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四十七人の刺客

  • posted at:2021-08-03
  • written by:砂月(すなつき)
しじゅうしちにんのしかく
東宝=日本テレビ=サントリー
配給:東宝
製作年:1994年
公開日:1994年10月22日
監督:市川崑
製作指揮:堀内實三 漆戸靖治 永井紀芳
製作:高井英幸 萩原敏雄 稲見宗孝
エグゼクティブプロデューサー:橋本利明 高橋博 酒井俊博
アソシエイトプロデューサー:武井英彦
プロデューサー:鍋島壽夫 進藤淳一 島谷能成
企画:鍋島壽夫 後藤槙子
企画協力:松前洋一
プロデューサー補:伊藤和明 垂水保貴
原作:池宮彰一郎
脚本:池上金男 竹山洋 市川崑
監督補:吉田一夫
撮影:五十嵐幸勇
美術:村木与四郎
照明:下村一夫
録音:斉藤禎一
調音:大橋鉄矢
編集:長田千鶴子
助監督:手塚昌明
製作コーディネート:佐藤結樹
製作担当者:前田光治
音楽:谷川賢作
製作:東宝映画
出演:高倉健 中井貴一 宮沢りえ 岩城滉一 宇崎竜童
アメリカンビスタ カラー 129分

元禄十四年三月十四日、江戸城松之大廊下において赤穂城主浅野内匠頭が高家肝煎饗応役吉良上野介に対し刃傷に及ぶ事件を起こした。勅答の儀を台無しにしたとして浅野を即日切腹、浅野家を御家断絶としたが、吉良には御咎めがなかった。それは家名と権威を守ろうとする上杉藩江戸家老色部又四郎と将軍の寵愛を受ける柳沢吉保による謀略だった。喧嘩両成敗が天下の掟にも拘らず一方的な裁定を受けた藩士たちは憤るが、播州赤穂藩筆頭家老大石内蔵助は手落ちのないように藩政の後始末に努めよと命じた。だがその裏ではある計画が進行しつつあった。大石はまず不破数右衛門に大坂で天川屋儀兵衛と会い塩相場の手仕舞いをするよう命じた。塩の価格が高騰したことで二万三千両という莫大な資金を手に入れると兼ねての蓄えとともに江戸市中にばらまいて吉良賄賂説を流布させた。それは賄賂をせびる吉良に我慢がならなくなった浅野が致し方なく刃傷に及んだというものだった。吉良は清廉な高家で、知行地を与えられていた三河国では名君と仰がれていた。それだけにこの噂は効果的であり、狙い通りに庶民の反感を煽ったのだった。

浅野哀れ吉良憎しの風潮がもとで御公儀から御役御免を言い渡されることがわかった吉良は、最後の意地でその前に隠居し家督を養子佐兵衛義周に譲った。その情報を得た吉田忠佐衛門は次なる手段として、江戸城外郭にある諸大名の屋敷が立ち並ぶ呉服橋御門内の吉良邸を城外に移すように仕向けることにした。赤穂浪士による討ち入りの噂を流すと吉良邸付近の諸大名は警護を厚くするが、莫大な費用を負担しなければならなくなった。その結果、屋敷替を申し出る者が続出したことで、幕府から吉良に対する屋敷替の沙汰が下ることになったのだ。城の明け渡し後は御公儀の与り知らぬことと柳沢から言われ狼狽する色部はいつ襲ってくるかわからない赤穂浪士の動きを読めずにいた。

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仁義なき戦い 完結篇

  • posted at:2021-06-16
  • written by:砂月(すなつき)
じんぎなきたたかいかんけつへん
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1974年
公開日:1974年6月29日 併映「極悪拳法」
監督:深作欣二
企画:日下部五朗
原作:飯干晃一
脚本:高田宏治
撮影:吉田貞次
照明:中山治雄
録音:溝口正義
美術:鈴木孝俊
音楽:津島利章
編集:宮本信太郎
助監督:皆川隆久
記録:田中美佐江
装置:近藤幸一
装飾:柴田澄臣
背景:西村和比古
美粧結髪:東和美粧
スチール:木村武司
演技事務:西秋節生
衣裳:豊中健
擬斗:上野隆三
進行主任:上田正直
出演:菅原文太 北大路欣也 松方弘樹 野川由美子 桜木健一
アメリカンビスタ カラー 98分

