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電光空手打ち/流星空手打ち

  • posted at:2019-01-23
  • written by:砂月(すなつき)
でんこうからてうち/りゅうせいからてうち
東映(東京撮影所)
配給:東映
製作年:1956年
公開日:1956年1月29日 併映「大地の侍」
監督:津田不二夫
企画:光川仁朗
原作:牧野吉晴
脚本:小林大平
撮影:福島宏
録音:加瀨壽士 廣上庄三
照明:森澤淑明
美術:中村修一郎
音楽:大久保徳二郎
編集:長澤嘉樹
装置:長北喜二次
記録:城田孝子
監督補佐:加島昭
メーキャップ:高木茂 伊奈モト
スチール:山守勇
殺陣:片岡一
進行担当:大木福榮
琉球芸能指導:川田禮子と守禮会
出演(電光空手打ち):高倉健 浦里はるみ 藤里まゆみ 山形勲 神田隆
出演(流星空手打ち):高倉健 浦里はるみ 波島進 山形勲 神田隆
(電光空手打ち):スタンダード モノクロ 59分
(流星空手打ち):スタンダード モノクロ 58分
 
大正の頃の沖縄。中里東恩のもとで知倒流唐手の修行に励む忍勇作は、師匠がライバル視する名越義仙に辻試しをしようと考えた。早朝、岸壁で一人鍛練を行う義仙に勇作は岩陰から忍び寄ると背後から飛び掛かった。だがそれをひらりと交わした義仙は命を粗末にするでないとたしなめた。そして血気盛んな勇作に対し、私の唐手は君たちのように人を襲うためのものではないと言った。それを詭弁だとして勇作は勝負を仕掛けようとしたが、凛と立つ義仙には打ち込む隙が無くとうとう観念した。己の未熟さを悟った彼は許してくださいと土下座して許しを請うが、義仙は無言で立ち去った。道場に戻った勇作は、早朝から姿を見せなかったことで心配する東恩の娘恒子や門弟の赤田鉄才に俺たちの相手ではなかったと言った。彼が義仙に勝負を挑んだことを知った鉄才が負けたのかと問い詰めると、勇作は一歩も踏み込めなかったと言った。俺が性根を叩き直してやると鉄才が身構えても勇作は戦おうとせず、恒子がその理由を尋ねると、彼は義仙の計り知れない大きさに打たれたと言った。恒子は勇作のことを愛していたが裏切られることになるとは思っていなかったのだ。そして唐手の技だけでなく真の精神を知りたいと答えたため、恒子は知倒流が真の唐手ではないと彼が考えていたことに衝撃を受けたのだった。東恩は息子の克明が頼りないことを理由に後継者として勇作に継がせようと考えていた。父の苦悩を知っていた恒子は知倒流の資質を持ったあなたが義仙のもとへ行けば必ず東恩から命を狙われると警告した。だが勇作は考えを変えようとはしなかった。

勇作は義仙の弟子になるために屋敷の門前で日が暮れても待ち続けた。夜が深まった頃、門弟の比嘉三郎がやってきて、いくら待っても先生は何も教えてくれないと言った。そして東恩の口癖が「自ら会得せよ。唐手の極意は一切の空(くう)だ。」であることを伝えると、勇作はその言葉が何を示しているのかを懸命に考えた。雨が降りだしても動かずにいると、部屋から出てきた義仙はびしょ濡れの彼を不憫に思い、三郎に入れてあげなさいと言った。

東京で文部省主催の運動体育展覧会開催されることになり、沖縄県の担当者は義仙を呼び出すと古来から伝わる沖縄唐手術を紹介してはどうかと意見を聞いた。すると義仙は出席することに賛成はしたが、空手の意義をうまく伝えられるか自信がなかった。そのことは東恩の耳にも入り、知事が何の断りもなく義仙に決めたことに苛立っていた。すぐさま県庁へ乗り込み抗議を行ったが、文部省の主催とあって知事は義仙の方が適任だと考えたのだ。すると東恩は、代表選手を決定する唐手大会の開催を要求し、勝った者を派遣するのが公平なやり方だと言った。

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