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十一人の侍

  • posted at:2016-02-14
  • written by:砂月(すなつき)
じゅういちにんのさむらい
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1967年
公開日:1967年12月16日
監督:工藤栄一
企画:岡田茂 天尾完次
脚本:田坂啓 国弘威雄 鈴木則文
撮影:吉田貞次
照明:井上孝二
録音:溝口正義
美術:塚本隆治
音楽:伊福部昭
編集:神田忠男
助監督:大西卓夫
記録:国定淑子
装置:矢守好弘
装飾:柴田澄臣
美粧:堤野正直
結髪:白鳥里子
衣裳:松田孝
擬斗:上野隆三
制作主任:武久芳三
出演:夏八木勲 里見浩太郎 南原宏治 宮園純子 大川栄子
シネマスコープ モノクロ 100分

天保10年11月、鹿狩りに興じ国境を越えたことに気付かなかった将軍の弟で館林藩藩主の松平斉厚は、道を遮った農夫に矢を放った。そこへ偶然通りかかった忍藩藩主・阿部豊後守正由が何故の御成敗かと尋ねると、斉厚は前を横切ろうとした故に無礼討ちにしたと高らかに言った。それを聞いた正由は、ここは忍藩の領内であり領主たる某に何の挨拶もなく領民を斬り捨てるとは、天下万民の手本となるべき御身をお忘れかと言った。その言葉が癪に障った斉厚は正由に矢を放ち、右目を貫かれた正由は絶命した。この事態に忍藩次席家老・榊原帯刀は訴状に矢を添えて江戸千代田城の老中・水野越前守忠邦に申し出たが、もしそのようなことが諸大名や旗本の模範となるべき人物にあれば徳川家の威信は地に落ちる。そこで忠邦は、国境の仕切りを弁えずに館林領へ馬を乗り入れ斉厚に無礼な雑言、その際の流れ矢に当たった正由の不祥事と、それを斉厚の所業として公儀を謀ったとして帯刀に忍藩取り潰しを言い渡した。この理不尽な判決に言葉を失う帯刀。上意だと言われ歯噛みしながら引き下がった帯刀は、取り潰しの触れ出しを11月の晦日まで待って欲しいと願い出た。訝る水野に彼は、寝耳に水の藩中の者たちが間違いを起こさぬよう説き聞かせ、心を一つにして御上意をお受けせねばなりませんと苦々しく言った。そして水野が斉厚の処置について口を閉ざしたことから、ひと月の猶予を貰えなければその場で腹を切ると帯刀が言うと忠邦はそれを渋々認めた。

藩に戻った帯刀は藩取り潰しの件を重臣たちに隠し、斉厚に不穏な企てを起こす者が現れれば公儀の印象を損ねることから藩士に道理を言い聞かせて行動を慎むようにと言い渡した。その一方で彼は竹馬の友である藩士・仙石隼人と会い、遠乗りと称した密談を行った。忍藩500人の家臣や領民の生活を守るためには、ひと月の猶予の間に行動を起こす必要があった。そこで帯刀は隼人に力を貸して欲しいと願い出たのだった。隼人はしばらく考えた末に脱藩することに決めたと言った。素浪人となれば藩に迷惑がかかることはないからだ。成功の確率は低いが、理非を訴えることが出来ないこの世の中を変えるにはいずれ誰からやらねばならないのだ。引き受ける条件として自分と同じような人間があと10人ほど必要だと隼人がいうと、帯刀はお主に任せるとゆっくり頷いた。隼人は暗殺隊を組織するにあたってまず連絡役に藤堂幾馬を指名した。

斉厚が江戸へ出府するという噂を聞きつけた忍藩藩士・三田村健四郎と仲間たちは、持病の労咳で急死した兄の代わりに参加することになったぬいとともに斉厚を討とうと待ち構えていたが、動きを察していた隼人に阻止された。藩邸に戻ると帯刀はぬいに謹慎、6人には切腹を言い渡した。怖気づく三田村たちに俺が介錯してやると隼人が言うと、彼らは刀を腹に突き立てようとした。すると帯刀の待ての声。6人の死への覚悟と勇気を認めた隼人は真相を話し始めた。

屋台的映画館
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