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大魔神怒る

  • posted at:2019-04-13
  • written by:砂月(すなつき)
だいまじんいかる
大映(京都撮影所)
配給:大映
製作年:1966年
公開日:1966年8月13日 併映「座頭市海を渡る」
監督:三隅研次
製作:永田雅一
企画:奥田久司
脚本:吉田哲郎
撮影:森田富士郎 田中省三
録音:大角正夫
照明:美間博 古谷賢次
美術:内藤昭 加藤茂
音楽:伊福部昭
編集:菅沼完二
特撮合成:田中貞造
作画:渡辺善夫
擬斗:宮内昌平
音響効果:倉嶋暢
助監督:西沢鋭治
製作主任:今村喬
現像:東洋現像所
特撮監督:黒田義之
出演:本郷功次郎 藤村志保 丸井太郎 北城寿太郎 上野山功一
シネマスコープ カラー 79分

時は戦国時代。八雲湖を挟んで西に千草国、東にはその分家の名越兵衛一族が治める里があった。その二つは湖の利益にあやかり豊かな日々を送っていたが、千草国より西に位置する御子柴国は四方を山々に囲まれていることで貧していた。領主御子柴弾正は領民に重税を課し、それに耐えられない農民が両国の間にある地形を利用して千草国へ逃げ込んだ。頭を痛める弾正は、近々千草城下で先の領主の追善法要を兼ねた天下の平和を祈る儀式が行われることを家臣鬼子島玄藩から伝え聞くと、名越一族も招かれるその日に八雲湖を手に入れる計画を立てた。

法要は千草城の若き城主千草十郎によって営まれ、無事に終わると兵衛にしばらく逗留されてはいかがかと尋ねた。秋に十郎と兵衛の娘小百合との婚姻が決まっており、その打ち合わせを兼ねての気遣いだった。御子柴からの難民に対し谷の開拓事業を任せるなど十郎の領民からの信頼は厚く、それが千草国を豊かにしている理由の一つでもあった。その後、場所を移して平和の祈念が行われた。八雲湖の東部には武神像が祀られる神ノ島があり、鳥居の奥に静かに鎮座していた。皆で祈りを捧げていると像の顔が見る間に赤く染まった。昔から守り神の顔色が変わった時は名越一族が滅びるという言い伝えがあり、厄除けの祈りを行うことを里の者たちに知らせようとしたが、御子柴軍は既に行動を起こしていた。その夜、彼らは決起して屋敷を襲い十郎の命を狙ったが行方は知れなかった。翌日その十郎が名越里に逃げ込んだと当たりをつけた御子柴軍は一気に攻め込み兵衛を惨殺、小百合の兄勝茂を人質として連れ去った。屋敷は玄藩が支配し、兄を返して欲しければ十郎を連れてこいと小百合に言った。

日が暮れると小百合は舟で神ノ島に渡り武神像に祈った。名越や千草の難儀を救い十郎様や兄の命を救ってくだされば、命を召されても構いません、と。そこに御子柴軍が現れ、彼女は岩場の陰に身を隠すと様子を窺った。すると男たちは中に鎚や鏨が入った大きな荷物を降ろし始めたのだ。弾正は名越や千草の民の心の支えである武神像の打ち壊しを命じたのだった。玄藩は鐘撞き和助とともに小百合を捕らえると、お前たちの守り神がどうなるか見ておけと火薬を仕掛け爆破した。像は木っ端微塵に吹き飛び頭部は湖に没した。すると水面が湧き立ち真っ赤に染まった。そして空が一面厚い雲に覆われると稲妻が島を直撃したのだった。だがそれは一時的の出来事だったため、玄藩は祟りなどあるはずがないと引き揚げた。爆破の落石から奇跡的に助かった小百合は島に残って祈り続ける道を選んだが、そのとき一艘の小舟が島に流れ着いた。そこには傷ついた十郎の姿があった。

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大魔神

  • posted at:2019-03-22
  • written by:砂月(すなつき)
だいまじん
大映(京都撮影所)
配給:大映
製作年:1966年
公開日:1966年4月17日 併映「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」
監督:安田公義
製作:永田雅一
企画:奥田久司
脚本:吉田哲郎
撮影:森田富士郎
録音:林土太郎
照明:美間博
美術:内藤昭
音楽:伊福部昭
編集:山田弘
特撮合成:田中貞造
擬斗:楠本栄一
音響効果:倉島暢
助監督:西沢鋭治
製作主任:田辺満
現像:東洋現像所
特撮監督:黒田義之
出演:高田美和 青山良彦 藤巻潤 五味龍太郎 島田竜三
シネマスコープ カラー 84分

