会場では関東一帯のやくざ組織である関東城政会の84団体による幹部会が行われ、政府が3兆円の金をつぎ込んで東洋一の大産業地帯を造成しようとしている新浜市の埋立地についての説明がなされた。10年先には人口100万人の都市が3つは出来上がると予想され、大企業コンビナートの移転に連れてマンモス団地も建設されている。やがては東京や大阪に匹敵する一大消費都市になることは間違いなかった。埋立地の一部は県が地元の漁業組合に漁場放棄の見返りとして譲り渡した30万坪の土地で、その顔役の漁業組合長は鳴海一家の三代目で小杉組組長をしていた小杉末造だった。小杉と吉川市長がその土地の実権を握っており、整地が済み次第ここに転業漁民のための酪農地を造成する計画を立てていたが、それを関西同志会会長の尾関が狙っていたのだ。近々漁業組合が整地の入札を行うことになっており、尾関は子分の甲田建設の名を借りて落札しようとしていた。そこで城政会会長の檜山義一が大役を任せて貰えないだろうかと名乗り出ると満場一致で可決された。

東日開発会長の山脇と組んだ檜山は、気の毒だと思っているが関東を代表して派遣できる檜山組3千人の中でもお前以外見当たらないと大幹部の中神正治を指名した。中神はかつて兄弟分と二人で竹内一家に乗り込んで行ったという伝説の持ち主だったが、それもいつも損な役回りを押し付けられていたからだ。この役についたのは他に早見恭一、宮田哲男、染谷勇、桑原次郎、安積徳三郎の5人だった。彼らが埋立地に中神建設の工事事務所を建てると、早速甲田組が挨拶に現れ花瓶を置いて行った。それには爆竹が仕掛けられていたが、その破裂音が抗争の始まりの合図だった。甲田は実弾攻勢で入札に拘る建設業者とパイプを結び、賭場を開いて漁業者から借金の形として権利書を奪った。その頃、中神は足を洗ってバーを経営する柏田弘と会い、昔のよしみで小杉を紹介してもらうことになった。だが客としてやってきた上機嫌の新聞記者・秋田吾郎から大スクープを聞き気が変わった。甲田建設を追っていた彼は、市役所の土木課長が甲田と料理屋で何度も会っていたことを警察が突き止め参考人として出頭を命じたところ、留置場で首を吊って自殺したという情報を掴んだというのだ。それを知った中神は、柏田にさっきの話はなかったことにしてくれと言い残すと店を後にした。秋田が書いた記事はその日の夕刊に載ったが、死人に口なしだと甲田は笑い飛ばした。その頃、中神は小杉の屋敷を訪ね、私どもに力添えをお願いしたいと頭を下げた。すると小杉は、どちらに入札が落ちて血の雨が降ったとしてもカタギの者たちには関係ない話だときっぱり言った。

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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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