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続 サラリーマン忠臣蔵

  • posted at:2019-08-31
  • written by:砂月(すなつき)
ぞくさらりーまんちゅうしんぐら
東宝
配給:東宝
製作年:1961年
公開日:1961年2月25日 併映「背広三四郎 男は度胸」
監督:杉江敏男
製作:藤本真澄
原案:井原康男
脚本:笠原良三
撮影:完倉泰一
美術:清水喜代志 村木与四郎
録音:三上長七郎 下永尚
照明:金子光男
音楽:神津善行
監督助手:児玉進
編集:小畑長蔵
特殊撮影:東宝特殊技術部
現像:東洋現像所
製作担当者:森本朴
出演:森繁久弥 小林桂樹 加東大介 宝田明 司葉子
シネマスコープ カラー 109分

赤穂産業社長・浅野卓也が自動車事故で急死したことで後任社長に丸菱銀行元頭取の吉良剛之介が就任した。新社長は独自の方針を掲げ大幅な人事異動を行った。それと同時に重要なポジションへ抜擢したのは最初に寝返った大野久兵衛常務やその親戚筋、そして吉良に媚びへつらう者ばかりだった。更に先代社長の肝入だったフランス・アマン商会との販売特約の取り消しを命じたことで大石良雄専務は腹を括った。営業マンのアンリ・リシャールと商談を行い、アマン商会と大石との個人契約に同社社長が了承したことで彼は辞表を提出したのだった。

日本橋の貸しビルの一室に発足した「大石商事」には志を同じくした小野寺十三郎元部長、吉田元課長、原元課長が参加し、大石のお抱え運転手だった寺岡平太郎を秘書に抜擢した。その他にも営業部の赤垣源造や磯貝十郎、総務課岡野欣哉、竹林唯七、縫製課の大高玄五郎、会計係の矢頭門七といった若手や守衛の倉橋傳介までもが参加を表明したのだった。退職の流れはその後も続き、大石商事はあっという間に大所帯となった。大石は急遽、彼が浅野に結婚を勧めていた芸者加代治が女将を務める料亭あづまで創立祝賀会を開き、新会社の誠心は亡き浅野社長の決意であることを説いた。乾杯の後、元エレベーターガールの堀部安子が女中として働いていたことがわかり運転手としてスカウトしたことで大石商事は47人での船出となった。

若狭金属専務・角川本蔵の紹介で小野寺が天野化学の肥後豊常務との約束を取りつけた日の夜、大石はバー祗園のマダム・一文字才子が東銀座に出したというクラブ・イッチルックに顔を出した。するとそこで平太郎の妹の軽子が働いていて驚いたのだった。赤穂産業でタイピストとして働いていた彼女は社長秘書だった早野寛平と結婚しともに会社を離れて田舎暮らしを始めたのだが、鳥撃ちついでにちょっかいを出してきた久兵衛の息子・定五郎から軽子を守ろうと揉み合った際に銃が暴発。寛平は殺人未遂容疑で逮捕されたのだった。彼女は自分が招いた過失だと悔やみ平太郎には相談せずに弁護士費用を工面しようと苦労していたのだった。一方、この店に吉良の秘書の伴内耕一が常連客としてきており、接待として肥後を連れてきていることを知ると次なる一手を考えた。

大石が関西大手3社との交渉に出掛けている間に、寺岡が肥後と会談を行う約束を得た。早速、小野寺は食事会を開き特約の交渉話を進めようとしたのだが、肥後は大きな案件の判断を簡単には出来ないと釘を刺した。彼の機嫌を損ねたことで、小野寺は点数稼ぎに肥後がこの後行くという店にお供をせよと寺岡に命じた。その店はイッチルックであり、そうとは知らずに店内に入った寺岡は軽子と思わぬ形で再会した。

屋台的映画館
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