敗戦直後の闇市時代から凄惨な流血を繰り返してきた広島ヤクザの抗争は昭和38年の夏に頂点に達した。死者17人、重傷者26人、逮捕者延べ1604人を数える第3次抗争事件を引き起こしたが、警察や市民社会の強い圧力に抗しきれず翌年になってようやく沈静の兆しを見せ始めた。打本会は解散し、その急先鋒だった広能組組長・広能昌三は懲役7年の懲役刑で網走刑務所に収監されたが、一方の山守組では未決のまま出所した最高幹部・武田明が広島各地に散在する各組を一本にまとめ上げた。暴力団の肩書を外すことによってヤクザ組織の抜本的な体質改善を図ったが、それが政治結社・天政会の結成だった。だがその組織も結局は新たなる流血の原因そのものとなったのだ。

天政会の会長となった武田は血気盛んな若者たちの管理を理事長の松村保に一任していた。松村はヤクザ色を薄めたいと考えている武田の思想を尊重し、自らも出過ぎた行いをした者へ制裁を加えることに否定的だった。そんな彼を疎ましく思っていたのは副会長の大友勝利や幹事長の早川英男であり、寄せ集めの天政会は一枚岩になることはなかった。そんな中、参与の杉田佐吉が暗殺される事件が起き、通夜にきた広能の舎弟である市岡輝吉に大友はお前がやらせたに違いないと怒鳴りつけた。今は喧嘩をしている時ではないと武田は諫めたが、これがきっかけとなり二人の溝は深まって行った。

昭和41年6月、天政会内部の不穏な動きを察知した広島地検並びに広島県警捜査第4課は内偵中の拳銃密輸容疑で天政会本部の強制捜索に踏み切った。第4次抗争事件の勃発を恐れる警察は組織を壊滅に追い込むために武田以下首脳全員を順次検挙する方針を固め、24丁の拳銃を押収したのだった。逮捕を目前に控えた武田は臨時の幹部会を開き次期会長候補の選定を行った。後に問題が起きないように呉の長老・大久保憲一と河野組組長の河野幸二郎を立会人として迎えた。副会長が継ぐのが筋だと大友を推す声もあったが、過去に問題を起こした者が会長になれば世間に示しがつかないとし武田は松村を推薦した。大久保も推薦したことで決選投票は松村の勝利となったが、それらは全て武田と大久保が書いた筋書きだった。その夜、武田は拳銃密輸並びに拳銃不法所持容疑で逮捕され、組織の混乱に乗じた大友と早川は松村の暗殺を企てた。その頃、網走刑務所では懲役7年目となる広能がそれまでの体験を赤裸々に描いた手記を書き綴っていた。

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仁義なき戦い 頂上作戦

  • posted at:2021-05-29
  • written by:砂月(すなつき)
じんぎなきたたかいちょうじょうさくせん
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1974年
公開日:1974年1月15日 併映「女番長 タイマン勝負」
監督:深作欣二
企画:日下部五朗
原作:飯干晃一
脚本:笠原和夫
撮影:吉田貞次
照明:中山治雄
録音:溝口正義
美術:井川徳道
音楽:津島利章
編集:宮本信太郎
助監督:土橋亨
記録:田中美佐江
装置:近藤幸一
装飾:松原邦四郎
美粧結髪:東和美粧
スチール:中山健司
演技事務:上田義一
衣裳:松本俊和
擬斗:上野隆三
進行主任:伊藤彰将
出演:菅原文太 梅宮辰夫 黒沢年男 田中邦衛 堀越光恵
アメリカンビスタ カラー 101分

昭和38年、秋。東京オリンピックを翌年に控え、池田内閣による高度経済成長政策のもとで好況と繁栄に酔いしれる市民社会は秩序の破壊者である暴力集団に非難の目を向け始めた。それに呼応して警察も頂上作戦と呼ばれる全国的な暴力団壊滅運動に乗り出した。だがこうした警察陣の輿望作戦にも拘らず広島の中心街は東西に二分され、明石組系列下の打本会と正面から対決する構えになった神和会系列下の山守組には中国地方の各地から続々と助っ人の組員が集結していた。その頃、山守組組長・山守義雄は自分が経営するキャバレーに宿泊し、多くのボディーガードを引き連れては朝風呂に通って世間の注目を集めていた。一方、呉では山守組傘下の槙原組が広能組と対決してゲリラ戦の様相を呈していた。こうした緊張の中で躍動していたのは野心と欲望に飢えた各組の若者たちだった。

