東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1974年
公開日:1974年12月28日 併映「直撃地獄拳 大逆転」
監督:深作欣二
企画:日下部五朗
原作:飯干晃一
脚本:神波史男 荒井美三雄
撮影:吉田貞次
照明:中山治雄
録音:溝口正義
美術:雨森義允
音楽:津島利章
編集:宮本信太郎
助監督:藤原敏之
記録:田中美佐江
装置:吉岡茂一
装飾:松原邦四郎
背景:西村和比古
美粧結髪:東和美粧
スチール:中山健司
演技事務:西秋節生
衣裳:岩逧保
擬斗:上野隆三
進行主任:上田正直
出演:菅原文太 松方弘樹 渡瀬恒彦 池玲子 中原早苗
アメリカンビスタ カラー 98分
昭和25年9月、山守組組員・三好万亀夫は対立組織である浅田組の組長・浅田広人を広島県呉市の路上で襲撃した。ところが腹に受けた銃弾は致命傷にならず浅田は病院で意識を回復したのだった。男になれなかったことを叱る山守組組長・山守義雄は彼にもう一度チャンスを与えることにし、自分で始末をつけることが極道としての鏡だと諭した。だがこの事件をよって三好は逮捕され、懲役8年の刑を受けて岐阜刑務所での長い生活を送ることになった。その頃、世の中は朝鮮動乱の特需景気をきっかけに高度成長へ向けて大きく変わりつつあった。そしてその波に乗った山守組は順調に繁栄の道を辿って行ったが、それは同時に各々の利害をめぐる内部抗争の原因となった。組内は山守と若頭の青木尚武が対立したことで分裂状態となっており、困った山守は妻の利香を連れて三好の面会に行った。組の現状を洗いざらい話したのは出所後の彼を陣営に引き入れるためだったが、考えていることは青木も同じだった。同様に面会を申し出た青木だったが、三好は腹を割って話した方がいいと諭した。山守の面会からひと月後の昭和34年11月、三好は仮釈放によって出所したが、その条件として居住地を名古屋に制限された。出迎えたのは山守建設名古屋支店次長の前田久雄と、三好の舎弟分の北見登だけだった。山守の甥で名古屋支店長の山守健一は現金封筒とともに利香から預かった出所祝いの包みを渡すとまだ仕事が残っていると言って早々に帰った。三好がその包みを開けると、カステラの下に拳銃が入っていた。
名古屋の料亭で三好の放免祝いが開かれたが、そこには山守だけでなく青木や中立派の難波茂春までもいた。青木が口論を始め場が乱れると利香は三好を裏へ連れて行き計画通りにやって欲しいと金を渡そうとした。だが彼はそのやり方に異議を唱え突っぱねた。一方、山守の動きを薄々感づいていた青木も三好を取り込もうと近づいた。数日後、広島で難波が殺された。彼は青木に対する牽制として海津組への接近を図っていたが、その帰途を狙われ先制攻撃を受けたのだった。青木は強力な後ろ盾になってもらうために難波に替わって海津組組長・海津卯之吉に接近し懐柔策は成功、知遇を得た。この一連の事件は名古屋にいる三好の身に強い衝撃を与えたのだった。
屋台的映画館
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