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悲愁物語

  • posted at:2019-02-15
  • written by:砂月(すなつき)
ひしゅうものがたり
松竹=三協映画
配給:松竹
製作年:1977年
公開日:1977年5月21日 併映「雨のめぐり逢い」
監督:鈴木清順
製作:梶原一騎 藤岡豊 川野泰彦
プロデューサー:川野泰彦 野村芳樹 浅田健三
原案:梶原一騎
脚本:大和屋竺
撮影:森勝
照明:小林秀之
録音:大橋鉄矢
美術:菊川芳江
編集:鈴木晄
記録:津田のり子
助監督:斉藤信幸
色彩計測:田村輝行
製作担当:秋田一郎
音楽:三保敬太郎 とみたいちろう
主題歌:「戻っておくれ」とみたいちろう
製作宣伝:東京プランニング
協力:第五回ワールド・レディース ゴルフトーナメント 川越初雁カントリー・クラブ
現像所:東映化学工業
録音スタジオ:アオイ・スタジオ
製作補:島田十九八
キャスティング:西岡昭
協力:デサント カントーグループ
美容家:山野凱章
出演:白木葉子 原田芳雄 岡田真澄 和田浩治 佐野周二
シネマスコープ カラー 93分

東欧の花と称された女子体操のエースのイレーナ・チブルスキーは引退後、繊維メーカー極東レーヨンの専属モデルとなった。スカウト競争に敗れたライバル会社の日栄レーヨン社長・井上はIOCやソ連に働き掛けて彼女の訪日を妨害する作戦に打って出た。それと同時に企画室長の森を呼び出すとチブルスキー以上のタレントを見つけ出すよう命じた。社長の命令は絶対であり、外国人タレントを対抗馬として立てても勝ち目がないことから森は今までの方針を転換し純日本人で行くことに決めた。森から待機を命じられたCMディレクターの古沢がファッションコーディネーターの田所圭介のところへ相談に行くと、ゴルフは出来るかと田所は言った。彼が目をつけていたのは桜庭れい子というプロゴルファーだった。芦屋カントリー・クラブでキャディーをしていたことから高木プロに才能を認められ、昭和51年の高木引退時に上京しプロ入りと同時に女子プロ新人王を獲得した。初雁カントリー・クラブに所属するれい子は抜群なプロポーションの持ち主だがパンチに欠けていた。より彼女のことを知るために田所は週刊ゴルフダイジェスト編集長の三宅精一と連絡を取りゴルフ場に出掛けた。三宅が書いたれい子の記事は個人的な感情がなければ表せないような内容だったため、恋人ではないかと当たりをつけたのだ。田所としてはれい子に日本選手権のタイトルが必要だった。だが実力はそのレベルに達しておらず、そんな彼女が奇跡の優勝を果たせば注目度が一気に上がるのだ。そこで田所はまず300万円の前金を渡し、優勝すれば3000万円の契約を結ぶ条件を三宅に提示した。

三宅はれい子のコーチに高木を指名した。高木は日本女子プロゴルフ選手権が行われるコースを体感で覚えさせると、翌日は悪天候でも対処出来るように巨大扇風機の前でボールを打たせた。その翌日は人工雨とハードなトレーニングは続き、昼夜問わず一日1600球を欠かさず打った。特訓の間に撮ったグラビアの効果もあって選手権は予想以上の注目度となり、会場には多くのギャラリーが詰め掛けた。序盤は5位と出遅れたが徐々に順位を上げ首位の所恵子に肉薄した。ところが最終ホールでバンカーに捉まり、更に体力も限界を超えて倒れたが、最後の気力を振り絞って立ち上がると渾身のショットを放った。ボールはカップに吸い込まれ、土壇場で逆転優勝を決めた。その結果、れい子の人気は爆発し日栄レーヨンの小売店からは本社へポスターの催促が相次いだ。この状況に上機嫌の井上は優勝パーティーに出席することに決めた。一方、田所は三宅に電話を掛けゲスト出演以外の番組を全て断るように言った。翌月からテレビの新番組がスタートするため、れい子の希少価値を高めるためにメディアへの露出を控えるようにしたのだ。そのような工作によって彼女は日栄レーヨンと専属契約を結び多額の契約金を手に入れた。中学生の弟と住むための大邸宅を郊外に構えたれい子だったが、周辺で暮らす主婦たちからは妬まれた。

屋台的映画館
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