忍者ブログ

実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン

  • posted at:2020-08-26
  • written by:砂月(すなつき)
じっそうじあきおかんとくさくひんうるとらまん
円谷プロダクション
配給:富士映画
製作年:1979年
公開日:1979年3月17日 併映「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」(一部地域)
監督:実相寺昭雄
製作:円谷皐
脚本:佐々木守
総編集:浦岡敬一
音楽:宮内國郎 円谷音楽出版 玉川静
撮影:中堀正夫
照明:佐藤浩
録音:堀内戦治
美術:池谷仙克
効果:小森護雄
監督補:下村善二
プロデューサー補:福井顕
現像所:東京現像所
録音所:アオイスタジオ
協力:コダイグループ
製作協力:円谷エンタープライズ
出演:小林昭二 黒部進 毒蝮三太夫 二瓶正也 桜井浩子
アメリカンビスタ カラー 114分

<恐怖の宇宙線>空想好きだが絵が苦手な小学生のムシバ少年は学校の帰りに建材置き場の土管に怪獣の絵を描いた。翌日、落書きは消えていたが、そのかわりに巨大な怪獣が実体化していたのだ。通報により出動した科学特捜隊は主力戦闘攻撃機・ジェットビートルで攻撃を行うが、怪獣は手出しをしない限り何もせずただ眠り続けることがわかった。ムラマツキャップを始めとする科特隊の隊員たちは辛抱強く様子を観察していたが、日が暮れると怪獣は姿を消してしまった。

<地上破壊工作>事件解決の数日後、科特隊パリ本部から特別の任務を負ったアンヌ・モーハイム隊員が来日した。それと同じ頃、ハヤタ隊員は本部からの要請で国際宇宙開発軍のロケット操縦の技術指導員としてパリに向かうことになり、ムラマツは極東支部の代表として頑張れと勇気づけた。ハヤタはアンヌとともにジェットビートルで本部に旅立ったが、その直後に地平線の彼方に異様な虹が掛かった。すると東京で広範囲に亘る謎の妨害電波が発生し調査した結果、発信源となっていたのは極東支部だった。

<故郷は地球>ハヤタがパリから帰国した頃、東京では国際平和会議が開かれることになっていた。会議が近づくにつれ空や海で奇怪な事故が相次ぎ、科特隊はパリ本部から派遣されたウィリアム・チルダー隊員とともに調査を行った。その結果、会議に出席する各国の代表が事件に拘っていることがわかり、犯人の目的は会議を妨害ではないかという結論に至った。車での移動中に見えないロケットに遭遇したムラマツはイデ隊員に追跡を命じ、電波探知機によって位置を特定したジェットビートルは追跡を開始した。

<空の贈り物>ある夜、東京の空に怪しい火の玉が降った。夜が明けると科特隊は落下地点である晴海の埋立地に向かうが、ぽっかりと開いた大きな穴から怪獣が顔を覗かせたのだった。怪獣はひと暴れすると眠りに落ち、やがて陽も落ちた。怪獣はスカイドンと名付けられ科特隊の間で攻撃作戦が練られた。スカイドンはとても重く歩くだけで被害が出ることが想定されたことから、3機のジェットビートルを使ったワイヤーロック作戦でスカイドンを持ち上げ、そのまま宇宙へ運ぶことにした。

<怪獣墓場>イデとアラシが宇宙ビートルでウルトラゾーンと呼ばれる空域をパトロールを行っていると、かつてウルトラマンと戦い宇宙へ追放された怪獣たちが浮いている箇所があった。その光景はまるで墓場のようだった。中には見たこともない怪獣がおり、アラシはそれが別の星で追放された怪獣に違いないと考えた。地球に戻ると二人の提案で怪獣たちへの細やかな供養を行うことにした。その頃、ロケットセンターでは日本初の月ロケットが打ち上げられた。同じ頃、宇宙研究所のパラボラアンテナは宇宙から落下する奇妙な物体を捉えた。

