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仁義なき戦い 広島死闘篇

  • posted at:2021-01-19
  • written by:砂月(すなつき)
じんぎなきたたかいひろしましとうへん
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1973年
公開日:1973年4月28日 併映「狂走セックス族」
監督:深作欣二
企画:日下部五朗
原作:飯干晃一
脚本:笠原和夫
撮影:吉田貞次
照明:中山治雄
録音:溝口正義
美術:吉村晟
音楽:津島利章
編集:宮本信太郎
助監督:清水彰
記録:田中美佐江
装置:近藤幸一
装飾:松原邦四郎
美粧結髪:東和美粧
スチール:中山健司
演技事務:伊駒実麿
衣裳:松田孝
擬斗:上野隆三
進行主任:渡辺操
出演:菅原文太 千葉真一 梶芽衣子 北大路欣也 山城新伍
シネマスコープ カラー 100分

昭和25年、広島。賭場での傷害事件で懲役2年を食らった復員兵の山中正治は、仮出所となった27年3月に大衆食堂で無銭飲食をした。店主の上原靖子にここで働かせて欲しいと山中は願い出るが、面倒なことになるのを恐れた靖子は早く店から出るようにと促した。すると村岡組のシマ荒らしにきていた大友勝利率いる大友連合会によって袋叩きにされたのだった。そこに息子の悪行に手を焼いていた連合会会長で勝利の父親である長次が駆けつけ山中を介抱した。長次からの連絡を受け山中を預かることにした村岡組組長・村岡常夫は、本人の意思を確認した上で組員として迎え入れたのだが、姪に当たる靖子と男女の仲になっていたことを知り激怒した。舎弟・高梨国松と若衆頭の松永弘は村岡の怒りが収まるまで山中を九州・飯塚の竹原一家に預けることにした。

1年程経ったある日、竹原にそそのかされた山中は九州和田組の組長を射殺した。この事件は公には迷宮入りとして葬られたが、彼の名は暴力団関係者の間で密かな評判となりやがて広島に帰還を許された。そして改めて正式な若衆として村岡の盃を受けたのだった。後見人には高梨が、媒酌人は広島の大親分・景浦辰次郎、そして見届人には景浦の舎弟・時森勘市が務めた。だがその日から間もなく、広島全市を震駭させる抗争事件の火蓋が切って落とされた。その発火点となったのは広島競輪場の警備を村岡組が請け負ったことからだった。これが気に食わない勝利は競輪場のトイレをダイナマイトで爆破するなど騒動を起こした。義兄弟である村岡との関係が壊れるのを恐れた長次は勝利を破門にした上で自ら会長の座を辞し、2代目に倉光俊男を据えた。

村岡組の力が膨れ上がりこのままでは太刀打ち出来なくなることを恐れていた勝利は時森を抱き込み、彼の跡目を継ぐ形で博徒大友組を結成した。ある夜、勝利は仲間を引き連れて村岡組に闇討ちを掛けたが村岡の命を奪うことは出来なかった。昭和30年3月16日、第1次抗争において2名が死亡し8名が重軽傷を負った。その頃、呉では山守組組長・山守義雄と絶縁した広能昌三が広能組組長として細やかな一家を構えていた。村岡組から命を狙われる時森は山守を頼ってきたが、面倒なことに巻き込まれたくない山守は広能に金を渡して彼を押しつけることにした。

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