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赤い天使

  • posted at:2020-08-08
  • written by:砂月(すなつき)
あかいてんし
大映(東京撮影所)
配給:大映
製作年:1966年
公開日:1966年10月1日 併映「殺人者」
監督:増村保造
企画:久保寺生郎
原作:有馬頼義
脚本:笠原良三
撮影:小林節雄
録音:飛田喜美雄
照明:泉正蔵
美術:下河原友雄
音楽:池野成
編集:中静達治
助監督:崎山周
製作主任:上嶋博明
写真提供:毎日新聞社
出演:若尾文子 芦田伸介 川津祐介 千波丈太郎 赤木欄子
シネマスコープ モノクロ 95分

昭和十四年五月、西さくらは陸軍看護婦として天津の兵站病院に赴任した。内科病棟を担当することになったさくらは、岩島婦長から半分の重症患者と軽い結核か精神疾患の入院患者の中に偽の病人が紛れ込んでいるため気をつけるようにと忠告された。そして治癒しているにも拘らず前線復帰を嫌って残りたがる兵士の嘘を見抜くことが日常で接しているあなたの仕事だと言われると身が引き締まる思いをした。見た目は内地の陸軍病院と変わらなかったが、そこは天津。坂本一等兵は彼女の出自などを根掘り葉掘り聞き出すと同郷のよしみだと言って妙に馴れ馴れしくした。その夜、巡回の時間になり病室を見回ると、それを待っていた坂本たちに強姦された。次の日の夜、さくらが恥を忍んで婦長にそのことを報告をすると、坂本が常習犯だということがわかった。肺浸潤はまだ癒えてはいなかったが彼は前線の中隊に強制的に復帰させられた。

二ヶ月後、さくらは前線近くの深県分院は凄まじい地獄だった。傷病兵が何台ものトラックで運ばれ担架に乗せられた。広場に並べられた兵士たちは医師により即座に診断が下され、命があっても処置が不可能な者は見捨てられた。さくらは岡部軍医少尉を始め看護婦、衛生兵とともに不眠不休で働いた。多くの兵士が次々と分院へと運び込まれ、ある者は手術を待つ間に、またある者は手術中に、さらにまたある者は手術を受けてから死んで行き、皆死体置き場へ運ばれた。死んだ患者から外された認識票は山のように積まれた。職務期間最後となる三日目の終わり頃、腹を撃たれた患者が運ばれてきた。出血が酷く岡部から見捨てられた兵士は坂本だった。驚いたさくらは顔をそむけたが、坂本はあの時はすまなかったと腕にすがりついてきた。助けて欲しいと強く懇願することから、自分を犯したという罪だけで死なせたくないと思い無理を承知で岡部に輸血を頼んだ。もっと助かりそうな者に使うべきだと岡部は主張し、それなら今夜俺の部屋にくるかと条件をつけた。さくらが少し考えてからお願いしますと頭を下げると、岡部は特別だぞと腹立たしげに言った。全ての患者の処置を終えたとき、坂本は輸血の甲斐なく死んだ。衛生兵が即座に彼を運び出すと、さくらは岡部の部屋へ向かった。そして患者について報告すると、兵士は人間ではなく一枚の認識票だと思えと岡部は言った。今回死ぬとわかっていて手術を行ったのは、軍医として召集される前までは大病院で外科医をしていたからだ。ここの仕事は負傷兵の生か死の判断をするだけであり、時として一人の医師に戻りたくなるのだ。坂本に手術を行ったのは彼の中に残っている外科医としての誇りと執念がそうさせたのだった。今まで何百本という手足を切ってきたが、その患者は果たして幸せなのだろうか。自問自答し精神をすり減らしてきた彼はいつしかモルヒネを常用するようになっていた。翌日、深県分院に勤務した看護婦たちは患者と同じトラックで天津の兵站病院に戻った。その頃、さくらにとって岡部は忘れられない人になっていた。

屋台的映画館
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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