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  • posted at:2021-04-05
  • written by:砂月(すなつき)
けん
大映(京都撮影所)
配給:大映
製作年:1964年
公開日:1964年3月14日 併映「座頭市千両首」
監督:三隅研次
企画:藤井浩明 財前定生
原作:三島由紀夫
脚本:舟橋和郎
撮影:牧浦地志
録音:奥村雅弘
照明:山下礼二郎
美術:内藤昭
音楽:池野成
編集:菅沼完二
装置:川口隆
擬斗:宮内昌平
音響効果:倉橋暢
助監督:友枝稔議
製作主任:村上忠男
出演:市川雷蔵 藤由紀子 川津祐介 長谷川明男 河野秋武
シネマスコープ モノクロ 95分

東和大学剣道部の国分次郎は子供の頃に太陽の本質を見た。まぶしくてとても正視出来ない輝きを全身に浴びた彼は強く正しくなりたいと願い、剣の道を選んだのだった。剣道部では主将を選ぶための対抗戦が行われ、候補として四段の国分と同じく四段の賀川が選ばれた。だが審査で監督の木内は賀川の実力を三段程度と判断した。剣道連盟はその場限りの技しか見ておらず、人格や日常の稽古ぶりを見ることが出来ないからだ。彼の剣には何処か感情や心理の陰があり、強いが威を衒い力を恃むところがあると木内が言うと、OBたちもそれに同意し国分のような純一な烈しさが欠けていると言った。その結果、国分が主将になることに決まったが、副将は賀川ではなく村田が務めることになった。

新主将なった国分の目標は翌年に行われる学生剣道優勝大会で優勝することだった。それも個人優勝ではなく団体戦に優勝することだ。基礎を重きに置く彼は新入生に対し分け隔てなく竹刀の持ち方から指導した。そんな国分を尊敬する壬生は厳しい練習に耐え実力を伸ばして行った。一方、同級生の多田は我流の癖が治らず防具をつけさせてもらえなかった。何とか強くなりたい多田は稽古をつけて欲しいと舶来のタバコを持って賀川に近づくのだった。

ある日、国分が自分で自分を悲壮がっていると多田が言ったのを聞き、壬生は反射的に殴り掛かった。道場に呼び出されたが壬生はその理由を明かさなかったため、国分は喧嘩両成敗で二人を壁に向かわせて四十分間正座させることにした。半分も経たずに音を上げた多田は、スポーツをするために剣道部に入ったのであって、封建的な制裁が鍛練なんて馬鹿馬鹿しいと道着を脱いだ。そしてあんたを尊敬しているのは壬生くらいで、賀川さんだって陰でどんなことを言っているかわからないと国分を非難した。ところが賀川は悪口でない批判は誰に対してもする自由があると突っぱね、孤立した多田は剣道部を辞めた。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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