東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1963年
公開日:1963年7月7日 併映「警視庁物語 十代の足どり」
監督:長谷川安人
企画:天尾完次
脚本:池上金男
撮影:わし尾元也
照明:増田悦章
録音:藤本尚武
美術:富田次郎
音楽:鏑木創
編集:堀池幸三
助監督:本田達男
記録:勝原繁子
装置:西川春樹
装飾:中岡清
美粧:林政信
結髪:宮島孝子
衣裳:豊中健
擬斗:谷俊夫
進行主任:田村祐夫
出演:里見浩太郎 三島ゆり子 薄田研二 原田甲子郎 品川隆二
シネマスコープ モノクロ 99分
寛永八年十二月。重篤となり半月程の命といわれる二代将軍秀忠の世継ぎは嫡男の家光にということで落ち着きかけていたが、老中阿部豊後守忠秋が駿府で不穏な動きがあることを伝え聞いたことから伊賀忍者の甚伍左を江戸城に招いた。将軍職を狙う家光の弟忠長が、中国筋から九州にかけての西国外様大名に働きかけて謀反の連判状を集め、秀忠逝去とともに兵を上げるという噂があった。忠秋は甚伍左に仔細を話し、事は未然に防がねばならぬと言った。そして連判状を逝去と同時に示して忠長に詰腹を切らせると言うと甚伍左は静かに頷いた。
甚伍左は屋敷に戻ると仲間を集め、上坂治平衛に四人とともに甲州街道を走り鰍沢より富士川を抜けて駿河へ忍べと命じた。そして治平衛に仕える四人に石脇新作、藤伝八、田辺小六、一色弥市を指名した。市木左平次には厚木街道より足柄を抜け竹之下、御殿場へ抜けて駿河へ忍べと命じ、加太源作、滝島一鉄、木賀孫介に左平次の指図に従えと言った。次に上島多兵衛を呼ぶと、熱海街道を経て伊東へ向かい修善寺を抜けて伊豆より駿河へ忍べと命じ、御宿源心、鬼頭右馬之介、佐伯主馬に多兵衛の指図に従えと言った。甚伍左は残った見沼文蔵と柘植半四郎にわしとともに箱根裏街道を経て駿河に忍ぶと言った。そして江戸に残って不測の事態に備える役目を娘の梢に与え、御老中の指図に従い上様御容体の急変に備えてくれと言った。甚伍左は皆に対し、十六名が例え一人となろうとも伊賀の名に懸けて必ず御役目を果たさねばならぬと発破をかけた。
雨の夜、甚伍左は古寺で吉報を待っていたが、文蔵と半四郎の報告で本丸へ忍び込んだ新作と弥市の計略が失敗したことを知った。文蔵はもう一度新手を出す提案をしたが、既に四人が犠牲になっていることから甚伍左は城郭図を示して無駄だと言った。本丸の内堀を越えるには大手門から巽櫓を通って外堀を渡る以外に手はなかったが、例え城中に忍び入ったとしても城方に知られて巽櫓の鐙道を抑えられれば袋の鼠同然となる。地形、備えともに鉄壁の構えであることは新作たちが犠牲になったことで明白になったのだ。忍びの裏を知る紀州根来忍者の才賀孫九郎を相手に尋常一様の手段は通用せぬ。甚伍左は呟きは諦めに似ていた。
屋台的映画館