松竹(大船撮影所)
配給:松竹
製作年:1963年
公開日:1963年4月28日 併映「独立美人隊」
監督:野村芳太郎
製作:白井昌夫
制作補:六車進
企画:市川喜一 高島幸夫
原作:棟田博
脚本:野村芳太郎 多賀祥介
美術:宇野耕司
撮影:川又昻
照明:三浦礼
編集:浜村義康
録音:栗田周十郎
録音技術:伊藤暢男
音楽:芥川也寸志
装置:岩井三郎
装飾:宗田八郎
現像:東洋現像所
色彩技術:坂巻佐平
衣裳:長島勇治
監督助手:杉岡次郎
撮影助手:高羽哲夫
録音助手:日向国雄
照明助手:堀利英
進行:岸本公夫
出演:渥美清 左幸子 中村メイ子 高千穂ひづる 長門裕之
シネマスコープ カラー 98分
昭和六年一月十日、棟本博は岡山にある歩兵第十連隊に入隊したが、そのときに出会った山田正助という男のことが気になった。何故なら彼は自分の名を漢字で書くことが出来ず、宣誓書にカタカナで署名したからだ。棟本と親しくなった山田は風呂場で生い立ちを話し始めた。三歳のときに母親と死に別れそれ以来天涯孤独。父親は顔さえ知らず、鬼のような親戚は馬以上に働かせた。十三歳のときに村を飛び出すと沖仲仕、炭鉱夫、土工もやった。肉体労働の毎日と比べれば軍隊は天国だ。山田はそう言って笑った。初年兵は二年兵から厳しく指導を受けるため棟本は毎日がつらいと思っていたが、山田は雨が降っても三度三度の飯が食える生活があと二年も続くことを考えると天国だと言った。例え二年兵から厳しいしごきを受けたとしても。
ある夜、教官の菊地少尉が初年兵だけを練兵場へ連れ出した。他言ならぬというその集会で菊地は胸の内を明かした。今年の下士志願者は定員の三倍を遥かに突破し第十連隊からも九名が志願していたが、それらが全て農村出身者だった。今や農村の窮状は目を覆うものであり果たして日本はこれで良いものかと考えた菊地を始めとする青年幹部将校は腐敗堕落した特権階級を倒し混乱と退廃の世相に覚醒を促すべきだと考えていた。そこで第十連隊の中から志を同じくする兵士を募ることにしたのだ。「教官とともに死んでくれる者は一歩前に出ろ!」。前に出たのはつまづいた鶴西に押された棟本だった。それから数日後、菊地は急病という名目で彼らの前から姿を消した。五・一五事件が起きたのは翌年のことだった。
秋になり初年兵はようやく中島へ行くことが許された。中島とは遊郭の街の名のことで、山田と棟本はやりて婆さんの誘いに乗って建物に入った。部屋で料金の交渉をしていると廊下からしつこく遊女に絡む客の声が聞こえてきた。二人は襖越しにからかったが、それが二年兵の原だったことでビンタを食らった上にふんどしの洗濯まで押しつけられた。それでも山田が上機嫌だったのは仕返しをすることに決めていたからだった。仕返しは除隊満期の前夜に行うことになっていたが、その日が近づくに連れて原の態度は軟化して行った。お人好しの山田は情に流されやすいため棟本は止めると言わせないように努めた。そして満期の前夜、山田は原を営庭に呼び出したが弱ってしまった。仕返しするにもその気が失せてしまっていたからだ。仲間たちが面白がって遠くから見守る中、彼が選んだ勝負は相撲だった。これなら文句あるまいと山田は原を投げ飛ばしたが、動けなくなり慌てて寝室に運んだ。心配した山田は謝りながら一睡もせずに体をさすったが、当の原は高鼾をかいていた。
屋台的映画館
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