この時、広能組組長・広能昌三は14年前の殺人による20年の刑が残っており仮釈放中の身であった。打本会組長・打本昇らとともに彼が訪ねたのは広島市で古くから博打の縄張りを守る義西会会長・岡島友次だった。岡島は度々起こる抗争事件でも中立な立場を守ってきた穏健な人物だったが、広能たちは無理を承知で応援を要請した。明石組若衆・岩井信一の説得によりようやく岡島は折れたが、その条件として先に手を出すなと忠告した。その頃、呉では広能たちにとって予想外の事件が勃発していた。槙原組組員数名と遭遇した広能幹部・河西清が口論の末に路上で射殺されたのだ。恐ろしくなった打本は広島に逃げ帰り、広能は身代わりとなった河西のために山守へ仕返しをしなければ気が済まないと息巻いた。槙原組は山守組の傘下であり、広能が打本と組んだのはその山守組から破門されたからだ。だが岩井や相談相手の長老・大久保憲一から警察や山守の思う壺だと説得され我慢を強いられた。一方、山守組傘下・武田組組長の武田明は山守が助っ人としてきた者たちの飲食代等を全額押しつけられたことで頭を痛めていた。そのことについて掛け合ったものの一向に埒が明かないことから、竹田は自分の考えに従うように言った。彼が披露したのは広能組の分断作戦だった。大久保には広能が広島に出てきたら首を貰うと脅しており、肝っ玉が小さい打本が自ら動くはずがない。そうなると残るのは岡島だけだった。同じ頃、広島では打本会若衆の三上達矢が誤って一般市民を射殺したことで、それまで沈黙を守っていた地元市民や新聞界の反発が一気に燃え上がった。それに合わせて警察も県下400人の係官を動員して対策本部を設置し暴力団取締の強化に取り組み始めたのだった。

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シベリア超特急3

  • posted at:2021-05-10
  • written by:砂月(すなつき)
しべりあちょうとっきゅうすりー
水野晴郎事務所=IMAGICA
配給:M&T PICTURES
製作年:2003年
公開日:2003年1月2日
監督:MIKE MIZNO
製作:水野晴郎 福井政文
プロデューサー:伊藤直克
アソシエイトプロデューサー:細谷隆広
原作:水野晴郎
脚本:上代努 北里宇一郎 水野晴郎
監督補:吉原勲
撮影:鈴木耕一
照明:才木勝
美術監督:木村威夫
美術:安宅紀史
録音:湯脇房雄
効果:佐々木英世
編集:大高勲
音楽監修:新田孝
音楽:遠藤浩二
スクリプター:杉山昌子
助監督:荒川栄二
制作担当:小松功
出演:水野晴郎 三田佳子 大浦みずき 真柄佳奈子 大塚ちひろ
アメリカンビスタ カラー 114分

2002年、日本マスコミ界の帝王と呼ばれる宮城伝蔵の誕生記念パーティーが行われることになり、出席者はそれまでの時間を豪華客船での瀬戸内クルーズで潰した。招待客の中で一際目立っていたのは、世界的なモリユミブランドで知られるファッションデザイナーの森裕美だった。日が暮れ船が港に到着すると、パーティーの出席者に下船を指示するアナウンスが流れた。そして時間になると客船は出席しない者たちを乗せて再び港を離れた。パーサーの城之内正人は乗客の顔を粗方覚えていたが、廊下ですれ違った女に見覚えがなかった。その女は3号室のドアをノックすると招き入れられたが、その直後に男の大きな悲鳴が聞こえた。正人は急いで引き返すがドアには鍵が掛かっており、キャプテンを呼びに行くものの何処にも見当たらなかった。鍵束を探し出して急いで戻ると部屋の前には人だかりが出来ており、数ある中からようやく3号室の鍵を見つけ出してドアを開けると男がベッドで倒れていた。そしてその背中にはナイフが刺さっていた。時計は午前3時14分を指していた。

