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ゴジラ(1954年)

  • posted at:2015-09-29
  • written by:砂月(すなつき)
ごじら
東宝
配給:東宝
製作年:1954年
公開日:1954年11月3日
監督:本多猪四郎
製作:田中友幸
原作:香山滋
脚本:村田武雄 本多猪四郎
撮影:玉井正夫
美術監督:北猛夫
美術:中古智
録音:下永尚
照明:石井長四郎
音楽:伊福部昭
特殊技術:円谷英二 向山宏 渡辺明 岸田九一郎
監督助手:梶田興治
編集:平泰陳
音響効果:三縄一郎
現像:東宝現像所
製作担当者:眞木照夫
出演:宝田明 河内桃子 平田昭彦 志村喬 村上冬樹
スタンダード モノクロ 97分

8月13日19時5分、北緯24度統計140度2分付近で南海汽船所属貨物船「栄光丸」(7500トン)が原因不明の遭難をした。付近にいた貨物船「備後丸」が救助に向かったが、同様に沈没した。大戸島の漁船に3人の乗組員が救助され、そのうちの一人は「海が爆発した」と漁師に語った。だが海上保安庁にはその漁船も同じ運命を辿ったという連絡が入った。浮流機雷や海底火山脈の噴出が疑われる中、大戸島では漁師が仕掛けた地引網に一匹も魚がかからなかった。この一連の現象を島の長老は伝説の「呉爾羅」の仕業に違いないと考えていた。ヘリコプターで島へ飛んだ毎朝新聞の記者・萩原は島民に取材を行ったが、巨大な生物が海の中を暴れまわっているという俄かに信じがたい話を聞き、長老に取材することにした。その夜、海の物を食べつくすと陸へ上がって家畜や人間まで襲うという「呉爾羅」の厄払いのために神楽が執り行われた。かつては長くしけが続くときには若い娘を生贄にして沖に流したという。そのときの神楽だけが現在まで残っているのだと長老は語った。夜が深くなるにつれて風雨が強くなり、破壊家屋17棟、死者9名、牛12頭、豚8頭の被害を受けた。

国会議事堂では政府公聴会が行われ、大戸島災害陳情団による報告が行われた。稲田村長や生き残った島民が意見を述べる中、陳情団の一人として参加した萩原は、家の壊れ方やヘリコプターの潰され方など上から押し潰されたとしか考えられない壊れ方をしていることから単なる台風の被害ではないと答えた。政府は急遽、古生物学者の山根恭平博士を責任者とする調査団を結成し現地へ送った。メンバーには山根の助手を務める娘の恵美子、その恋人で南海サルベージの所長・尾形秀人、他に物理学者の田辺博士や萩原も参加した。調査を行った結果、島中にある井戸のうち壊滅した村の水からしか放射能の反応がなかった。そして生物の足跡とみられる場所からおびただしい反応があり、200万年前に絶滅したと言われる甲殻類トリロバイト(三葉虫)を見つけた。その頃、八幡山の裏手から足音が響き、調査団が向かうと巨大な生物が頭をもたげ咆哮した。

東京で公聴会を行った山根は、ジュラ紀から白亜紀にかけて極めてまれに生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物が海底の洞窟で今日まで生き長らえていたが、度重なる水爆実験で生活環境を破壊されたことで安住の地を追い出されたのではないかと見解を述べた。それを聞いた議員たちは嘲笑したが、トリロバイトの殻に付着した粘土に含まれていた水爆の残留放射能であるストロンチウム90が巨大生物に付着していた砂からも発見されたことを報告すると場内は騒然となった。生物が水爆実験の落とし子だという重大問題を与党議員は軽々しく公表すべきでないと主張したが、野党議員は重大だからこそ公表すべきだと反論した。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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