東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1959年
公開日:1959年4月1日 併映「月光仮面 怪獣コング」
監督:沢島忠
企画:辻野公晴 小川貴也
原作:横溝正史
脚本:比佐芳武
撮影:坪井誠
照明:和多田弘
録音:野津裕男
美術:井川徳道
音楽:鈴木静一
編集:宮本信太郎
和楽:望月太明吉
舞台指導:竹柴燥二
進行主任:鳥居高樹
現像:東洋現像所
装置:舘清士
背景:後藤幸造
装飾:神崎頌尚
記録:田中美佐江
美粧:林政信
結髪:西野艶子
衣裳:荒堀実秋
スチール:高瀬和三郎
擬斗:足立伶二郎
助監督:山崎大助
撮影助手:羽田辰治
計測:羽田辰治
照明助手:井上孝二
録音助手:堀場一朗
美術助手:村山鎮雄
編集助手:細谷修三
演技事務:伊駒実麿
進行:藤井又衛
出演:中村錦之助 中村時蔵 中村加津雄 中村歌昇 中村米吉
シネマスコープ カラー 98分
享保元年十月、奥州棚倉勝田藩の領内で土蜘蛛党の蜂起があり、乱は十日後にようやく治まった。首領永瀬大全はじめ十三人は直ちに極刑に処されたが、程なく勝田藩城主豊前守尚勝が急死したことから世人はそれを土蜘蛛党の祟りと噂した。そしてそれ以来、勝田家の藩邸は蜘蛛の巣屋敷と呼ばれるようになった。ある夜、文七が藩邸の傍を通り抜けようとしたところ、飛び出して来た腰元の弥生が覆面の男たちに連れ去られようとしているところを目撃した。賭場帰りの彼は男たちに口止め料をたかったことで斬り殺されそうになり、左腕に深手の傷を負った。何とかその場から逃げることが出来た文七は、見回り中だった与力だるまの金兵衛にそのことを伝えると長屋に戻った。名題役者播磨屋歌六の子息文七は役者になることに抵抗を感じ博打打ちとなった。だがその儲けた金は自分のためだけに役立てるものではなかった。翌日、歌六邸を訪ねた文七はおとよから五両を借りた。昨晩、彼が賭場に出かけたのは、同じ長屋に住み病に臥せる秀太郎の母親のために薬を買う金を稼ぐためだった。だが全て擦った上に傷まで負う始末。四、五日したらきっと返しにくると礼を言っているところを歌六に見つかり、役者の性根を取り戻すまでは出入りは許さないと言ったはずだと一喝された。
真柄道場を訪ねた文七は稽古に来ていた与力の池田大助に昨夜のことを尋ねたが、界隈で起こった騒動の目撃者や付近の大名屋敷、旗本屋敷から奉行所への届け出がなかったことから、文七の狂言に違いないと金兵衛が結論づけたと聞かされ立腹した。怪我までさせられたこの事件が狂言として片づけられようとしていることに納得いかない文七が、頭の男が一人を新谷と呼んでいたことを話すと、お主は女を助けるために争ったんだなと大助は言った。するとそれ以上詮索されたくない文七は訳を聞かないでおくんなさいと言った。そんなこともあって大助に話を信じてもらえなかったことから、文七は自ら証拠を掴むことにした。
勝田藩邸に招かれた大岡越前守は、老中筆頭水野和泉守から相談を持ち掛けられた。水野の嫡男忠常は勝田駿河守の娘輝姫と縁組することになっているが、その輝姫が身分卑しき者に操を奪われた旨が書かれた投げ文が早朝屋敷に落ちていたのだ。越前守は縁談を快く思わない者のいたずらだと言ったが、先方から破談の申し入れがあったことを知ると土蜘蛛の署名に考えを巡らせた。そして十数年前に起きた奥州棚倉での騒動の報復ではないかと口にすると、和泉守は極秘裏に調べて欲しいと願い出たのだった。早速当時の記録帳を調べ詳細を知った越前守は、大介に棚倉での究明を命じた。その頃、文七は勝田藩邸の裏口で中間の喜八に行方不明になった腰元はいないかと尋ねていた。
屋台的映画館
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