屋台的映画館
PR

新 男はつらいよ

  • posted at:2020-06-25
  • written by:砂月(すなつき)
しんおとこはつらいよ
松竹(大船撮影所)
配給:松竹
製作年:1970年
公開日:1970年2月27日 併映「アッと驚く為五郎」
監督:小林俊一
製作:斎藤次男
企画:高島幸夫
原作:山田洋次
脚本:山田洋次 宮崎晃
美術:宇野耕司
撮影:高羽哲夫
照明:青木好文
編集:石井巌
録音:小尾幸魚
調音:松本隆司
音楽:山本直純
監督助手:大嶺俊順
装置:小野里良
装飾:町田武
進行:福山正幸
衣裳:東京衣裳
製作主任:池田義徳
現像:東洋現像所
主題歌:「男はつらいよ」渥美清
協力:柴又 神明会
出演:渥美清 倍賞千恵子 栗原小巻 三崎千恵子 前田吟
シネマスコープ カラー 92分

旅先での心温まる話に触発されたテキヤの車寅次郎だったが、叔父夫婦に孝行したいが金はなし。そこで愛知の競馬場に乗り込むと、高齢で不人気という評判にも拘らず名前に惚れ込んで競走馬のワゴンタイガー(ワゴン=車、タイガー=寅)を一点買いした。すると見事に的中し18万円を手にした。調子に乗った寅次郎は手持ちの資金をもっと増やそうとのめり込んで行ったのだった。場内で偶然会った朝日印刷所社長の桂梅太郎は付き合い切れずに先に帰り、その様子をとらやの竜造とつねに報告した矢先、店の前にタクシーが停まった。乗っていたのは寅次郎で、大穴を当てたことで気が大きくなり名古屋から柴又までタクシーを飛ばしてやってきたのだ。彼は店に入るなり手土産替わりに二人をハワイ旅行に招待するといい出し、その話は町内で持ち切りとなった。だがそれは孝行の美談では終わらなかった。寅次郎が100万円の札を見せびらかしたことで柴又の男どもはあくせく働くことが馬鹿らしくなり、つねは歩くたびにお祝いの言葉を掛けられた。そして竜造は心労で熱を出し寝込んだのだった。そんな中、寅次郎の妹・さくらや彼女の夫の諏訪博は一定の理解を示しつつ成り行きを静かに見守ることにした。そんな騒動など気にもしない当の寅次郎はというと、彼を兄貴と慕う川又登が勤める旅行会社へ行き全額を即金で支払った。出発当日、着飾った叔父夫婦とともに出掛けようとする寅次郎を引き留めたのは登だった。社長が旅行代金を持ち逃げしたというのだ。このままではご近所さんに合わせる顔がないと考えた寅次郎はとりあえずタクシーに乗って空港に向かった。そして到着すると見送りにきた博に事情を話し、3人は無事に出発したと皆に伝えるように言った。

誰にも見つからないように夜が更けてからとらやに戻ってきた3人は息をひそめて4日間をやり過ごすことに決めた。様子を見にきた博はまださくらにすらこのことを伝えておらず、ハワイのことを聞かれたときにどうするか心配した。すると寅次郎は水が合わずにホテルから一歩も出なかったと言えばいいんだと言い張った。その日は何事もなく終わったが、翌日の夜に事件が起こった。とらやが留守であることが町中に知れ渡ったおかげで泥棒がやってきたのだ。待ち伏せをして捕まえたところまでは良かったが、博はふとあることに気づいた。警察に通報すれば寅次郎たちがとらやにいることがばれてしまうのだ。このまま嘘をつき通すのか、それとも町内の笑い者になるのか。寅次郎は泥棒を逃がす選択をしたが、この騒動で居ることがわかってしまい竜造たちは平謝りする羽目になった。明け方になり人々がいなくなると寅次郎と竜造は口論を始めた。そして寅次郎は自分の誠意が伝わらなかったことを悲しみ柴又を出て行った。

