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怪猫夜泣き沼

  • posted at:2016-06-28
  • written by:砂月(すなつき)
かいびょうよなきぬま
大映(京都撮影所)
配給:大映
製作年:1957年
公開日:1957年6月18日 併映「赤胴鈴之助 月夜の怪人」
監督:田坂勝彦
制作:酒井箴
企画:山崎昭郎
脚本:民門敏雄
撮影:武田千吉郎
録音:大谷巌
音楽:高橋半
照明:島崎一二
美術:内藤昭
編集:西田重雄
和楽:中本利生
制作主任:村上忠男
装置:科田豊一
装飾:後藤栄三郎
背景:北條三郎
美粧:湯本秀夫
結髪:中井つる
衣裳:伊藤ナツ
擬闘:宮内昌平
普通写真:小牧照
助監督:西沢利治
撮影助手:青柳寿博
録音助手:鈴木幸三郎
照明助手:山本正一
美術助手:上里忠男
移動効果:村若由春
音響効果:倉島暢
記録:梶谷美子
演技事務:毛利美津夫
進行:大橋和彦
出演:勝新太郎 三田登喜子 阿井美千子 千葉登四男 浜世津子
スタンダード モノクロ 90分

佐賀水ヶ江城では竜造寺閑斎を審判として招いた藩主鍋島丹後守と近習頭小森一馬との鼓合わせが行われていた。鼓合わせとは鼓の腕比べのことで、勝った者に閑斎の秘伝が譲られることになっており、主催者である丹後守は自分が勝つものと自信を見せていた。だが彼の鼓の革が破れたことで閑斎は勝負を中断し、一馬の方に軍配を上げたのだった。丹後守は運悪く破れただけで勝負はまだ決まっていないと抗議したが、一馬に劣る言われ腹を立てて部屋を出て行った。家老磯早豊前も解せないと主張したが、鼓の事故は勝敗に拘りなく、気迫、技すべてが一馬が遥かに勝っていると閑斎は静かに言った。そして慈悲を曲げてでも殿の機嫌を取れと言うのかと続けると豊前は絶句した。殿の御政道を誤る元だと指摘された豊前は激しく動揺し、さらに一馬からも御家を思えばこその御忠言だと助言されたことから豊前ははらわたが煮えくり返る思いで立ち去った。

丹後守が勝負にこだわる理由は二つあった。一つは鼓の秘伝を手に入れること。そしてもう一つは閑斎の娘園江を嫁に迎えることだった。豊前は、園江の婿になる男だと考えれば一馬に花を持たせるのも当然だと諭し、さらに殿が園江に御執心だと知った閑斎が婿の定まった娘に言い寄るなど正気の沙汰でないと吹聴している、そして二言目には殿の近頃のなされ方では御当家は世も末だと触れ回っていると根も葉もないことを伝えた。続けて豊前は、閑斎が例え御意見番の重職にあっても殿を殿と思わないその思い上がった心根が御家の御意向に拘ると言うと、怒りに満ちた丹後守は鼓が欲しいと訴えた。豊前は閑斎を打ち負かす程の名器があることを知っていた。それは彼の母お杉が閑斎への恨みを晴らすために買い求めた曰くある鼓だった。磯早家は代々主席家老に職がありながら竜造寺家の風下に立ちみじめな思いをしてきたことから、お杉はその思いを丹後守に託すことにしたのだ。豊前から鼓を手渡された丹後守はこれ程の名器を見たことがないととても気に入り、再び鼓合わせを行うことにした。登城の連絡を受けた閑斎が支度をしようとしたところ、愛猫のこまが何故か引き留めようとした。豊前邸に呼び出された一馬は殿の命によって伝授を返上し再び手合わせをしなければならなくなったことに困惑した。抵抗する一馬に手を焼く豊前は懐から上意下達の封書を取り出し、閑斎にへつらって殿の御政道を非難する行状許しおけぬと解任したのだった。面食らった一馬が殿にお目にかかると立ち去ろうとすると、大勢の藩士に命を狙われた。

水ヶ江城では閑斎と丹後守との間で鼓合わせが行われていたが、閑斎は突然演奏を止めその鼓は持ち主が祟られるという「千鳥の鼓」だと言った。それを負けを認めない閑斎の言い訳だと受け取った丹後守は勝ったと高笑いした。そこに入って来た豊前が、一馬が狼藉を働いて逃亡したと伝えると、閑斎は煽てやへつらいに乗ってはなりませぬと忠告した。さらに言葉を続けたことで頭に血が上った丹後守は豊前とともに閑斎を無礼討ちにした。すると亡骸の傍らにこまが寄り添っていたのだった。

屋台的映画館
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