ラウンジにいる者たちは皆、憔悴していた。そこにいるのは正人の他にパーティーが開かれることを望んでいなかった伝蔵、彼の孫娘の和世、そして伝蔵の古くからの知り合いの沢島軍平だった。そこに駆け込んできた安藤香は慌てた様子で周りに何もないんですと言った。夜が明け周囲が確認出来るようになったが、船は瀬戸内海ではない別の場所を漂流していたのだ。遅れてやってきた裕美は乗組員を捜したが誰もいなかったと言った。無線機は何者かによって壊されており、しばし浮世を忘れましょうと彼女が提案して預かった携帯電話は全て持ちされていたのだった。まるで事件が外部へ漏れるのを恐れるように。正人は殺人が起こった直後に海側の窓に鍵が掛かっていることを確認していたため女が外へ逃げ出すことは考えられなかった。ふと沢島は何か思い出さないかと伝蔵に言った。凶器はナイフ、犯行時間は午前3時14分、煙のように消えた婦人、ルームナンバー3。それは60年前にシベリア超特急で起きた殺人事件とまるで同じシチュエーションだった。事件解決の手掛かりになるのではないかと考えた沢島は、当時のことを思い出したくない伝蔵の代わりにその時の出来事を話すことにした。

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仁義なき戦い 代理戦争

  • posted at:2021-04-14
  • written by:砂月(すなつき)
じんぎなきたたかいだいりせんそう
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1973年
公開日:1973年9月25日 併映「番格ロック」
監督:深作欣二
企画:日下部五朗
原作:飯干晃一
脚本:笠原和夫
撮影:吉田貞次
照明:中山治雄
録音:野津裕男
美術:雨森義允
音楽:津島利章
編集:堀池幸三
助監督:土橋亨
記録:田中美佐江
装置:稲田源兵衛
装飾:清水悦夫
美粧結髪:東和美粧
スチール:藤本武
演技事務:森村英次
衣裳:豊中健
擬斗:三好郁夫
進行主任:伊藤彰将
出演:菅原文太 小林旭 渡瀬恒彦 山城新伍 池玲子
アメリカンビスタ カラー 102分

昭和35年9月、広島市最大の暴力団・村岡組の杉原文雄が白昼の路上で鉄砲玉に射殺された。杉原は村岡組長の舎弟で、病気療養中の村岡に代わって組の実権を掌握する実力第一人者だった。葬儀に出席した九州栗山組組長・栗山清の様子から、博奕のもつれで杉原から殴られたことを根に持った彼が絵図を描いたのではないかと皆疑った。村岡の舎弟で次の実力者である打本昇に、広能組組長の広能昌三は兄弟分であるあなたが落とし前をつけるべきではないかと提案した。村岡組幹部の武田明や若頭の松永弘も協力すると言ったが、打本は村岡の客人だからそんな相手に弓を引くことは出来ないと申し出を断った。その弱腰が後に起こる村岡組の跡目問題を紛糾させ、やがては西日本最大の抗争事件の目へと発展することになった。

広能は呉市でスクラップ置き場の警備を生業とする細やかな一家を構えていた。ある日、彼を訪ねた上田組組長・上田利男は渡世から退いた長老・大久保憲一が会いたいと言っていると伝えた。この時、広能にはまだ殺人罪の刑期が残っており、大久保が相談相手となっていた。屋敷を訪ねると大久保の傍らには観察所長と保護司がいた。彼らの説明によると多忙なため身元引受人を山守組組長の山守義雄に変更したいというのだ。山守と縁を切った広能だったが、相手から申し出てきたことと大久保の顔を立てるために組への復帰を決意した。一方、神戸の明石組に
まで知られる程に広能の顔が広いことを知った打本は、提唱により彼と広能、そして村岡組幹部との間で兄弟盃が交わされた。打本は兄貴分として広島の新興世代の頂点に立ったのだった。

山守は広能の身元引受人になったことをいいことにトラック2台分にも及ぶスクラップを勝手に持ち出した。広能が了解していると言ったことで工場主は引き留めることが出来ず、500万円にも及ぶ損失を被ったのだ。広能は信用をどうしてくれるのかと抗議するが山守は何処吹く風。親のやる事に文句をつけるのならお前の首くらいいつでも挿げ替えてやると凄んだ。今度仕事の邪魔をしたら自分のやりたいようにやりますと広能が言うと、山守は帰れと追いやった。昭和36年6月、広能は打本を連れて神戸の明石組を訪ねた。それは打本のかねてからの希望だったが、広能自信にとっても将来の見通しを立てておかなければならないという危機感があったのだ。打本の盃の申し入れを受けた明石組は、明石辰男組長の舎弟・相原重雄を相手に決めその年の秋に盛大な兄弟盃の式を披露した。だが全国制覇を呼号する明石組の障害は地元神戸での強力なライバルである神和会の存在だった。この両者による系列化の暗闘は西日本において次第に激烈な様相を見せていた。

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