日活
配給:日活
製作年:1973年
公開日:1973年2月21日 併映「(秘)大奥外伝 尼寺淫の門」
監督:曽根中生
企画:武田靖
脚本:田中陽造
撮影:森勝
美術:渡辺平八郎
録音:橋本文雄
照明:高島正博
編集:辻井正則
音楽:多摩零
助監督:高橋芳郎
色彩計測:水野尾信正
現像:東洋現像所
製作進行:高橋信宏
出演:白川和子 殿山泰司 五條博 織田俊彦 影山英俊
アメリカンビスタ カラー 77分
大学在学中に劇団に入団した白川和子は、練習と称して倉庫に連れ込まれ団員たちに輪姦された。一部始終はカメラに撮られたが、それを指示したのは珍プロダクションの社長・珍田一平だった。珍田は彼女に接触し女優にならないかと誘うが、和子はからかわれていると思い相手にしなかった。それでも珍田はしつこくつきまとい、本物のスターは例外なく傷ついた魂と肉体の所有者であると口説いた。それから半年後、「不倫の悶え」で銀幕デビューした和子は自ら映画館へ出向き客たちの反応を観察した。朝鮮戦争時にアメリカ兵がマリリン・モンローの写真を抱いて死んで行ったという珍田の話を思い出した和子はポスターを参考にセクシーポーズを取ってみるがしっくりこなかった。美術スタッフのアドバイスでモンローになり切るにはポーズだけでなく歩き方も必要であることがわかったが、自分が映画女優ではなくピンク女優であることにふと気づいたのだった。
ある日、珍田は和子を連れ込み旅館へ連れて行き隣室にいるカップルを覗かせた。生の実演がリアルな演技に活かせると考えたからだ。ところが和子は欲情してしまい体を求めてきたため、珍田は叱りつけた。彼女は自宅に戻ると同棲しているカメラマンの秋山真吾に抱かれたが、手鏡を忘れずに握り自分の顔の表情をチェックした。和子は小さくても温かな家庭を築きたいと考えていたが、秋山は社会問題にメスを入れる作品を撮りたいと言った。その題材はベトナム戦争だったが、それが現実逃避の口実ではないかと疑った和子は秋山と別れ映画界とも決別することにした。だが彼女はこれといった資格を持たないため、希望した職業に就くことが出来なかった。それでも友愛奉仕会に入ることが出来た和子は独居老人の慰問介護を行った。部屋の片づけを行っている最中、老人が一枚の写真を大事にしていることに気づいた。それが自分の古いスチルだとわかると他にも何か出来るのではないかと考えたのだった。それから数日後、同僚から老人が首を吊って死んだことを知らされた和子は、遺骨を引き取ると東京タワーの展望台の隙間から散骨した。
人間を好きになるために男を転々とした和子は久しぶりに珍プロに電話を掛けてみた。すると珍田は労働基準法違反で逮捕されたのだという。ごたつく事務所に行くと珍田は荒れており和子に対して暴言を吐いたが、女プロデューサーは意に介さず彼女を自分の映画で使うと宣言した。その判断は的中し映画は大ヒット。その後もヒットを連発したことで和子は一躍スターとなりピンク映画を代表する女優になった。
屋台的映画館
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