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喜劇 団体列車

  • posted at:2023-06-17
  • written by:砂月(すなつき)
きげきだんたいれっしゃ
東映(東京撮影所)
配給:東映
製作年:1967年
公開日:1967年11月12日 併映「旅路」
監督:瀬川昌治
製作:大川博
企画:秋田亨 加茂秀男
脚本:舟橋和郎
撮影:坪井誠
録音:小松忠之
照明:元持秀雄
美術:北川弘
編集:祖田冨美夫
助監督:三堀篤
進行主任:武田英治
現像:東映化学工業株式会社
音楽:木下忠司
挿入歌:「駅弁小唄」東ひかり
協力:奥道後国際観光 日本国有鉄道 四国支社
出演:渥美清 佐久間良子 小沢昭一 笠智衆 城野ゆき
シネマスコープ カラー 91分

愛媛県の奥道後温泉に行くには国鉄伊予和田駅からバスに乗り換えるのがとても便利だ。その伊予和田駅に勤務する山川彦一は30歳で未だ独身。母・お杉が営む実家の山川雑貨店から毎日自転車で通っている。国鉄のローカル線は何処も赤字を抱えており、先日行われた現場長会議ではそれを克服するための増資運動の徹底が強調された。それは伊予和田駅も同じで、駅長の倉持は大型連休の期間に当たるこの4、5月の多客期が大事だと訓示した。ある日、改札業務を行っていた彦一は到着した列車の車掌から迷子を引き渡されたが、手掛かりはその子が志村敬一という名前であることと住んでいるのが城のある所とだけしかわからなかった。彦一は彼を連れて松山駅へ行くが同期の太宰淳一によると捜索願は出ていないという。とりあえず腹ごしらえをするためにうどん屋に入ったが、その時の会話で敬一が母子家庭であることとその母親が学校の先生をしていること、そして住んでいる場所が宇和島であることが新たにわかった。宇和島駅の駅長たちの尽力により敬一の母親と連絡を取ることが出来た。彦一は倉持に電話を掛け折り返しの列車で帰ることを伝えると敬一に別れを告げたが、彼を迎えにきた美しい母・小百合を見て気が変わった。お礼を言いたいいう小百合の厚意に甘えて自宅を訪ねると、彼女の母・すみ江が昼食を用意してくれていた。食事をしながら会話をするうちに彦一は小百合が心の優しい人だと思った。

ある日曜日、彦一が朝食を取っていると了賢和尚が昨夜きたとお杉が言った。何事かと尋ねるとどうやら見合いの話らしい。その相手というのが駅長の娘とのことだが 過去に三度試験に落ちている彼は助役になるまで結婚しないと決めていた。お杉がその話をしつこくしてくるため食事を途中で切り上げると四国団体旅行募集のポスターを貼りに出掛けた。彦一が最初に向かったのは叔父の風間八五郎が営む理髪店だったが、お杉が見合い話を進めるように頼んだのが彼だった。八五郎は彦一を椅子に強引に座らせると髪型を整え、了賢が旅行のことで相談があるらしいと嘘をつき寺へ向かわせた。そこで待っていたのは日高友造とその娘の邦子だった。友造は42年間勤めていた国鉄を定年になり、今はロープウェイの駅長をしていた。これが見合いとは知らずにざっくばらんに父と話す彦一に邦子は好感を持った。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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