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寒椿(1992年)

  • posted at:2022-03-26
  • written by:砂月(すなつき)
かんつばき
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1992年
公開日:1992年5月30日
監督:降旗康男
企画:日下部五朗
プロデューサー:奈村協 中山正久
原作:宮尾登美子
脚本:那須真知子
撮影:木村大作
照明:増田悦章
美術:内藤昭
録音:伊藤宏一
編集:市田勇
整音:荒川輝彦
記録:田中美佐江
助監督:藤原敏之
装置:梶谷信男
装飾:籠尾和人
背景:西村三郎
衣裳:豊中健
美粧:田中利男
結髪:山田真佐子
舞踊振付:藤間勘五郎
相撲指導:田中稔
劇用車:小野順一
擬斗:菅原俊夫
和楽:中本哲
刺青:毛利清二
方言指導:宮川珠季 安岡真智子
演技事務:寺内文夫
宣伝:佐々木嗣郎 又木たみえ
製作宣伝:丸国艦
スチール:中山健司
題字:堀道三
キャスティング:葛原隆康
音楽:小六禮次郎
音楽プロデューサー:おくがいち明
主題歌:「寒椿」倍賞千恵子
進行主任:長岡功
出演:西田敏行 南野陽子 野村真美 海野圭子 中野みゆき
アメリカンビスタ カラー 115分

昭和の初め。高知で芸妓小妓紹介業を営む富田岩伍は西日本一と呼ばれた料亭・陽暉楼とつき合いを持っていたため、家庭を顧みることが出来ない程忙しくしていた。その日も何かあると逃げたがる松崎の芸姑・小奴が京都の祇園で芸姑遊びをしているという話を聞き連れ戻しに向かった。その頃、妻の喜和は一人息子の健太郎を連れて家を出た。彼女は両親の猛反対を押し切って一緒になったが、岩伍が選んだ仕事にはとうとう馴染めなかった。帰宅し喜和たちが家出をしたことを知った岩伍はその足で彼女の兄・小笠原楠喜の屋敷を訪ねた。小笠原は二人の面倒を見るから帰れと言うが、諦めきれない岩伍は奥にいた健太郎を連れ去った。その夜、岩伍は酔っ払って荒れたが、夜が明けると健太郎は隙を見て家を抜け出しバスに乗って母のもとへ向かった。番頭の庄から話を聞いた岩伍はバイクで追い掛けてバスを停め、お前は富田家の人間だから必ず連れ戻すと健太郎に言い聞かせた。

ある夜、陽暉楼に呼び出された岩伍は主人の山岡源八が面倒な客で頭を痛めていることを知った。その客は東京からきた田村征彦という男で、朝倉町で金貸しを始めると雲竜などのごろつきを手懐けて店で毎晩大騒ぎをしているというのだ。心配した地元の有力者である百鬼勇之助が助けはいらないかと駆けつけたが、ここでやくざの出入りとなったら陽暉楼はお仕舞になる。そこで何とか連中を追い出す手立てはないものかと岩伍に相談を持ち掛けたのだ。岩伍は侠客修行中の仁王山を通じて田村と会い一万円の勘定書きを見せた。陽暉楼の主と賭けをしたが、それを見て顔色を変えなかったのは土佐銀行を経営者である多田宇一郎と百鬼しかいないと言ったため、もう一人いると岩伍が言ったという。それが自分のことだとわかると、田村はもう二度と陽暉楼に足を踏み入れない代わりに芸姑の染弥を貰うと言った。

それから数日後、岩伍のもとに桑名貞子が売られてきた。彼女は高知初の女性バスガイドとして働いていたが、父・勝造が博打に嵌りその借金の形として連れてこられたのだ。陽暉楼が経営する玉水遊郭を岩伍が紹介すると、彼女を気に入った山岡は牡丹という源氏名を与え芸妓に育てることに決めた。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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