松竹映像=富士映画
配給:富士映画
製作年:1983年
公開日:1983年1月15日
監督:田中登
製作:奥山和由
原作:西村望
脚本:西岡琢也
撮影:丸山恵司
美術:猪俣邦弘
音楽:笹路正徳
録音:山本忠彦
調音:小尾幸魚
照明:野田正博
編集:後藤彦治
助監督:満友敬司 藤澤龍一
オプチカル:石川智弘
装置:小島勝男
装飾:宮崎琢郎
衣裳:松竹衣裳
現像:東京現像所
進行:大川修
特殊効果:トビー門口
音楽担当:坂井洋一
製作主任:沼尾鈞
出演:古尾谷雅人 田中美佐子 池波志乃 原泉 石橋蓮司
アメリカンビスタ カラー 106分
出征する赤木巌を駅のホームで見送る犬丸継男。四国の小さな山村・日暮谷に住む十八歳の彼は幼いときに両親を亡くしており、今は祖母・はんと暮らしていた。住民からは村一番の秀才ともてはやされる継男は巌のように戦場へ行くことに憧れていたが、出征兵を見送る母親が泣いているのを見て、祖母も泣くのだろうかと思った。夕食時にそのことを尋ねると、はんはお国のために戦ってこいと笑って見送ってやると言った。それを聞いた継男は安心して自分の部屋に入った。するとはんは、大声をあげて泣くかもしれんと呟いた。学校の教師を目指している継男は、はんを置いて師範学校に行くことが出来なかったため独学で検定試験を受けるための勉強をしていた。いつものように勉強をしていると体が熱っぽく咳込んだ。翌日病院に行くと、医師の見立ては肺浸潤。栄養を摂ってのんびりと養生すれば三か月で治るだろうと言われ安堵した。
ある夜、勉強中に眠り込んだ継男は真夜中に目を覚ました。すると戸の隙間から靄が漏れ入ってくるのに気付き、外に出ることにした。一面の靄がかかるというという珍しい光景を目の当たりにした継男は散歩してみることにしたが、一軒だけ灯りが点いている家があったため気になって中を覗いた。そこでは人妻のえり子が村の有力者である赤木勇造と絡み合っていたのだ。再び散歩に戻ると村を巡回する自警団と会った。彼らは夜這いの取り締まりを行っていたが、その発案者が勇造だと聞き継男は吹き出した。それから数日後の夜、夜這いに興味を持った継男がえり子の家を訪ねると彼女は寝乱れていた。気配で目覚めたえり子が声をかけると、継男は靄が出た晩に勇造がここにいたのを見たと話した。満州で兵隊が国のために体を張って戦っているのにと言うと、えり子はそれくらいのことは知っているからきついことを言わないでとたしなめた。彼女の夫は補充兵として戦場にいたのだが、馬の世話ばかりしていると蔑んでいた。えり子は暑いと胸をはだけると、男も戦争、女も戦争やと言って体を押し付けた。
継男の親戚筋に当たる赤木ミオコが金を借りに来たが、はんは出かけていていなかった。継男がそのことを伝えると彼女はあなたからもお願いして欲しいと言った。ミオコは何度も借りに来ているため、断られるかもしれないと思っていたからだ。事情を知らない継男があっさり了承すると、ミオコは喜んで手を合わせた。帰り際にミオコは、働き者の夫・中次がいつも家を空けているので、暇な夜はいつでも遊びにおいでと言った。そして女ひとりの夜って長過ぎるのよと目配せした。その夜、はんからお金を預かった継男はミオコの家を訪ねた。すると赤ん坊の授乳中だった彼女は胸をあらわにしたまま出てきたのだ。ミオコは継男を座敷に引き入れると体を重ねた。
幼馴染のやすよは、継男の顔を見るなりみんなが体調を心配していると伝えた。すると継男は、咳がひどいが勉強で期待に添えなくても、徴兵検査で甲種合格して兵隊になれば男はいいんだと言った。気持ちだけ受け取ってとやすよが自分で作った組み紐を贈ると、継男は満面の笑みを浮かべてお礼を言った。徴兵検査の日、自信を持って臨んだ継男だったが、軍医から肺結核の診断をされ検査に落ちた。その噂は忽ち村中に広がり、神童だとおだてていた住民たちは落胆する彼が戻ると無視をした。
屋台的映画館
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