屋台的映画館

実録白川和子 裸の履歴書

  • posted at:2020-06-13
  • written by:砂月(すなつき)
じつろくしらかわかずこはだかのりれきしょ
日活
配給:日活
製作年:1973年
公開日:1973年2月21日 併映「(秘)大奥外伝 尼寺淫の門」
監督:曽根中生
企画:武田靖
脚本:田中陽造
撮影:森勝
美術:渡辺平八郎
録音:橋本文雄
照明:高島正博
編集:辻井正則
音楽:多摩零
助監督:高橋芳郎
色彩計測:水野尾信正
現像:東洋現像所
製作進行:高橋信宏
出演:白川和子 殿山泰司 五條博 織田俊彦 影山英俊
アメリカンビスタ カラー 77分

大学在学中に劇団に入団した白川和子は、練習と称して倉庫に連れ込まれ団員たちに輪姦された。一部始終はカメラに撮られたが、それを指示したのは珍プロダクションの社長・珍田一平だった。珍田は彼女に接触し女優にならないかと誘うが、和子はからかわれていると思い相手にしなかった。それでも珍田はしつこくつきまとい、本物のスターは例外なく傷ついた魂と肉体の所有者であると口説いた。それから半年後、「不倫の悶え」で銀幕デビューした和子は自ら映画館へ出向き客たちの反応を観察した。朝鮮戦争時にアメリカ兵がマリリン・モンローの写真を抱いて死んで行ったという珍田の話を思い出した和子はポスターを参考にセクシーポーズを取ってみるがしっくりこなかった。美術スタッフのアドバイスでモンローになり切るにはポーズだけでなく歩き方も必要であることがわかったが、自分が映画女優ではなくピンク女優であることにふと気づいたのだった。

ある日、珍田は和子を連れ込み旅館へ連れて行き隣室にいるカップルを覗かせた。生の実演がリアルな演技に活かせると考えたからだ。ところが和子は欲情してしまい体を求めてきたため、珍田は叱りつけた。彼女は自宅に戻ると同棲しているカメラマンの秋山真吾に抱かれたが、手鏡を忘れずに握り自分の顔の表情をチェックした。和子は小さくても温かな家庭を築きたいと考えていたが、秋山は社会問題にメスを入れる作品を撮りたいと言った。その題材はベトナム戦争だったが、それが現実逃避の口実ではないかと疑った和子は秋山と別れ映画界とも決別することにした。だが彼女はこれといった資格を持たないため、希望した職業に就くことが出来なかった。それでも友愛奉仕会に入ることが出来た和子は独居老人の慰問介護を行った。部屋の片づけを行っている最中、老人が一枚の写真を大事にしていることに気づいた。それが自分の古いスチルだとわかると他にも何か出来るのではないかと考えたのだった。それから数日後、同僚から老人が首を吊って死んだことを知らされた和子は、遺骨を引き取ると東京タワーの展望台の隙間から散骨した。

人間を好きになるために男を転々とした和子は久しぶりに珍プロに電話を掛けてみた。すると珍田は労働基準法違反で逮捕されたのだという。ごたつく事務所に行くと珍田は荒れており和子に対して暴言を吐いたが、女プロデューサーは意に介さず彼女を自分の映画で使うと宣言した。その判断は的中し映画は大ヒット。その後もヒットを連発したことで和子は一躍スターとなりピンク映画を代表する女優になった。

屋台的映画館

地獄(1979年)

  • posted at:2020-05-18
  • written by:砂月(すなつき)
じごく
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1979年
公開日:1979年6月3日
監督:神代辰巳
企画:翁長孝雄 日下部五朗 松平乗道 奈村協
脚本:田中陽造
撮影:赤塚滋
照明:金子凱美
録音:溝口正義
美術:鈴木孝俊
音楽:真鍋理一郎
編集:玉木濬夫
助監督:俵坂昭康
記録:梅津泰子
和楽:中本敏生
装置:稲田源兵衛
装飾:山田久司
背景:西村三郎
スチール:石丸泰規
宣伝担当:佐々木嗣郎 田中憲吾
美粧:田中利男
結髪:伊藤実
衣裳:豊中健
演技事務:西秋節生
擬斗:土井淳之祐
企画助手:杉本直幸
進行主任:長岡功
視覚効果:中野稔
光学撮影:デン・フィルム・エフェクト
特殊音響効果:小森護雄
作詞・作曲・唄:山崎ハコ
協力:市山パースル 鈴鹿サーキット チーム オスカー スピード・スター・レーシング 鶴来 和田屋
特殊撮影・撮影:株式会社特撮研究所 高梨曻
特殊撮影・美術:株式会社特撮研究所 大沢哲三
特殊撮影・操演:株式会社特撮研究所 鈴木昶
特殊撮影・照明:株式会社特撮研究所 日出明義
特殊撮影・進行:株式会社特撮研究所 中村義幸
特撮監督:矢島信男
出演:原田美枝子 林隆三 田中邦衛 栗田ひろみ 石橋蓮司
アメリカンビスタ カラー 131分

