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真田幸村の謀略

  • posted at:2020-04-25
  • written by:砂月(すなつき)
さなだゆきむらのぼうりゃく
東映=東映太秦映画村
配給:東映
製作年:1979年
公開日:1979年9月1日
監督:中島貞夫
企画:高岩淡 日下部五朗 松平乗道 三村敬三
脚本:笠原和夫 松本功 田中陽造 中島貞夫
撮影:赤塚滋
イラストレーション:横尾忠則
音楽:佐藤勝
監督補:清水彰
照明:増田悦章
録音:荒川輝彦
美術:井川徳道
編集:市田勇
助監督:藤原敏之
記録:田中美佐江
装置:稲田源兵衛
装飾:山田久司
背景:平松敬一郎
スチール:中山健司
宣伝担当:佐々木嗣郎 丸国艦
美粧結髪:東和美粧
衣裳:豊中健
振付:藤間紋蔵
演技事務:藤原勝
擬斗:菅原俊夫
和楽:中本敏生
進行主任:野口忠志
協力:東映俳優センター
特殊撮影・撮影:北坂清
特殊撮影・照明:金子凱美
特殊撮影・助監督:鈴木秀雄
特殊撮影・美術:株式会社特撮研究所 大沢哲三
特殊撮影・操演:株式会社特撮研究所 鈴木昶 小笠原亀
特殊撮影・進行主任:株式会社特撮研究所 中村義幸
特殊撮影・視覚効果:デン・フィルムエフェクト
特撮監督:矢島信男 佐川和夫
出演:松方弘樹 あおい輝彦 森田健作 秋野暢子 岡本富士太
アメリカンビスタ カラー 148分

慶長十五年、名古屋城を造営した徳川家康は大坂城に蟠踞する豊臣秀頼の一党を討つ準備を進めるために自ら視察に赴いていた。その夜、上空に巨大な隕石が飛来し場内が混乱する中、その騒ぎに乗じて侵入した真田家家臣の霧隠才蔵は寝所にいた家康の首を取った。それは大流星が空をよぎると予言した真田幸村による計略だった。ところが翌日、名古屋城を出立した行列は東へ向かっていた。才蔵が取った首は家康の影武者であり、その罠に掛けたのは服部半蔵だったのだ。半蔵一派に取り囲まれる才蔵だったが、それを妖術を使って助け出したのは通りすがりの猿飛佐助だった。佐助は加勢をするために彼を救ったわけではなく、大頭領戸沢白雲斎の弱きを助けよという教えに従っただけなのだ。丹波八ヶ峰へ一人で帰ると聞き才蔵が身を案じると、佐助は妖術で作り出した幻影を見せて心配ないと安心させた。

この年、家康は諸国の落人狩りを強行した。石田三成の軍奉行をしていた男とその家族が連行されるのを見兼ねた浪人の海野六郎は助け出そうと刀を抜こうとするが望月六郎はそれを思いとどまらせようとした。その様子に気づいた役人が向かってこようとしたそのとき、狂人が間に割って入ったことで事なきを得た。同じ年、家康は諸国の傾奇物を取り締まり処刑した。連行される者たちの中にいた筧十蔵は隠し持っていた爆薬を破裂させるとその隙に姿を眩ました。同じ年、家康は諸国の切支丹を逮捕し処刑した。ジュリアおたあを捜して処刑場にやってきた朝鮮王城守備軍の尹三英は一刻も早く救い出そうと大暴れした。その頃、紀州九度山では穴山小助が真田幸村の命で信州上田から焼酎の入った甕を運んでいた。小川でひと息ついていると釣り人から話し掛けられ、父親が真田家譜代の家臣だったばかりにこんな目に遭っていると愚痴をこぼした。だがその釣り人が幸村だとわかると肝を潰した。

徳川の間者が送り込んだ猫の爪の毒で幸村の父昌幸は他界した。これにより腹を決めた幸村は家臣たちを兄信幸がいる上田城へ返すことにした。そして妻綾にも同様に上田城へ行くように命じたが、昌幸を関ヶ原の役に巻き込んだ父大谷刑部の責任と、それが後の死へ繋がったと悔いる綾は翌朝自刃を遂げた。昌幸や綾の死を無駄にしないと心に決めた幸村は家臣を上田城に向かわせた。そして父の遺志を継ぎ家康の首を取ることを誓った。

父の轍を踏まないためには家康を上回る謀が必要であり、そのためには姿を見せずに敵に近づくことが出来る草の者の力を借りなければ成り立たなかった。幸村の命を受けた才蔵は心当たりのある丹波八ヶ峰に向かうが白雲斎は殺された後だった。家康との戦に備えて白雲斎は諸国に散った同志たちの名を書状にしたためていたが、佐助が見つけた燃え残りには六人の名しか読み取れなかった。その書状を俺にくれぬかと才蔵が言うと、佐助は仲間に入れてくれるならやると言った。

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