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月光仮面 幽霊党の逆襲

  • posted at:2019-08-03
  • written by:砂月(すなつき)
げっこうかめんゆうれいとうのぎゃくしゅう
東映(東京撮影所)
配給:東映
製作年:1959年
公開日:1959年7月28日 併映「江戸っ子判官とふり袖小僧」
監督:島津昇一
企画:園田実彦
原作:川内康範
脚本:織田清司
撮影:西川庄衛
録音:加藤一郎
照明:入江進
美術:中村修一郎
助監督:山田稔
編集:祖田冨美夫
進行主任:白浜汎城
音楽:小川寛興
進行主任:石田人士
主題歌:「月光仮面は誰でしょう」近藤よし子 キング子鳩会
・・・:「月光仮面の歌」三船浩
出演:大村文武 山東昭子 若水ヤエ子 佐々木孝丸 藤里まゆみ
シネマスコープ モノクロ 61分

雨が降りしきる深夜、東都大学地質学研究所で鈴木博士が殺された。翌朝、警視庁が捜査を行う中、現場に到着したのは探偵の祝十郎と助手の袋五郎八だった。室内が荒らされているにも拘らず何を盗まれたのか特定出来ないこと、博士の助手の藤田が未だに出勤していないことを松田警部から聞いた祝はしばらく考え込んだ。藤田は昨夜、守衛が帰った後も部屋に残り博士といたことがわかっていた。もし犯人がこの部屋に入ってこなかったとしたら。そうつぶやきながら祝が室内を調べていると机の上のメモを見つけたため松田に渡した。そこには「48-6072」と書かれてあり、その電話番号を調べてみると六本木に住む大岡鉄蔵という山師であることがわかった。祝と松田は大岡を訪ねたが、最近は博士の研究所を訪れたことも石の関係を依頼したこともないと言った。だが大岡の娘・はる子と話した祝は、昨日の11時頃鈴木という人物から電話があったという証言を得ていた。

松田が捜査本部に戻ると、大岡について調べた刑事たちが報告を行った。日本で芽が出なかった大岡は昭和15年に満州へ渡り、ひと山当てたことで豪勢な暮らしをしていたが、終戦後間もなく引き揚げてからも山師を続けていた。古顔だったこともあり山師仲間では相当顔の効く人物として知られていたが、ここ数年は誰とも連絡を取ろうとしなかったため皆不思議がっていたという。その話を聞いた祝は、彼が重大な物の鑑定を博士に頼んだのではないかと考えた。それが昨日の電話であり、鑑定の結果が成功であったことが博士の死に繋がったのではないか、と。そこに長谷川刑事から藤田が自宅に戻ったという電話が掛かってきた。

藤田は異常な興奮状態にあったため強制的に入院させられていた。容体が落ち着いたところで今まで何処にいたのかと松田が質問すると、僕は何事も知らないと藤田は魂の抜けたような声で言った。だが再び苦しみ始めたため看護師が鎮静剤を打とうと袖をまくり上げたところ、左腕に「幽霊党」と刺青が彫られていた。彼が何かの力によって口を封じられているのではないかと考えた祝は心霊学者・鷹の羽道寛を訪ねた。話を聞いた道寛は、それはまさしく心霊術であり、その道を究めた者による仕業だと言った。だがそれほどの腕を持った人物は今の日本にはおらず、思い当たる竹林賢法は戦時中に満州で非業の死を遂げたというのだ。賢法ほどの術を使う者を知らぬと言われたことで祝は事件解決の糸口を見失った。

屋台的映画館
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