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玉割り人ゆき 西の廓夕月楼

  • posted at:2022-11-27
  • written by:砂月(すなつき)
たまわりにんゆきにしのくるわゆうづきろう
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1976年
公開日:1976年2月14日 併映「くの一忍法 観音開き」「愉快な極道」
監督:牧口雄二
企画:三村敬三 奈村協
原作:三木孝祐 松森正
脚本:田中陽造
撮影:塩見作治
照明:海地栄
録音:荒川輝彦
美術:竹川輝夫
音楽:渡辺岳夫
編集:神田忠男
助監督:俵坂昭康
記録:森村幸子
装置:近藤幸一
装飾:布部栄一
スチール:木村武司
美粧・結髪:東和美粧
衣裳:豊中健
和楽:中本敏生
方言指導:小島恵子
謡曲指導:伊藤清子
演技事務:伊駒実麿
進行主任:俵坂孝宏
出演:潤ますみ 森崎由紀 中島葵 長島隆一 成瀬正
アメリカンビスタ カラー 64分

昭和初年、金沢。当時、遊郭には売られてきた女に性の技巧を教え、娼妓に対しては特殊な技を仕込む師匠たちがいた。廓ではそれを玉割り人と呼んだが、その中でもゆきは京都島原きっての腕前と評判が良かった。彼女は競売人の目の前で性技を仕込む様子を披露した。それは下の口を上の口と同じように使う訓練で、閉めたり緩めたり自由に扱えてこそ床上手だと言った。ゆきが生卵を下の口に差し込むと、横たわる廓の女は力みながらそんな無茶は出来ないと言った。濡れて開けば自然に卵は吸い込まれるものだからそこを気張って潰せばいいと指導すると、やがて穴から割れた殻と黄身が飛び出してきたのだった。ゆきは紙で黄身を受け止めると競売人に検分をお願いした。競売人たちがその出来に驚く中、質問があると一人の男が口を開いた。その酔っ払った男は下の口から卵を飲み込んでそれが娼妓の栄養になるのかと言った。するとゆきはそれが娼妓ためではなく廓に男を釘づけにする技術だと答えた。それを聞いた男がお前さんの下の口がどんな具合に締めつけるのか実演して欲しいと言うと、ゆきは玉割り人の技術は酔っ払い相手の見世物ではないと言った。

ゆきが母親の命日に墓参りに出掛けると何処からか謡声が聞こえてきた。その主を辿ると、一つ先の墓で手を合わせるあの酔っ払いの男がいた。彼は夕月楼の主人・清次郎だった。ゆきにはそれが上手いか下手かはわからなかったが、声に籠る気迫が身に染みた。謡いの神童と呼ばれた清次郎は、廓の跡継ぎにしておくにはもったいないと東京の家元が11歳の夏に連れて帰った。それから13年も経つと彼は評判の謡曲師となった。ある日、生まれ故郷の金沢にぶらりと帰ると地元で評判高い吉富宗市という謡曲師と出会った。清次郎は金沢一が日本一だと天狗になっている宗市の鼻をくじいてやろうと思い、黒塚を謡ってみろと注文をつけた。黒塚は御家流の秘曲であるため生半可な気持ちでこなせる曲ではなかったが、宗市は命がけで謡った。だがその気合が体調に異変を起こし息を詰まらせてその場に倒れた。その頭の上に立ちはだかった清次郎はそれでも日本一かと罵った。その後、宗市は一人娘のお俊を残して自殺し、清次郎も謡を捨てたのだった。

屋台的映画館
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