時は戦国時代、丹波領の山里には狼谷に封じ込められているという魔神伝説があった。時折起こり大きな振動はその魔神が外へ出ようと暴れている足音と言われており、領民たちはその度に魔神封じの祈りの祭を行うのだ。その頃、山中城城内では不穏な動きが水面下にあった。祭が始まった頃、城主の花房忠清は名代として家老の大舘左馬之助を不安がる領民のもとへ送ったが、謀叛を企てる彼には好都合だった。夜更けに合わせて左馬之助の息が掛かった者たちが攻め込み、山中城はあっという間に制圧されたのだった。一方、近臣猿丸小源太は忠清の子忠文と小笹を連れて城外へ逃げ出し、小源太の叔母で巫女の信夫の手引きにより魔神の山に身を隠すことになった。武神像の横にはその昔神が住んでいたという洞穴があり、来たる日までそこで暮らすことになった。

十年後、左馬之助が実権を握った山中城では新たな砦建設のために領民へ重税を掛け、男たちを作業に参加させると倒れるまでこき使った。領民の怒りは日に日に増して行ったが、小源太の同僚だった中馬逸平や原田孫十郎らが決起の準備を進めていた。一方魔神の山では、忠文は逞しく、小笹は美しく成長していた。左馬之助が砦を固めているのは近隣の豪族を従えて近々京へ上るからだという噂話を信夫から聞いた忠文は、これが御家再興の機として山を下りようと小源太に提案した。一日でも長く左馬之助をのさばらせておけば領民の不幸が長引くだけだからだ。だがそのためには志を同じくした城下の者たちの協力が必要だった。そこで小源太が先に下り繋ぎをつけることになった。

左馬之助は城下に領民以外の者たちの数が増していることを知っており、腹心の犬上軍十郎に警備を任せていた。猟師として潜入しようとした小源太の正体を見破った軍十郎は生きたまま捕らえよと配下の者に命じた。鉄砲による傷を負いながらも建設中の砦へ逃げてきた小源太だったが、努力も虚しく捕縛された。軍十郎は小源太に対して拷問を行い忠文と小笹の居場所を吐かせようとしたが、彼は頑として口を割らなかった。だがその様子を見ていた左馬之助は二人が生きていることを確信した。その頃、信夫のもとに一人の少年がやってきた。彼の父親は昔の殿様の家来を庇った罪で捕まり、殺されるかもしれないから山の神様にお願いをしに行くのだという。父親とともに捕まったその家来は城の門の外に宙づりにされていた。助けにきた仲間を皆殺しにするための生贄なのだ。それが小源太だと確信した信夫は、神様はきっとそなたの願いを叶えてくださると自分に言い聞かせるように少年に言った。その話を陰で聞いていた忠文は単身で行動を起こすことに決めた。

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ダイナマイトどんどん

  • posted at:2018-11-20
  • written by:砂月(すなつき)
だいなまいとどんどん
大映映画
配給:東映
製作年:1978年
公開日:1978年10月7日 併映「ギャンブル一家 チト度が過ぎる」
監督:岡本喜八
総指揮:徳間康快
製作:俊藤浩滋 武田敦
企画:佐藤正大
原案:火野葦平
脚本:井手雅人 古田求
撮影:村井博
録音:田中信行
照明:今泉千仭
美術:竹中和雄
音楽:佐藤勝
編集:阿良木佳弘
助監督:白山一城
記録:梶山弘子
効果:岩藤龍三
製作担当:水野洋介
現像:東映化学
協力:第一港運株式会社
出演:菅原文太 北大路欣也 宮下順子 田中邦衛 小島秀哉
アメリカンビスタ カラー 142分

昭和25年、盛夏。北九州小倉では新興ヤクザの橋伝組がMPとの間で闇物資の取引を行っていた。その情報を掴んだ地元ヤクザの岡源組は取引現場に踏み込み一杯食わせたのだった。北九州一円ではヤクザの抗争が事あるごとにエスカレートしており、事態を重く見た小倉警察署署長・岩崎は岡源組組長・岡谷源蔵、橋伝組組長・橋本伝次郎の双方を呼び出した。そして北九州方面米軍司令官が見守る中、民主的な方法で行う解決策を提案した。