昭和30年、生形竜造は臨月のミホを連れて駆け落ちした。ミホは竜造の兄・雲平の嫁であり、腹の中には竜造との不義で出来た子がいた。それが自分の子でないことを知った雲平は激怒し、身の危険を感じた竜造はミホとともに険しい山越えを試みたのだった。ところが山小屋で休息を取っているところを見つかり、竜造は猟銃で射殺された。一方、逃げ出したミホは狩猟用のトラバサミに掛かって動けなくなり、雲平は地獄の苦しみを味わわせようと殺さずに放置したのだった。帰ってきた雲平からそのことを聞いた竜造の妻・シマはミホのもとへ行き、地獄でその子を産めばいいと吐き捨てるとすがる手を振りほどいて去って行った。一人残されもがき苦しむミホが息絶えると同時に久能寺の卒塔婆の金輪が回り始め、程なくして村人たちが彼女の亡骸を見つけた。すると腹が波打ち始め、元気な泣き声の赤ん坊が産まれるとミホはあの世へ行った。気がつくと彼女は賽の河原をとぼとぼと歩いていた。目の前には大きな木があり、そこにいた懸衣翁と奪衣婆が無言で近づくと彼女の着物を剥ぎ取った。懸衣翁と奪衣婆は三途川の番人であり、着物を木の枝に掛けることでその者の罪の重さを計ることが出来るのだ。姦通の罪だけにとどまらずその子を産み落としてきたことを知った懸衣翁は、己とともに地獄へ落ちるべき不倫の子は例え現世で生きようとも地獄がついて回るぞと忠告した。そして生まれながらに地獄を背負った赤子の生き様を見届けるのだと言った。

昭和50年、レーサーの水沼アキはレース中に大事故を起こし、休養のために旅に出た。彼女が選んだ旅先は鬼涙温泉だったが、乗車した列車の乗降口前で雑誌を読んでいたところ何処からか自分の名を呼ぶ声が聞こえた。すると突然ドアが開き彼女は外へ吸い出されたが、異変にいち早く気づいた男によって助けられた。彼の名は生形幸男と言い、鬼涙温泉駅の一つ先にある生形村の出身者だった。美術雑誌の出版社に勤めていたが、窯元である本家を継ぐために戻ってきたのだ。鬼涙温泉が先日の地震で湯元が枯れ閉鎖されていることから、幸男は生家にアキを連れて行くことにした。ところがアキはこの家にきたのが初めてにも拘らず隅々まで知っている気がした。一方、シマも彼女を見るなり顔色が変わった。そして入浴中のアキの尻に痣があることを知り確信すると明日にでも帰ってもらって欲しいと幸男に言った。20年前、ミホが産み落とした子をシマは事故に見せ掛けて殺そうとしたが下男の山尾治に止められた。村人たちは彼女がその子をどう育てるか興味を持って観察していたからだ。そこで山尾は離れた町に捨てられていた子とその子を交換し東京の養護施設に預けたのだが、身元を明かしていないにも拘らず戻ってきたことにシマは運命を感じた。そこで彼女は何とか村を出て行ってもらう方法はないものかと考えを巡らせた。

