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日本一のホラ吹き男

  • posted at:2017-08-02
  • written by:砂月(すなつき)
にっぽんいちのほらふきおとこ
東宝
配給:東宝
製作年:1964年
公開日:1964年6月11日 併映「喜劇 駅前怪談」
監督:古澤憲吾
製作:渡辺晋 森田信
脚本:笠原良三
撮影:飯村正
美術:小川一男
録音:増尾鼎
照明:隠田紀一
音楽:宮川泰 萩原哲晶
整音:下永尚
監督助手:坂野義光
編集:黒岩義民
合成:松田博
現像:東洋現像所
製作担当者:井上卓之
出演:植木等 浜美枝 草笛光子 曾我廼家明蝶 谷啓
シネマスコープ カラー 92分

西北大学経済学部の初等は三段跳びの東京オリンピック候補として有望視されており、強化合宿ではいつも以上に張り切っていた。その結果、世界記録を塗り替えるような距離を跳んだのだが、その代償として両足のアキレス腱を切った上に捻挫まで負った。主治医からひと月は入院が必要だと言われ、それでは合宿が終わってしまうと等は今すぐにでも練習を始める気でいた。それを知ったコーチには彼が候補に選ばれることがないことがわかっており、退院したら君の故郷の温泉でゆっくり療養しそれから練習しても大丈夫だと気休めを言った。その言葉を信じた等は退院後に故郷でトレーニングを再開したが、コーチからの手紙で落選したことを知り肩を落とした。帰宅中に工事業者が掘り出した壺をもらった等は早速蓋を開けてみた。だが中から出てきたのは大判小判ではなく先祖が書き残した「初等之助一代記」という伝記だった。そこには等之助が幼少の頃から「ホラ吹き等之助」と呼ばれ、そんじょそこらのとは違う必ず実証を伴うホラを吹いたと書かれてあった。

風月流無敵道場で行った道場破りで主から小手を一本頂き、看板を外す代わりに客分として暫時逗留。翌月一日に松平藩の藩校で行われる御前試合で武芸指南役七味一刀斎を打ち負かし、千五百石の禄高を以って指南役に召し抱えられる。明月江戸表将軍家御前試合で天下の指南番を打ち倒し一万石の大名になる。このホラが現実となり、今まで彼を蔑んでいた人々は「預言者等之助」と呼ぶようになった。予言を実現し得たのは日夜目標に向かって前進する努力研鑚、神仏の御加護、そして幸運を得たことだと一代記に書いてあったことから、等はある決断をした。自分にも等之助の血が流れていることから、三段跳びを諦めて社会で三段跳びの出世をすることに決めたのだ。早速学校に戻ると就職担当の先生に「増益電機」に入社するための推薦を願い出たが、返ってきたのは冷たい言葉だった。何故ならその会社はコネが一切通用しない上に全国の大学卒業者が殺到して内定者が千人に一人と言われているからだ。それを聞いた等は、僕が入社すると言ったら絶対に入社しますと高笑いした。

学校を飛び出した等は、書店に駆け込むと電気事業関係の本と増益電機社長・増田益左衛門の自叙伝を読み漁った。そして入社試験の日、会場に現れた彼は面接官の前で、将来会社の経営陣に参加した暁には売り上げを五倍十倍にし、国内販売額だけならず輸出面でも革命的な大発展を実現して世界一流の大会社にしてみせると大見得を切った。どうやって実現するのかと尋ねられた等は、責任の持てないホラは吹きたくないから実際に僕にやらせてみなければわかりませんよと言った。後日、彼の元に採用通知が届いたが、結果は不合格だった。落ち込むのも束の間、等は次の行動に出た。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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