抗争が度重なることでいくら命と金があっても割りに合わないと北九州の親分衆は考えていた。そして警察と世間の風当たりも強いことから、まず社会や市民に良い印象を与えなければならないとも考えていた。そこで親分衆は親睦団体・筑豊侠友会を結成し、民主的な解決方法として野球大会を行うことに決めたのだ。通達は岡源組でも行われたが、野球が出来るのは30人ほどいる組員の半分にも満たなかった。試合は参加12チームによるトーナメント方式で、豊楽園球場で8月15日から毎週土、日曜日に行われる。岡源組にとって橋伝組に負けることほどの屈辱はないため、優勝旗を必ず取って来いと源蔵は組員に檄を飛ばした。岡源組の野球は仁義に則る任侠野球なのだ。だが遠賀川の加助は棒振り競技などに付き合う気など毛頭なかった。その頃、羽振りのいい橋伝組は幹部の花巻修が各地を飛び回って有力な選手を次々とスカウトし、最強の橋伝カンニバルスを結成した。

助っ人を呼べない岡源ダイナマイツは組員から選手をチョイスしたが、野球経験者は一番下っ端の一六だけで、あとはど素人ばかりだった。練習場所の確保で先に使っていた娼婦のチームに出て行けと言ったが、逆に12チームいち弱いとバカにされる始末。頭にきた幹部の留吉は力ずくで追い出そうとしたが、一六はそのチームの監督が東急セネターズでかつて黄金の右腕と呼ばれた五味徳右衛門であることに気づいたのだった。早速コーチをお願いしてノックを受けたが、誰もボールを捕ることが出来なかった。すると五味は、球を捕るのではなく体のどの部分に当ててでも止めることがヤクザの野球だと言った。組員の吹原たちが次々と倒れて行く中、五味が次に指名したのは偶然広場の近くを通り掛かり様子を窺っていた加助だった。三下呼ばわりされた加助はそんなものに命を掛けられるかと五味に殴り掛かろうとしたが、冷やかしにきたのなら帰れと留吉に言われたため腹を立てて去った。だが特飲街に行っても野球をしないヤクザは男として認めてもらえず、彼が惚れる割烹川太郎の女将・お仙からも酒を飲ませてもらうことが出来なかった。

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大殺陣

  • posted at:2018-09-01
  • written by:砂月(すなつき)
だいさつじん
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1964年
公開日:1964年6月3日 併映「続図々しい奴 」
監督:工藤栄一
企画:松平乗道
脚本:池上金男
撮影:古谷伸
照明:安田興一
録音:小金丸輝貴
美術:富田治郎
音楽:鈴木静一
編集:堀池幸三
助監督:本田達男
記録:塚越恵江
装置:近藤幸一
装飾:川本宗春
美粧:林政信
結髪:妹尾茂子
衣裳:豊中健
擬斗:谷俊夫
進行主任:藤井又衛
語り手:芥川隆行
出演:里見浩太朗 河原崎長一郎 平幹二朗 宗方奈美 大木実
シネマスコープ モノクロ 119分

四代将軍徳川家綱公の治世。検地帳によって年貢の取り立てが厳しくなる中、農民たちは飢饉や天災を訴えて各地で騒動を起こし、千三百余の者たちが仕置きされた。その延宝六年四月六日、若年寄堀田備中守正俊はある疑いにより江戸城和田倉門外辰ノ口評定所に喚問された。その疑いとは四月八日に行われる灌仏会の行事を利用して江戸城内外に事を起こし、大老酒井雅楽頭忠清を押し込めて政道の変革を図ろうとしたというものだった。大目付北条安房守氏長はこの件に拘る徒党を容赦なく召し捕り、抵抗すれば斬り捨てても差し支えないと配下の者に命じた。

書院番神保平四郎の邸に怯えた様子の友人中島外記が匿って欲しいと突然訪ねてきた。理由を知らずに従ったことで同類と見做された平四郎は徒党の一人として捕縛された。だが忠清に反感を持つ者たちによって助け出され雨でずぶ濡れになっているところを旗本浅利又之進に拾われた。命が惜しかったら泊まって行けと又之進が言うと平四郎は素直に従った。そしてこれまでに起きたことを話そうとすると、又之進は次が聞きたくなるからと口止めし先に布団に入った。そして何事かを仕出かすのも結構だが考えてするべきだと釘を刺した。その頃、江戸城では氏長が手腕を振るい敵対する一党を一ヶ所に集めて粛正、五十人組頭の小出治兵衛に尋問を行っていた。

四月七日、江戸城大手御門外にある忠清の上屋敷に岩井という政務の者が訪ねてきて報告を行った。ひっ捕らえた七十二名を吟味中で、残りの十名前後も程なく捕らえられるという。だが忠清が気になっていたのはそれよりも正俊のことだった。正俊は口を閉ざして語らず、また一味との繋がりも確認することが出来なかった。若年寄は老中に次ぐ重職で大老職の手足となる者に疑いがあって評定所に喚問されたとなれば世評に響く。そこで忠清は十一日までに決着をつけるよう命じた。