屋台的映画館

次郎長青春篇 つっぱり清水港

  • posted at:2020-04-14
  • written by:砂月(すなつき)
じろちょうせいしゅんへんつっぱりしみずみなと
松竹
配給:松竹
製作年:1982年
公開日:1982年12月28日 併映「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」
監督:前田陽一
製作:名島徹 佐藤正
脚本:前田陽一 南部英夫
撮影:長沼六男
美術:重田重盛
音楽:田辺信一
録音:小林英男
調音:小尾幸魚
照明:佐久間丈彦
編集:太田和夫
スチール:金田正
監督助手:梶浦政男
装置:川添善治
装飾:印南昇
美床:吉野桂子
殺陣:國井正廣
浪曲:三代目 廣澤虎造
進行:田沢連二
衣裳:松竹衣裳
かつら:八木かつら
現像:東京現像所
製作主任:池田義徳
出演:中村雅俊 佐藤浩市 田中好子 柄本明 明石家さんま
アメリカンビスタ カラー 91分

清水の米屋の一人息子次郎長は気は優しくて力持ち。だが困ったことに大変な博奕打ちで親の嘆きも馬の耳。商売そっちのけで毎日賭場に入り浸っていた。そんな次郎長にもおみつという許婚がおり愛想づかしもせずひたすら所帯を持つ夢を見ていたが、飢饉続きのせいであちらこちらで米騒動が起き次郎長の家も襲われる羽目になった。これが原因で父親が亡くなり、米屋は落ち目に。粗末な長屋住まいとなると今度は母親が不治の病に臥せた。ある日、富士の頂にある白いきれいな雪を口に入れたらどんなに気持ちがいいだろうとその母親が言ったことから、次郎長はその願いを叶えるために富士山に登った。そして幾多の苦難を乗り越えて拳ほどの雪を持って帰ったのだが間に合わなかった。

おみつは母親が今わの際に言った遺言を書き留めていた。米屋の次郎八を元のように再興すること。許婚のおみつとは所帯を持つこと。博奕、賭け事には絶対に手を出さないこと。次郎長は墓前で誓ったが、日が暮れると血が騒ぎ出し懲りずに賭場へ行った。そして負け続けた彼は母親の香典だけでなく、仕舞いにはおみつまで形に差し出したのだ。翌日、おみつはやくざ者たちに連れて行かれ、次郎長は駕籠舁をして取り戻すための資金を貯めることにした。ある日、仕事を終えた次郎長に声を掛けてきたのは幼なじみの小政だった。食うや食わずの百姓よりも任侠の道に進んだ小政は銀蔵親分の身内になった。近々ある出入りには助っ人が必要で、いい銭になるがどうかと誘うが、汚い銭を稼いでいてはお天道様に顔向け出来ないと次郎長は断った。だがどうしてもお前の力が必要だと口説かれ心が動いた。

富士川を挟んで清水の銀蔵と吉原の久兵衛が睨み合っていたが、果たし状の交換ばかりで一向に喧嘩が始まる気配がなかった。そのうちに痺れを切らした久兵衛側から桶屋の鬼吉が飛び出してきて、やる気があるなら掛かってきやがれと煽った。すると挑発に乗った次郎長が向かって行き川の中で大乱闘を演じた。するとそこへ駆けつけた役人たちに捕らえられ牢屋にぶち込まれたのだった。何故こんな目に遭うんだと次郎長たちが叫んでいると、先に入っていた法印の大五郎がこう言った。出入は八百長で、近頃のやくざ程喧嘩をしない人種はいないのだ、と。わが身可愛さに自分の縄張りを後生大事に守るのが今の親分や貸元で、世間の手前時には出入りの真似事をするがまともにやり合うことは滅多にないというのだ。代官所も一枚噛んでおり、頃合いを見計らって駆けつけるとそれを潮時に解散するのが筋書きとなっていた。それを知って馬鹿らしくなった大五郎は出家したのだった。その話に腹の虫が治まらない次郎長たちは牢屋を出たら必ず
仕返しをしてやろうと企んだ。

屋台的映画館

プロフィール

HN:
砂月(すなつき)
性別:
非公開
自己紹介:
ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

P R

 

フリーエリア