平四郎が物陰から追手の様子を探っていたところ一人の女が声を掛けてきた。それは外記の味方であり軍学者山鹿素行の姪のみやだった。だが外記のために命を狙われ、連行される際に斬られた容態のわからぬ妻加代のことが心配だった彼はもうこれ以上拘りたくなかった。ところが加代の屍が野晒しにされていることを知ると頭に血が上り今すぐにでも復讐しようと立ち上がるが、みやはその命を大きなことに活かすべきだと思い止まらせた。冷静を取り戻した平四郎をみやはある長屋に連れて行った。そこの主は星野友之丞という貧乏御家人で岡部源十郎を頭とする一党の一員だった。何故一党に加わったのかと平四郎が尋ねると、友之丞は食うにも食えぬやりきれない世の中を変えるために役に立ちたいと思っただけだと言った。

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大怪獣バラン

  • posted at:2017-03-29
  • written by:砂月(すなつき)
だいかいじゅうばらん
東宝
配給:東宝
製作年:1958年
公開日:1958年10月14日 併映「フランキーの僕は三人前」
監督:本多猪四郎
製作:田中友幸
原作:黒沼健
脚本:関沢新一
撮影:小泉一
美術:清水喜代志
録音:小沼健 宮崎正信
照明:金子光男
音楽:伊福部昭
監督助手:梶田興治
音響効果:三縄一郎
編集:平一二
製作担当者:川上勝太郎
特殊技術・撮影:荒木秀三郎 有川貞昌
特殊撮影・美術:渡辺明
特殊撮影・照明:岸田九一郎
特殊撮影・合成:向山宏
特技監督:円谷英二
出演:野村浩三 園田あゆみ 千田是也 平田昭彦 村上冬樹
シネマスコープ モノクロ 87分

シベリアのみに生息しているアカボシウスバシロチョウの標本が中学生の夏休みの宿題の中にあることを知った杉本生物研究所は、それが採集されたという東北地方の北上川上流直径40キロの地点に所員の新庄一郎と河田豊を派遣し実態調査を命じた。その地域は日本のチベットと呼ばれる秘境だった。岩谷部落に到着すると土地のことを尋ねたが、よそ者である新庄たちを住民たちは無視した。仕方なく二人は森の中へジープを進めることにした。谷からはこの地域特有のガスが噴出し、地図には載っていない湖が確認出来た。さらに奥深くへ進んで行くと突然大きな振動に見舞われた。危険を回避するために車を停めたが、それが幸いしてあの蝶を発見したのだった。生きたまま確保出来たことに喜ぶ二人を咆哮と強風が襲った。

二人の所員を失って落胆する杉本博士のもとに現れたのは、新庄の妹・由利子とカメラマンの堀口元彦だった。由利子が記者として勤める東日本新報では20世紀の謎を探るという企画を立てており、兄の死が婆羅陀魏山神による祟りではないかと噂されていたことから、真相を究明するために自ら取材を買って出たのだ。あの一帯は生物学的に見ても謎が多く、土地の人たちの信仰に根拠があると考えていた杉本はこの件に興味を持っていた。そこで助手の魚崎健二を同行させて調査を継続することにした。岩谷部落への道中で少年・源に会い婆羅陀魏山神が存在する可能性があることを知った健二たちは神主に話を聞くことにしたが、彼は奥地へ行くことを断固反対した。そして怒りに触れぬうちに帰りなさいと促したが、源が飼い犬・チビを追いかけて柵を越えたため、健二たちは救出を前提に調査を行うことにしたのだった。

奥へ進むに連れて霧は濃くなり、健二と元彦は由利子とはぐれてしまった。そこで一度戻り捜索の参加者を募ったが、村人たちはみな祟りを恐れ協力を拒んだ。そこで健二が今こそ迷信を打ち破るときだと熱く語ると、源の母は参加すると言い他の村人たちもそれに倣った。するとチビが駆け寄り健二は首輪に手紙が結びつけてあることに気付いた。そこには由利子が源とともに霧が晴れるまで湖のほとりで待っていることが書かれており、少年の無事が確認されたことから健二は村人を引き連れて再び森に飛び込んだチビを追いかけた。霧が晴れ、源は母親と無事再会を果たした。だが突然湖が波立ち、巨大な生物が水面から顔を出したのだった。

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